Foodion │ 一流シェフ・料理人のプロフェッショナル論。

老舗の精進料理店を率いる、フレンチ畑出身の熱き和食料理人

精進料理 醍醐
野村 祐介
東京・虎ノ門のビル2階。一歩足を踏み入れると、都会の喧騒の中にあるとは思えないゆったりした空気に包まれる。全部屋が趣のある完全個室。四季折々の眺めを堪能できる庭園を眺めながら堪能できる、旬の大地の恵みで彩られた精進料理。老舗とはいえ、「醍醐」に伝統に縛られた堅苦しさはなく、常に新しいチャレンジをし続ける風通しの良さがあるのは、4代目店主の野村氏の人柄と努力によるもの。大学卒業後にフレンチのサービスマンとして修行し、和食に転身。試行錯誤しながら歩んできた料理人生と、スタッフ育成や日本料理に対する思いなどを伺った。

■料理人ではなくサービスマンとしてのキャリアスタート

まずは、料理の道に入ったきっかけを教えてください。家業を継ぐことについては、幼い頃から意識されていたのですか?

野村氏:
「精進料理 醍醐」が家業でしたから、自分のまわりには飲食業に携わる人が多かったですね。幼少期から料理の道は自然と意識していたとは思います。特殊な家庭環境と言えるのかもしれませんが、父が料理人ですし、祖母や母親もサービスをやっていましたから、その背中を見ていたことが一番大きく影響していると思います。

小さい頃から、サービスも含めて料理は好きでした。料理に限らず、人を喜ばせること、もてなすことが好きでしたね。他人のためにサービスすることが好きだなんて、普通はおもはばゆくてなかなか言えないと思いますが、この仕事は正直に胸を張って言うことができます(笑)。「お客様はこうやってもらったら喜ぶと思う」ってことを、堂々と口にできる職業。それがこの仕事の一番いいところかもしれないですね。

 

幼い頃からサービス精神旺盛!料理経験は豊富でしたか?

野村氏:
高校時代は、醍醐の調理場で盛り付けだけを手伝っていました。あとは下積み作業を少々やらせてもらう程度でした。調理師専門学校には行かず大学に進学しましたが、大学時代にはオシャレなことがやってみたくて、青山のカフェで調理をやっていました(笑)。

 

大学卒業後に就職されたそうですが、料理人としてのキャリアスタートはいつですか?

野村氏:
成城大学法学部法律学科を卒業後、一度企業に就職しました。就職先は石油や不動産、食品を扱う商社の食品事業本部。そこは1本6万円を超えるワインを出すような、ひらまつ系列の先輩方が働く正統派のフレンチレストランの他に、シガーバーやカフェバーなど、様々な飲食店を展開していました。

 

料理人としてではなく、サービスマンとして料理業界に入られたのですね。

野村氏:
料理人としては珍しい経歴ですよね。就職して最初にさせていただいたのは、永代橋にあるお店でバーテン兼ソムリエのような仕事でした。まずそこで大きな挫折を味わうことになるんですけれどね……。

 

大学出身とはいえ、料理経験は少ないわけではないと思うのですが。最初から挫折ですか?!

野村氏:
大学を出てから飲食業界に入ったので、キャリアスタートは22歳と遅くて。最初は恥ずかしいくらい使えない人材でした。お店に着任した直後の3日間は、「お給料あげるけれど恥ずかしいからキミはここで1日立っていて」と言われて、店の裏のゴミ箱の脇で朝8時半から夜23時くらいまでずっと立っていました。お客様のいるフロアに3日間出してもらえなかったショックと挫折感は大きかったですよ。……毎日泣いて帰りました(苦笑)。

 

いきなりの戦力外通告。それは辛いスタートですね……。

野村氏:
でも今思えば、キャリアをスタートする時に、そうやって自分を扱ってもらってよかったなと。当時の僕は生意気で、夢みたいなことばかり言って、面倒くさい奴だったと思います(苦笑)。当時スパルタ指導してくださった方のことは、今もとても尊敬しています。

とはいっても、最初の3カ月間は今振り返ってみても辛いものでした。飲食業独特の辛辣さもありました。何もできないんだから坊主にしてきてと言われて。たしかに僕も腹がくくれていなかった部分がありました。足を踏み入れたらそこで最善を尽くす、っていう意識があってしかるべきなのに……この現場を足がかりに違うところに行くんだからと失礼なスタンスでいましたから。サービスを生業にする人たちは人の気持ちを探るのが仕事ですから、そんな僕の中途半端な気持ちは見透かされていたでしょうね。

 

苦労の多い修行時代に、粘り強く自分を鼓舞し続ける精神力はどこで鍛えられたのですか?

野村氏:
辛い時期に支えとなっていたのは「反骨精神」だったと思います。ここで絶対何かを任されてやる!明日自分がいなくなったらみんなが困る状態にしたい!そこまではやってやる!って、意地になっていました。高校時代からずっと格闘技をやっていたので、負けん気だけは強い(笑)。レスリングの二階級で東京都一位を獲り、日米親善試合にも出場していましたから。だから、「キツイ現場でも絶対負けない!若い頃から始めている奴らに負けてたまるか!逃げ出さないぞ!」って当時はそう思っていました(笑)。

 

周囲の信頼を獲得するために、どんな努力をされたのですか?

野村氏:
23時半に仕事が終わって家に戻ってからは、お風呂の中でソムリエ教本を読んだり、カクテルを覚えたりして……カフェのオープンが朝6時の時もあったので睡眠時間がほとんどないことも。1年経ったころに、みんなが認めてくれるようになって、頼ってもらえることが多くなりました。

食品事業本部には約4年在籍しました。3年間は永代橋、最後の1年間は原宿での勤務でした。会社の抱えている数店舗あちこちに出向いて手伝うこともよくありました。厳しい現場でしたが、周りに認められてからは様々なことを手伝わせてもらいました。サービススタッフとして配属はされていましたが、経験もあったので包丁を握る仕事もやりました。ランチが始まる前までは仕込みを手伝い、調理人が休んだ時にはコック服姿で厨房を手伝うことも。

仕事仲間とは最初は反目するような事ある関係性でしたが、やがて、信頼関係が出来上がると、楽しくてしょうがなくなって、一生この店でやってもいいなと思っていたくらい。そうなってからは、心底辞めたくなかったです。仲間のことは「友達」ではなく「戦友」という感覚になっていましたね。「店でお友達は求めてくるな」とは、今うちの「醍醐」のスタッフにも言い聞かせています。「友達」ではなく、背中を預けられる「仲間」。スタッフの間には、馴れ合いではなく程よい緊張関係が大切ですからね。

 

■フレンチから和食の世界へ。実家の老舗を率いるリーダーとしての格闘の日々

フレンチから和食へ転身されたきっかけは?

野村氏:
フレンチの世界で約4年間もまれ、きつかった職場にも愛着を持てるようになって離れがたくなったころ……実家から、お願いだから「醍醐」を手伝ってほしいと言われたのです。私の母(=若女将)は私が15歳の時に他界しており、当時の「醍醐」はまとめ役不在でスタッフの定着率も悪くなっていました。「醍醐」のテコ入れが求められているのはわかっていましたが、正直なところはやりたくなかったですね。ですが、27歳の時に「醍醐」に戻りました。

 

「醍醐」で最初はどんなことに取り組まれたのですか?

野村氏:
即戦力としての活躍を期待されていたとは思いますが、僕はフレンチ畑にいたので和食がまったくわからない。ただ、女将などよっぽどの古株従業員を除くと、一番長く在籍していた従業員がようやく勤務3週間目になったばかりという状況。サービスのシステムを一新する必要があることは痛感していましたし、急務でした。

今までの経歴を生かし、何がこの店にとって最善なのかを模索することからのスタート。まずはお店をどう改革していくか、そこに知恵を絞りました。そんな中で常に心がけていたのは、先入観にとらわれず、頭の中を真っ白にして考えること。がんばって勉強した人はアタマが固くなり、「そうあるべきだ」と決めつけてしまったり、一人で先走ってしまったりしてしまいがちなので、自分がそうならないようにと思っていました。

 

「醍醐」の改革にフレンチのサービス経験は生かされましたか?

野村氏:
たとえば当時の「醍醐」は、客単価が高いのにもかかわらず氷をクラックしていませんでした。バーテンをやっていた自分の経験では、高級店でそれはありえないという感覚がありましたから、すぐに変えました。ワインについては「赤と白どちらにされますか?」とお客様にお聞きしていました。ざっくりしていますよね(笑)。今でこそ「醍醐」では約100種類のワインを常備していますが、当時はワインの提供方法も品揃えも目を覆いたくなるレベルでした。。ひとつひとつ地道に改善していきました。

ワインの品揃えといっても、現在はお料理よりもよほど値段の高いお酒は出さないようにしています。特別注文が入った時以外は、高級品のストックはしません。お料理を食べに行って、飲み物のせいでコース料理の倍額を取られたら……何のための定価なのかと不満に思うでしょう?自分が食事に行って不快に感じることは絶対にやりたくないと思っています。

 

「醍醐」の調理場に入るのはだいぶ後になってからですか?

野村氏:
組織運営の見直しという大きな課題が目の前に突きつけられて、最初は調理場に入る余裕なんてありませんでした。とはいっても、当時の「醍醐」は調理場優先ですべてが回っていたので、「お運びさん」と呼ばれていたサービススタッフたちは料理人の言いなりでした。

僕は「とにかく持って行けなんて仕事は誰もやらないぞ!」と料理人相手に毎日取っ組み合いの喧嘩をしていました(苦笑)。調理場とホールが対立するような雰囲気でしたから、ホールでのミスは許されないという緊張感もあって。「あ、間違えました、もう一回同じ料理を作ってください」なんてことは絶対に許されないですからね。

でもやっぱり刺身も引けない奴の言うことは、調理場の誰も耳を傾けてくれないわけで。喧嘩相手だった料理人に謝って、お造りの包丁さばきなどは一から教えてもらいました。料理人だって地道に努力している人を見たら心が動くものでしょう。真摯に学び、対等に話ができるような関係性を少しずつ構築していきました。

 

「醍醐」の調理場では、どんなことを意識的に取り組まれましたか?

野村氏:
僕が調理場の手伝いをする以上は、調理場とサービス、プロとプロが一緒にチームでやるということをまずは示さないといけないと思いましたね。たとえば、まだ蕎麦切りが下手な若手料理人は、他のメンバーが一生懸命のばした蕎麦生地を練習で無駄にしてしまいます。でも、調理場の中でそうした貸し借りを率先して作れる間柄にならないとチームとしては上手くいかない。サービススタッフでも、経験の浅いメンバーに任せることができないと成長を促すことはできない。任せる方にも任される方にも覚悟がいる。そういった関係性をしっかりとみんなが認識して、真剣に取り組む風土をつくりたいと考え、取り組みました。

貸し借りを率先して作れる間柄のチーム。素敵ですね!

 

精進料理 醍醐

お問い合わせ
03-3431-0811
アクセス
東京都港区愛宕2-3-1
地下鉄日比谷線神谷町駅から徒歩5分
  都営三田線御成門駅から徒歩3分
営業時間
昼の部:11:30〜(最終入店14:00) 
夜の部:17:00〜(最終入店20:00)
席数:個室8部屋(1部屋2〜58名)
定休日
年始のみ

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