■知識も用語もわからない状態から始めた料理の世界
料理に興味を持ったのは、どんなきっかけからですか?
脇屋氏:
小さいころから食べることは好きだったんですけど、小学校3年生のころだったかな、母親が病気の時に父親がチャーハンを作ってくれて。…そのチャーハンが美味しくなくて(笑)。自分で作るよってチャーハン作ってみたら美味しかった。
それから少しずつ興味を持ち始めて、目玉焼き作ったり、ラーメン作ったり。チャーハンの中に漬物入れてみたりして「あー、こういう風に美味しくなるんだ」とか工夫してみたりね。
15歳で本格的に料理の世界に入ろうと思ったきっかけは?
脇屋氏:
中学2年生の時に、赤坂の山王飯店に行って初めて中国料理というものを食べて、それがとても感動しましてね。父親が当時の山王飯店の専務と知り合いだったので、「うちの息子を料理人にしたいんだけど」っていう話になって。
本当にやるんだったら、中国料理は包丁も鍋も重たいから早い方がいいよ。と言われたことを真に受けて、中学卒業とともに麻布十番へ行きました。
いざ、料理人として始まった修業は、どのようなものでしたか?
脇屋氏:
何回も辞めたいと思ったな(笑)。3ヵ月、半年、1年の壁ってあって、まずはチカラ。朝早かったり、夜が遅かったりという部分で、体が慣れないですよね。
そして、半年ぐらい経ってくると、今まで見逃してもらえていたことも、だんだん怒られてくるんですよね。「目で見て頭で判断して、すぐ行動」って。教えられたこと、言われたことはすぐやらなきゃいけないんですよ。
でも、覚えられない。「目を背中に付けろ、耳はウサギになれ」って言われても、全然意味がわからなかった。
それが、半年~1年ぐらい経つとわかってくる。鍋を洗いながら、後ろで何が起こっているのか。前菜を注文されてるとか、点心が出ていないとか。何番テーブルがどうとか。わかってくるんです。
洗い物をしていても鍋の音は耳に入ってくるから、その鍋の音で「あ、料理が上がるな」ってなったら、洗い物をやめてお皿を出してそれを運ぶ。それが「背中に目、耳をウサギ」っていうことだってわかってきたんです。
「音」から調理の動きを理解するという感じでしょうか。“ジャー”とか“シャー”っていう鍋の音で、「あ、炒め物だから早く上がるな」とかがわかってくると、今自分がこの作業をしていても、その音を聞けば何秒後、何分後に動けばいいかがわかってくるんです。
「背中に目」ですか!中国料理ですと、鍋洗いも重そうですね。最初はみなさんそこから始めるのですか?
脇屋氏:
そうですね。鍋洗いは必ず経験させられる。手のひらに、鍋だこっていうのができるんです。たこが痛くて持ちづらかったりするんだけど、いつの間にか手に馴染む感じになるんです。
だから鍋洗いっていうのは、鍋を洗っているうちに、振ってはいないんだけど鍋を扱えるようになるんです。自在にね。
脇屋シェフと同じように、まったくわからない状態から始めた人は他にもいましたか?
脇屋氏:
いや、僕だけだったと思いますよ。調理師学校を卒業している人がほとんだった。当時僕が15歳でみんな19歳ですよ。でも、その年に入ってきた人はみんな同期。年齢は関係ないんですね。だから、4~5歳年上の人を呼び捨てで呼んでました(笑)。
でもやっぱり、調理師学校に行って知識を学んでくるのと学ばないでくるのとでは、最初は戸惑いがありましたね。やがて、半年もすると言ってることもわかってきて、負けたくないっていう意識があるから、一生懸命やっていました。
料理の世界に入って初めて調理した料理は何ですか?
脇屋氏:
最初に作ったのはチャーハンでした(笑)。お客様にお出しするものではなくて自分で食べるものですけど。