出会ったすべての料理人、そして料理が私の先生。どんなことからも人は学べる。

中国料理「故宮」
王 憲生

■幼少期に培われた料理への好奇心

小さな頃から料理がお好きだったのですか?

王氏:
中国で過ごした子供の頃は、食べることが楽しみでしたね。貧しかったので、自分で川で魚を採ってきて、料理の真似事のようなことをしていました。鱗もついたまま料理していましたよ(笑)。

両親が働いていたので12歳頃には、家庭料理ぐらいなら作れるようになっていましたね。水餃子とか蒸しパンとか、そういった簡単なものです。勉強も好きだったのですが、当時は社会情勢もあり、そこに専念することはできなかった。いろいろあって料理人をめざすようになりました。

勉学を続けられないなら、技術で生きていかなければならない。それは厳しい道かもしれないけど、技術をつけたら、自分が作った料理でたくさんの人に喜んでもらえるだろう、そんな希望を持って料理人への道を選びました。

最初は、香港で修行をなさったとか。

王氏:
19歳で香港に行きました。最初に働いたのは、300席もある大きな中国料理のお店です。もう、40年前だから、今は残っていないお店ですけどね。とにかく大きかったので、任されたのはずっと雑用。1年くらいは野菜を切った後の掃除をしたり、料理といっても肉を切るぐらい。何も料理のことなんて分かっていませんでした。

中国では点心と料理は、やる人が別なんです。点心や飲茶をする人は朝3時に来て、11時に帰る。料理をするコックは、その後に来る。今の日本だと、人がそこまで潤沢にいないから料理人はどっちもやるけども、向こうはそんな感じです。そういう環境で、僕は料理をするコックのほうで働いていました。

ゼロから料理を覚えるのと同時に、英語と広東語も勉強しましたよ。香港で働くには英語が必要でしたし、同じ中国語でも私は北京語を使っていました。昼間は仕事をして夜は週3回英会話学校で勉強する日々でした。

そんな風にして香港にある何軒かの中国料理屋さんで経験を積み、少しずつ料理の腕を磨いていきました。香港にいたのは、3年ぐらいかな。私にとっては、料理の基礎を学んだ場所です。

どうして日本へ来ることに?

王氏:
当時の香港には、日本人旅行者がたくさん来ていたんですね。私が働いていた店にも、とても多くの日本人観光客がいらっしゃいました。でも、香港には日本語が話せるような人は全然いなくて、日本語を話せるだけで旅行ガイドで食べていけるような感じです。

そこで、日本という国に期待と言うか、可能性のようなものを感じたんですね。日本語を覚えるのも良いかな、なんて感じで日本に行くことを決めました。日本へ来たのは、1985年のことです。

日本での経歴についてお聞かせください。

王氏:
日本に来て最初にお世話になったのは、心斎橋にあった中国料理店です。

その後、三宮で料理長を経験した後、京都のホテルの中国料理店でお世話になりました。そこは日本料理店が隣になったので、日本食についてたくさん勉強できたことはとても良い経験になりました。京都で過ごした時間は、中国料理しか知らなかった私にとっては、刺激的な体験の連続でしたね。その後、ウェスティンホテル大阪でお世話になっています。

中国から日本に来て大変だったのが、食材の違いですね。中国料理で使う乾物や調味料がなかなか手に入りません。野菜も中国とは違います。日本の食材に合わせて料理することを少しずつ覚えていきました。

いろいろと苦労されていたんですね。当時の中国料理はどんなものだったのでしょうか

王氏:
当時、日本で中国料理といえば、北京料理を指しました。油を通して調理する料理が多く、中国料理イコール脂っこい料理、と思われていたような時代です。

そこから、陳建一さんのお父さん陳建民氏が四川料理を持ってきた。日本での四川料理は、陳親子が広めたと言ってもいいですよね。さらにその後、そう、30年くらい前に周富徳さんが香港からシェフを呼んだりして、広東料理が広まってきたんですね。

中国料理の中でも、特に広東料理は日本人の口によく合います。脂っこいだけでなく、素材の旨味をきちんと引き出す料理で、日本食にも通じると思います。だからこそ、広まったんでしょう。

中国料理「故宮」

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