世界に通用する「Yakitori」を目指して。常識や前例にとらわれず、時代の先をみながら挑戦しつづける焼鳥界の先駆者

バードランド
和田 利弘

■試行錯誤しながらの店舗運営から、成功への歴史が始まっていた。

焼鳥店として初のミシュラン獲得。和田さんのこれまでの経験について興味を持っている読者は多いと思いますが、まずはお店立ち上げ時のことについてお伺いさせてください。現在「バードランド」は焼鳥をコース(6,000円~)で提供されていますが、最初から高級路線だったのでしょうか。

和田氏:
一番最初はモツ焼屋から独立しましたから、全然そんなことはありません。

モツ焼屋で働いていた当時の客単価は700円でした。焼き鳥一本60円。モツ焼1本60円。焼酎・日本酒一杯130円。煮込みが130円。安いでしょ?(笑)。

だからその延長線上で、最初はSPFの豚の内臓のモツ焼屋をやろうと思っていました。でも当時まだ入荷が安定していなくて。仕方なく鶏肉専門の卸店が近くにあったので、そこの「地鶏」って書いてあるものを使って焼鳥屋を始めたんだ。あとで、それが地鶏というものではないとわかったんだけども。

それで、大皿惣菜なんてものを置いて、ビールはハートランドで、地酒があって、バーボンもあるみたいな。バーボンも当時他の店では6年物を通常置いていたりしたんだけど、うちでは最低でも8年物の良いものを置いていた。それも並行輸入のものを買ってきて、安く出していました。

ハードリカーやワインなんていいお酒を始めたのも、「当時周りでやってなかったから」ってことと、「お酒の味は変わらないから、最初から店にはいいお酒を置きなさい」と言ってくれた「梁山泊」の橋本憲一さん(※1)がきっかけ。そうするといいお酒に見合う料理にしなくては…って料理のレベルを上げる努力をすることにもつながって相乗効果でした。

※1:「梁山泊」
京都・百万遍の路地奥で荘厳なムードを放つ和食店。店主の橋本憲一氏の著書は『包丁一本がんばったンねん!』など多数。

焼鳥店を始めたきっかけが、SPFの豚モツの流通が悪く、近くに鶏肉の卸店があったから、とは驚きです。

和田氏:
だから当時はいくらのお客さん層を狙おうなんてこれっぽっちも考えていなかった。
実際に出しているメニューを足し算していったら2500円くらいだったのかな。ちょっと寄ったら普通に出すくらいの客単価だったと思う。

客単価の話をするとき、僕はいつも当時居酒屋には必ずあるメニューだった冷やしトマトの例えをするんだ。それが店では大体250円~300円の値段で出されていた。仕入れ値の3倍っていうのは良心的な値付けだから、100円の仕入れを300円で売るって感じかな。

ちょうどその頃、1個300円の高いトマトが出始めて、買ってみたんです。普通の値付けだったら3倍だから900円になっちゃう。それだと高いでしょ?だから「200円の利益」ってところを変えずに、500円で売ってみた。

つまり原価率は悪くなるけど利益は一緒。500円でも高いと思うけど、味は絶対美味しいはず。絶対美味しいですよ、って言いきらないところがミソね。結果食べた人が「そう言われるとうまいねー」なんて好評だった。

焼鳥も同じ。良いものを仕入れて、原価は高いけど、安い鳥と同じ分の利益をのっけてやっていた。そうやって実際お客さんが食べると、高くないって感じてもらえるようにしたの。

リーズナブルに品質のいいものを出し、徐々に高客単価に見合うお店作りをしていったのですね。

和田氏:
たとえば、ある雑誌でうちのレバーパテが紹介されることになって、その日からいつものメニューにレバーパテをプラスして、少しずつ客単価が上がっていった。それから今度は親子丼が紹介されて。またプラス親子丼って感じですね。

そんな風にして、客単価は徐々に上がっていったんだ。1995年に22坪の店に移転した時にはもう客単価が5,000円になっていました。

■周りの支え+独創性に富んでいたからこそ、成長していったバードランド

お店の内装・外装自体も当時からこだわりはあったのでしょうか。

和田氏:
最初のお店の開店時、父親に退職金1000万円を貸してもらいました。阿佐ヶ谷で7坪の物件なんだけど、保証金がなんと800万円!! これでは大工も頼めない。すべて自分でやるしかなかった(笑)。

店先でトンテン作業やってたら、酒屋の営業が「店の名前を決めないとビール会社に冷蔵庫の申請ができない。」と言ってきた。ジャズが流れる焼鳥屋だから「バードランド」でとりあえず出しておけと…。でもいざ開店のときには変更できないとわかり、そのまま店名になった(笑)。

昔いた店は薄利多売でシャッター開けたらオープン!って店だったから、お店の作りもガラス張りにした。だって中が見えたほうがいいかな、と思って。

※2:「バードランド(Birdland)」
米国・ニューヨーク市マンハッタンにあった往年の名ジャズクラブ。1949年当時ジャズのメッカだったブロードウェイの52丁目にオープンし、ジャズの黄金時代を牽引した。

当時の阿佐ヶ谷では、中が見えない店の作りが主流だったと伺っています。その中でガラス張り!入りづらいと思ったお客様もいたのでは?

和田氏:
前を通る人は、「こんな落ち着かない店なんて!」と言ってたようです。
だけど外は暗いから、マジックミラー効果で、外から覗いている人がいたとしても、中のお客さんからは見えない。暗い通りの中で一軒だけ明るいので気になってしまう。

実は「気になるけどなかなか入れない店」って、飲食店ではいいことなんだ。
入りやすさが大事って昔はよく言ってたけど、そうなると「どうでもいいお客さん」まで入ってきちゃう。その点、気になるけど入りづらい店って、意を決して来るから、最初から「いいお客さん」。冷やかしじゃない。ある程度お金を使ってもいいぞって意気込みの人なんだ。

そうこうしているうちに飲み物も食べ物も良いもの・面白いものがたくさんあるねって評判になり、お店にお客さんが殺到するようになったんだ(笑)。

開店8年目(1995年)で店舗は3倍の広さに拡大。移転時にはどのような経営計画を立てていたのですか?

和田氏:
信用金庫の融資係が「1日に何回転しますか?」と聞くので「1回転で損益分岐点を越えます。」と。

当時は「客単価2,000円で3〜5回転する」と応えるのが普通でした。うちの7坪の店は1日の売上が10万円で客単価が5000円。「22坪の店は客席が32席に増えるので、一回転すれば赤字にはならない。」と応えると満額融資になりました。

ちょうどその頃は、世の中のサラリーマンが週休2日制になる移行時期で。一般企業に勤めて、1000円握って毎日飲みに来ていた人達が仕事で忙しくなってしまった。でもそれは逆に、週に1度で5000円は使ってもらえるということでもある。バブル景気が下火になっても、いい味を知ってしまっている大人は、せっかく行くならいい店に行きたいって思っていたわけです。

周りの方々に助けられ、世の中の動勢を上手く予測したことで、大きく成長できたのですね。

バードランド

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