多様性と豊かな文化に育まれたペルー料理を追求し伝えていきたい

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ヴィルヒーリオ・マルティネス(Virgilio Martinez)


Photo By Gustavo Vivanco

◼世界を旅したい。南アメリカを離れ、ストリートボーイからシェフの道へ

もともとは、シェフになりたかったのではなくて、プロのスケートボーダーになるのが夢だったそうですね。

マルティネス氏:
はい。9歳の時に始めたスケートボードを18歳まで続けました。朝9時から遅い時は夜8時くらいまで、本当にスケートボードに熱中していました。しかし、プロで生きて行くには、道具や生活費など、お金がかかる。地元ではスポンサーが見つからなかったので、スポンサー探しのために参加したアメリカ・カリフォルニアの大会に出場中に肩を壊して、スケートボーダーへの道を諦めました。

それからすぐシェフになろうと決めたのですか?

マルティネス氏:
父は弁護士、母はアーティストでした。仕事で忙しい父とは滅多に会わなかった代わりに、母との距離感はとても近かったのです。母は4人の子供を隣に、絵を描いたり、コラージュをしたり、彫像を作ったりと、コンテンポラリーアートの作品を作っていました。私は、母の血を引いてアート好きでした。母方の祖父もアーティストでした。祖父は病気で家にずっといたのですが、知恵の塊のような人で、彼の話を聞いて、いつも好奇心を掻き立てられていました。

そんなわけで、何かアートに関係することをやりたかったのですが、当時のリマにはあまり選択肢がありませんでした。当時のリマはとても安定志向で、大学に行って弁護士や医者になるのが良いとされていたのです。私の将来を心配した両親の勧めで、法律を勉強するためにペルーの大学に1年間行きましたが、結局辞めてしまいました。

学校を辞めて、料理を学ぶためにカナダに行くわけですが、シェフになりたくてカナダに行ったのですか?それとも、カナダに行きたくて、料理の道を選んだのですか?

マルティネス氏:
今は自分が南アメリカ人であることをとても誇りに思っていますが、当時の南アメリカは、経済の状態が安定しておらず、テロも頻発していました。若かった自分にとって魅力的な場所ではありませんでした。

料理学校に行こうと思ったのも、ペルーという国に自分がまるで囚われているように感じ、そこから抜け出したい一心からです。シェフになりたい、という以前に、ここを出て世界を旅したかったのです。

では、なぜ最初にカナダを選んだのですか?

マルティネス氏:
カナダのオタワに友人が住んでいたから、という単純な理由です。一緒に住めば宿代はかからないし、料理学校もあると聞いたからです。

もともと料理を仕事にしようと思ったのは、世界中を旅していて、手に職があればどんな場所でも生き抜いていくことができる、と思ったからです。なので、レストランを変わる度に、違う街に行っていました。

最初の頃は、単にどう料理を作るかを学んで、レシピに従っていただけだったのですが、これが本当に自分の天職だと思うようになったのは、5年くらい経ってからでしょうか。ロンドン、ニューヨークと、多くのシェフと働き、見たこともない伝統や、異なった食文化を開拓していく中で、異なった食文化同士が出会い、大きなムーブメントとなるのを実感し、そのダイナミズムに魅了されました。

私は、プロスケートボーダーになりたくて街中でスケートボードをしていたような、いわゆるストリートボーイ。元気を持て余しているタイプで、今もそういうタイプです。そんな私の性格と、世界中を旅することができて、かつ厨房でアクティブに動き回らないといけない料理の仕事は合っていたのだと思います。

Photo By Daniel Silva

◼レストランを変える度に違う都市へ。異文化の中で気づいたペルーへの想い

世界を旅する中で、設定していた目標はありますか?

マルティネス氏:
世界を知るというのが私の当初の目標でした。数ヶ月、あるいは1年位で、違う場所に移りました。レストランを変える度に違う都市に移動したのです。

オタワに1年、NYに1年、ロンドンに3年、スペインにも、ドイツにも、そこに住んで料理をしていたのです。

東南アジアでも6ヶ月過ごして、シンガポールのフォーシーズンズの中国料理店、「江南春」でも数ヶ月働きました。フレンチが好きだったのですが、アジアでは違う技術を身に付けたいと思ったので、点心を作ったりしました。残念ながらあまり上手ではありませんでしたが。

とにかく、昔から私はルールに従うのは苦手でした。私の行動規範は、より困難で難しいこと、人と違うことをするということです。

そして、キャリアを重ねるうちに、微妙な感覚にとらわれました。私はペルー人なのに、常に外国の、ペルーでないものを作っているわけです。フレンチ、イタリアン、様々な料理のキャリアを重ねても、自分たちの文化であるペルー料理は作っていなかった。

そこで、自分に問いかけました。当時の私には二つの選択肢がありました。ペルーに戻らずに、当時流行していたコンテンポラリーなヨーロッパ料理をするという選択。

そして、もう一つは、南アメリカに戻って、ペルー人と共に、ペルー人としての自分にしかできないことをやる。その二つをどちらが困難で新しいか、と言う自分の基準に照らして考えた時に、ペルーに戻る、というのが選択肢でした。

それと同時に、南アメリカ人であること、南アメリカ人のパーソナリティを持っていること、南アメリカに住んでいることを誇りに思う気持ちもありました。

そこで、オープンした、レストラン「セントラル(Central)」すぐに今のような新しい形のペルー料理を提供し始めたのですか?

マルティネス氏:
フレンチシェフとしてNYの最高級フレンチ、「ルテス(Lutece)」でクラシックフレンチを学ぶなど、フレンチレストランでの経験が長かったので、ペルーに帰ってきた当時の技術のベースは完全にフレンチのものです。しかし、フレンチの既存のルールに縛られるのは、嫌だった。ペルーでは食材が違うのに、なぜフランスのルールに、無条件に従わなくてはならないのだろう、ペルーにいるのであれば、ペルーのリアリティのあるものを作りたいと思ったのです。

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アクセス
Jr. Dos de Mayo 253, Barranco, Lima, Peru
http://www.centralrestaurante.com.pe/
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ランチ / 12:45~15:15
ディナー / 19:45~23:15
定休日
日曜日