チャンスはいつも自分の近くにある。自分がそれを、つかめる状態でいるかどうか

北新地 福多亭
鵜飼 浩

北新地 福多亭 鵜飼浩

■チャンスはいつも自分の近くにある。それを掴むのは自分自身。

それはラッキーというより、日々の努力の結果だと思います!

鵜飼氏:
よく人は、「チャンスがある」とか「チャンスがない」とか言いますが…僕はチャンスって、いつもあるものだと思っています。いつも自分の近くにそれはある。ただ、自分がそれをつかめる状態でいるかどうかなのです。そして「必ずできる」と信じること。人がなんて言おうと…人が言った通りになることの方が少ないですから。

他のスタッフが10時に来るなら9時くらいに行こうかな、と思ってしまいそうですが、そこまでストイックに自分を追い込めた理由はなんでしょうか?

鵜飼氏:
それは考え方だと思います。1年間は料理をさせないと言われましたので、じゃあその間は何をやろうか?と考えまして、掃除のプロになろうと決めた。そして朝は椅子を全部あげて、大理石の床に水を撒き、デッキブラシで磨いて、手で拭いて…。最高に気持ちいい空間を作ることならできると考えた。昨日は電気の傘を拭いたから今日はナシでいいじゃなく、毎日拭く…という気持ちで掃除しました。すると掃除にも3時間はかかりますから…自ら進んで6時に行っていたのです。

そしてライバルは同僚ではなく、先輩。先輩より少しでも上に行きたかった。先輩と自分の違いを考えたら、働き始めた時間が違うだけなんです。ですから僕が朝から晩まで休まず働き続けたら1年半くらいで先輩に追いつける計算になるわけです。ですから休憩時間もほとんど取らなかったですね。

1軒目のお店を辞めてからはどのようにされたのでしょうか?

鵜飼氏:
とにかくイタリアで修業したい。そこで、料理のアルバイトはしないと決めて、居酒屋とピザ屋のホール係でお金を貯めるためだけのアルバイトを掛け持ちして、朝9時から夜中2時まで働きました。
途中で料理できるのがバレて、居酒屋の方は途中で板長になってしまいましたけど、笑。そして目標額の300万円を貯めました。

イタリアの修業先はどのように探されたのでしょうか?

鵜飼氏:
イタリアへのツテはゼロでした。アルバイトをしながらイタリア語を勉強していたので先生に相談したところ、「領事館に行ってみたら」とアドバイスされました。
そこでイタリア領事館に相談をしてみると、イタリア料理が学べる施設の住所と電話番号リストをもらえて。そのリスト全部に「私はイタリア料理に興味があり、そちらに行きたいと考えているので資料が欲しい」と手紙を出したのです。
50通ほど送った手紙に7通ほどの返事があり、その中で外国人枠が2つだけあるホテル学校へ行こうと決めました。
ちゃんと入学できているかも分からないままでしたが、行けばなんとかなるだろう…とホテルも取らず、片道航空券を買ってイタリアへ行ったのが25歳の頃でした。

北新地 福多亭 鵜飼浩

■反発を感じ苦しんだ1年目と、マルケージ氏との出会い。

イタリアでの生活はいかがでしたか?

鵜飼氏:
入学したホテル学校は外国人ばかりで、ビジネス的なスキルの他に、高校生レベルの勉強と料理の勉強があるスクールで、料理は全体の6分の1くらい。教科書もなく、先生がテキストを読む授業でついて行くのに必死でした。全部テープで録音して、丸暗記して試験に臨みました。結構ちゃんと勉強しましたので…今もイタリア国憲法第一条を覚えているくらい、笑。

授業では先生が「イタリアのコーヒーの技術は世界一だ!」と教えていて、イタリアに対する誇りをすごく感じましたし、それがちょっと過剰すぎるくらいで…。物事に対する捉え方や考え方の違いに一番驚きました。言葉を理解する難しさだけでなく、イタリア人の物の考え方や理解の仕方を学校で随分学びました。

日々の暮らしも、イタリアはバスが遅れて来るのも当たり前。日本では考えられない非常識なことが日常的に繰り広げられるので、カルチャーショックの連続。最初はそれを全然受け入れられなくて…最初の1年はすごく苦しかった。

イタリア人は非常に快楽的な気質がありますし、すごく堕落しているような気がして、どうしても受け入れることができない。無理だ、日本に帰ろうと本気で考えました。でもそう考えると、とてもさみしい気持ちが同時にこみ上げて…やっぱり残りたい。そして「自分が変わるしかない」ということに気がついたんです。
イタリアを愛そう、理解しよう…そう気持ちを切り替えてからは、とても気持ち良かったです。

イタリアではどのように料理修業をしたのでしょうか?

鵜飼氏:
最初に入ったのは紹介してもらったトラットリア。学校へ行きながらで週4回程しか行けなかったのですが、店がとにかく汚くて…ちょっと無理だと感じて、紹介してもらった方に伝えたところ「そんなこと言ってたら、マルケージに行くしかないよ!」と言われた。「マルケージってなんか聞いたことあるな」と思い調べたところ、マルケージ氏がシェフを務める三つ星を獲得しているお店で、「一度行ってみよう」と考え、履歴書を書いて訪れました。

行くと事務所の方に「紹介状は?」と聞かれ、ないと答えたところ笑われてしまいましたが、用意した履歴書や調理師免許、イタリア語が喋れる証明書を提出したところ、「無理だと思うけど、とりあえずシェフに言っておく」という返事でした。
そして1週間後に、シェフから電話があり「イタリア人がイタリア料理を学ぶのと同じように、自分も修業をしたい。」と伝えたところ、面接に来いという話になり…入れることになりました。

マルケージ氏の店はイタリアで1番最初に三つ星をとった最高峰のレストランで、本来は紹介状がないと入れない店だったので…ラッキーだったと思います。
ただ、断られそうな理由をできる限り無くすように準備はして行きました。店のすぐ近くに引っ越したりしてアピールしましたね。

店に入ってみていかがでしたか?

鵜飼氏:
僕は三つ星レストランに一切興味がなかったのですが、マルケージで働いて、生まれて初めて心地よさを感じました。店の緊張感や真剣さが本当に心地良かった。現場が殺気立っていましたし、真剣さが全然違うのです。

系列店が3つあり最初はランクが一番下の店に入りましたが、店に入ってみじん切りしていたら「ちょっと来い」と言われて。すぐ次の店へ行くことになったので、最初の店の修業は10分で終わりました、笑。

次の店から本店へ行くのは少し時間がかかりましたが、本店とはスタイルも別でしたし、とても勉強になり、全てのセクションをみさせてもらいました。
本店にいたのは1年くらいです。ちょうどその時にマルケージのフェアを東京のニューオータニで開催することになり、フェアのスタッフに入れてもらえることになりましたので、それを機に帰国しました。

そしてその時、大阪に帰らせてもらい、母が余命3ヶ月だと知りまして…。
イタリアへ帰るともう母の顔が見れなくなると思いましたので、心残りはありましたが日本に残ることを決めました。

日本へ帰ってからはどのような活動をされたのでしょうか。

鵜飼氏:
自分でいろんなことは見たけれど、まだ自分の形にはなってない状態でしたので、いっぱい宿題を抱えているような気持ちでした。
知り合いのところでイタリアンを手伝ったり、料理学校の講師をしたり…いろいろなことにチャレンジしました。講師の仕事はとても楽しくやりがいもあったのですが、阪神淡路大震災があり学校が終わってしまい、働いてみたい店もなかったので、思い切って29歳の時に自分の店をオープンしました。

北新地 福多亭 カウンター

北新地 福多亭

お問い合わせ
06-6341-8588
アクセス
〒530-0002 大阪府大阪市北区曾根崎新地1丁目11−19 北新地スタービル
JR東西線北新地駅から徒歩1分
営業時間
12時~14時30分、17時30分~23時30分
定休日
日曜・年末年始