[New] Foodionでのインタビューが書籍になりました!

ボールを仲間にパスする心を持ったチームをつくる

旬彩天 つちや
土阪 幸彦

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■寿司職人の魚さばきに憧れて料理の世界へ

この世界に入られたきっかけは?

土阪氏:
僕の父親は大工の棟梁で、滋賀の田舎で工務店を営んでいました。ただ僕には兄がいて、父のあとを継ぐわけでもなかったんです。高校に入っても、将来何をしたいというのが全くなくて、クラブ活動したりアルバイトしたり、普通の学生でした。2年生の夏休みに、小さなスーパーでアルバイトを始めました。その時にたまたま配属されたのが、魚売り場だったんです。ラップして重さを計ってテープを貼って陳列するという簡単なアルバイトでした。

ある時、お造りの盛り合わせのオーダーがあり、近くのお寿司屋さんがヘルプで来たんですね。そこの職人さんが重さ10キロを超える鰤(ブリ)をものの見事に、うろこをかいて、腹を開けて、内臓を取って、水洗いして、おろして、お造りに敷いて、あっという間に仕上げていったんです。その姿に僕は圧倒されました。

「魚をさばくってカッコいい。料理ができるってカッコいい」という本当に単純な感動です。毎日の食事を作ってくれる母親にも「これ何が入ってるの?」「これどうやって作ったん?」なんて聞きはじめて。卒業後は大阪にある調理師学校の寮に入り、料理人をめざして1年間勉強しました。

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■18歳、生涯を通しての師匠に出会う

最初に店に入ったのはいつでしょう?

土阪氏:
調理師学校に在学中、寮で斡旋してもらったアルバイトで、いわゆる高級串揚げ店に入ったのが最初です。店主は日本料理で腕をみがいた方で、串揚げと日本料理のお店でした。この方が、僕の生涯を通した師匠となる牟田(むた)さん、「おやっさん」です。今は京町堀(西区)で「鮨 む田」という寿司店をされています。

牟田さんという師匠に出会われたんですね。土阪さんは44歳だから、今から26年前です。日本料理というと「追い回し」からスタートして、厳しい修行の世界というイメージがありますが、どのようなものだったのでしょうか?

土阪氏:
いや、そうですよ。おやっさんは怖かったし、厳しかったです。僕も、しょっちゅう怒られていましたよ。正直、楽しいことより、苦しいことの方が多かった(笑)。でもあの時代がなければ今はなかった、と思える良い時代でした。怒られてばかりいたので、お客様から「がんばりや」と言っていただいたことを、すごく覚えていたりするんです。そのとき「がんばりや」と言っていただいたお客様のなかで、20年経ってこのお店に来てくれてる方もいるんですよ。

すごい縁ですね!そのお店には何年いたんですか?

土阪氏
4年ほどです。次の店に移るきっかけは、おやっさんからの言葉。次のステップとして別の店で仕事してみないか、とおっしゃられたんです。でも、店のスタッフが余っていたわけじゃない。仕事に慣れて即戦力となっていた僕を外に出すのは、どう考えてもおやっさんにはリスクだったはず。でも「この店は俺が頑張る、お前は他の店で、もっともっと仕事を覚えろ」と。そんな親心みたいなのが、僕には身に沁みました。それでお店を移ることを決めたんです。

牟田氏という生涯の師とも言える人と出会った土阪氏。料理人としての道を歩んでいく土阪氏にとって、彼は節目節目で背中を押してくれる、大切な人物だったという。

旬彩天 つちや

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