厳しい修業を乗り越えた心から一流のものは生まれる

鮨 天ぷら よう山
那佐 剛

鮨天ぷらよう山 那佐剛

■本物の和食が学びたい!と料亭修業へ

店を移られたきっかけはどのようなことでしたか?

那佐氏:
「福すし」で4年半が経ち、短期間ですごく成長させてもらえて、立ちまでいきましたので居心地は良かったし、先輩にも後輩にも恵まれていました。でも「元々、自分がやりたいことは何や?」ということを考えた時期でもありました。

僕は魚が大好きなので、本当にいい魚を扱いたい。でも働いていた鮨屋さんは大衆的な雰囲気の店ですから、養殖の魚も沢山置いてありますし…自分が目指す目標と違うのじゃないかと…欲が出てきた。ちょうどグルメブームで「美味しんぼ」が人気だったりして「一流の店で修業してみたい!」という思いもありました。

僕は最初から「将来は独立して美味しい魚を食べてもらう店がしたい」という目標がありましたから、鮨屋さんの料理だけじゃなく、もっと料理の技術も磨きたかった。そこで縁があって「つる屋」という大阪の料亭で修業をすることになりました。

「つる屋」でお世話になった主人もまた素晴らしい人格者でした。面接の時に「車の免許は持っているの?」と聞かれたので「持っていません」と答えたところ、「万が一、あなたが料理以外の道に進む時に運転免許が無いのは大きなマイナスになるから、まずは運転免許を取ってからうちに修業に来なさい」とおっしゃっていただいて…とても懐の大きな方でした。

料亭での修業はどうでしたか?

那佐氏:
正直言いますと「そこそこ通用するやろ」と思っていたのですが…全く通用しなかった(笑)。鮨屋では天ぷらも揚げていましたし、なんでもできる気になっていたのですが…仕事に対する姿勢が全く違っていました。

例えば、前の店では「握り盛り合わせ」は750円くらいですが、「つる屋」では一番安いコースで25000円です。もちろん一品にかける思いも手間も違いますし、器もとても高価ですから、器の洗い方ひとつ違う。修業は一からというよりも、変な癖がついていた分マイナスからのスタートでした。

調理場でも最初は「他所もん」という扱いを受けましたし、正直辛くて…寮から店へ行く200mくらいの坂道で足が重くて上がれない(笑)。

居心地の良い世界を飛び出してしまったことへの後悔はありましたが、「想いが詰まった自分の店を持つんや」という夢を実現するためには耐えるしかない、そう思い直して頑張りました。

鮨天ぷらよう山

修業の内容はどのように違いましたか?

那佐氏:
和食の世界は、追回し、八寸場、焼き場、煮方‥とすべての場所で基礎から修業をすると10年かかると言われる厳しい世界です。その環境に馴染むだけでも3年はかかりました。でも3年を過ぎると厳しい板場ではありましたが、個性を理解してもらえ、認めてもらえるようになって、料理もさせてもらえるようになりました。

特に最初の店と大きく違ったのは、チームで仕事をするということでした。鮨屋はどちらかというとピンでカウンターに立ちお客さんと対面する仕事ですが、和食はチームでなかったら無理。これが決定的な違いだったと思います。
チームプレイを学ぶとても良い機会になりました。料理全体の流れをしっかりと把握し、それに応じた動きをするためには、全てを頭に入れて先を読まないといけないのです。それが修業時代にしっかりと体に叩き込まれていると強いし、基礎になる。そう思います。

先輩との関係はいかがでしたか?

那佐氏:
何をやっても怒られるとても厳しい先輩がいまして…特に天ぷらにすごく厳しい人だったのですが、天ぷらの難しさと奥深さはその先輩に教えてもらいました。

いまでも天ぷらが一番難しいですね。自分でも本当に納得いく天ぷらを揚げれるのは年に数回あるぐらい。それぐらい難しく深いなと思います。

ちょうど3年過ぎた頃に、ちょっと良い話が来たこともあって「店を辞めたい」と思った時があって。先輩に相談したところ「ここまで頑張ってきて、ここで辞めてどないするんや。天ぷらをもっと極めてからでもええんとちゃうか?」と真剣に引き留めてくれた。

いつも僕だけがその先輩に怒られていたので「嫌われてるんかな」と考える時もありました。後で知ったのですが、僕の知らない所でその先輩がものすごく僕のことを庇ってくれていたりしてたんですね。とても期待してくれていたからこそ厳しくして、僕を成長させてくれていたんだとわかりました。

鮨天ぷらよう山 外観

鮨 天ぷら よう山

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