■レストラン経営から大学での研究、学校運営、奉仕活動など、幅広く活躍するマルクス氏。その料理人への道
マルクスさんは幅広く活躍されていますね。簡単にご紹介いただけますでしょうか。
マルクス氏:
まず、このパリ、マンダリン オリエンタル ホテルにある二つ星レストラン(Sur Mesure)を2011年にオープンしました。そして、去年11月にはパリ北駅構内にレストランをオープンしました。鉄道側からの依頼で、駅構内の環境を一変できるような、高い品質のものを出す店を開いてほしいという希望だったのです。これまで複雑な事情を抱えた駅だったのですが、ヨーロッパで一番大きな駅でもあり、4、5年かけて状況を改善したい、とのことでした。
朝7時の朝食から始まり、深夜まで、気軽に利用できるけれども美味しい料理を提供しています。ウフ・マヨネーズ(oeuf mayonnaise)、パテ・アン・クルート(paté en croute)、コキーユ・サンジャック(coquille saint-jacquesホタテ)、ベトラブ(betteraveビーツ)などシンプルなメニューですが、パンも含めて全て駅構内で手作りです。8区のラボルド通り(51 Rue de Laborde, 75008 Paris)にはパンとサンドウィッチの店を2016年に開きました。ファスト・カジュアルをテーマに、大衆料理とパン屋を組み合わせて提案しています。
同じく去年9月銀座にガストロノミーとビストロの2つのレストランをオープンしました。マンダリン東京では2004年頃働いたことはありますが、日本にレストランを持つのはこれが初めてです。それ以前にも「コルデイヤン・バージュ(Cordeillan-Bages)」で働いていた時の4年間程、三國シェフのメニュー開発やパン作り等、いくつもの新規オープンの手伝いをし、大阪、福岡、丸の内など三國グループの発展に携わりました。毎年9月から翌年4月まで冬の間は営業しないレストランだったので、その間に日本に行くことができたのです。
レストラン事業以外の活動として研究活動に力を入れていて、オルセーの大学に研究室があります。普段は研究をしていて、講演会をすることもあります。2030年、2050年の食糧事情、水資源、農業も含めた研究をしています。ガストロノミーの世界は広く、栄養、健康、文化、農業、漁業、全てを含む分野なので、食に関わる学術が行える場を整えました。博士論文を食の分野で書いている学生たちもいます。
調理師学校も5つ持っていて、コロンビアとアメリカにも開校予定です。貧困など社会的な困難を抱えている人たちにとっても短い研修期間で手に職をつけるきっかけになるような無料の学校です。その他に、刑務所内での調理研修、サービスやパン作りも含め短期間で費用も低く職業訓練ができる施設づくりを国内各地で進めています。
お金のない人たちに温かい食事を提供する活動「心のレストラン(Restos du Coeur)」ではキッチン・アトリエ(料理教室)と文字が読めない方への読み書き習得のための活動をおこなっています。料理を創作する、お客さまに出すだけではなく、2020年、2030年、その先のことも考えていたいと思っています。
多方面でごかつやくされているのですね。料理人を目指されたきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
マルクス氏:
あまり食べ物を気にする余裕のないような環境で育ったので、パティスリーを食べる機会も稀なくらいで、家族の影響で料理を志したわけではありませんでした。ただ、パン屋の世界は面白いだろうと思っていました。ブーランジュリーについては席がなく職業訓練校に登録することができなかったので、まずパティスリーの研修から始めました。その後、18歳で軍隊に5年間入りパラシュート部隊に所属し、社会生活に戻った時、何をしたいかまだ決まっていなかったのでオーストラリアに行きました。
そこで、パティスリーの経験があったのでキッチンで働かせてもらえる機会に恵まれ、料理が好きになりました。フランスに戻ったとき調理師免許をとり、「ルドワイヤン(Ledoyen)」それから三つ星「タイユヴァン(Taillevent)」でクロード・ドゥリーニュ(Claude Deligne)のもとで働きました。彼は、会いに行ったら私を雇ってくれ、他のグラン・シェフを何人も紹介してくれました。彼との出会いの中で、本当にこの職業に就きたいと思うようになったんです。
そして、次に「ジャマン(Jamin)」でジョエル・ロブション(Joel Robuchon)のところで働いたことでも大きな影響を受けました。そのあとアラン・シャペル(Alain Chapel)のもとでも働くことになります。まず、最初は料理のルールを覚えることからです。それが身についたら、自分の料理をすることができる。ガストロノミーの世界では料理の土台となるルールを学ぶことができるんです。ルールはそう多くありません。動き、カット、火、そして時間です。正しく動き、正確にカットし、的確な火入れをし、的確なタイミングで料理すること。それさえ身につけることができれば、料理を楽しみ、創作することができます。しかし、正確な土台がなければ難しいです。正確な土台とは、魚をきれいにおろすこと、肉に的確な方向へ包丁を入れること、エシャロットを美しく刻むこと。それらができていないと料理は完成しません。
特に影響を受けた料理人は誰ですか。
マルクス氏:
アラン・シャペルです。彼の創作力と、食材に手を加えすぎずに味を最大限引き出すというスタイルから多くを学びました。また、ジョエル・ロブションは正確さを追求し、視野も広く尊敬しています。
Chef Thierry Marx, photographed on June 8th 2016 at the Mandarin Oriental, Paris
その後のキャリアについて教えてください。
マルクス氏:
1988年にトゥールにある「ロック・アン・ヴァル(Roc en Val)」で初めてシェフをし、一つ星をとりました。次に1991年、ニームの「シュヴァル・ブラン(Cheval Blanc)」です。そしてジロンドの「コルデイヤン・バージュ」に10年勤めて二つ星をもらい、2011年に「マンダリン オリエンタル パリ」オープン時にシェフとして招かれました。
「マンダリン オリエンタル パリ」オープンに抜擢されるなんて、どんなお気持ちでしたか。
マルクス氏:
本当は「マンダリン東京」にまた行きたくて、そういう話をしていたら「マンダリン パリ」を頼むと言われたのです。
日本との仕事はどのようなきっかけで始めましたか。
マルクス氏:
1992年です。それまで柔道のために日本に行くことは何度もあったのですが、そのとき日本料理と出会い、夢中になりました。「青柳」の小山さんからたくさんのものを学びましたし、私の料理哲学にとって大切な出会いとなりました。素晴らしいクリエーションをする料理人ですが、その土台として料理の基礎がしっかりとしていて、魚の卸し方もブイヨンも完璧、その上で食材で自由な創作をしています。フランス料理とは違った食材へのアプローチを知ることはいい勉強になりました。