■「女将」と「造園師」の仕事を掛け持ち。
まず飲食店をはじめられたきっかけを教えてください。
田崎氏:
実は私、本職は造園師なんです。若い頃、修学旅行で京都の苔寺を見て感動して「こういう庭が作れるようになれたら!」と憧れました。当時、造園の世界も男性中心でしたから、女性には難しい道のりでしたが、建築会社に就職し、憧れの造園師の仕事に就くことができました。
ただ、庭師などの下請けの職人さんも皆さん男性で、最初、私が現場で指示しても全然言うことを聞いてもらえませんでした。それでも大好きな仕事だから諦めたくない、と努力を重ねるうちに、徐々に職人さんに認めてもらえるようになり、次第に従ってくれるようになりました。そんな経験から、頑固な職人さん達とどうやって渡り合い、良い仕事をしていくのかを学ぶ経験ができて、それが今に活きていると思っています。
そして30代の頃に「造園師として独立し一匹狼でやってみたい!」と考えるようになりました。ただ造園の仕事って数も少ないので、造園師だけでは食べていけないなと。そこで、そごう百貨店近くのビルに「味一膳」という小さな飲食店をオーナーとして始めることにしたのです。それが「造園師」と「飲食店の女将」という、二足のわらじを履く最初のきっかけとなりました。
飲食店を営むのも女将業も、もちろん初めての経験ですよね?
田崎氏:
そうです、まったくのゼロから、お金を借りてのスタートでした。女将修業をしたこともありませんので、女将として店を切り盛りしながら、お客様に色々と教えて頂き、接し方を学んでいきました。私の実家は高知で皿鉢料理の店をやっていましたが、手伝ったことも無かったですし…親からの援助もありません(笑)。とても大変でしたが、でも苦労したとは思ってないんです、お客様に喜んでもらえることが本当に好きで楽しかったので、無我夢中でしたね。
そして女将の傍ら、造園の仕事も続けていました。昼は造園師として土にまみれて真っ黒になり、夜はお客様をおもてなしする女将になって…と、両極端ですが、その変身がいいんです!(笑)。造園師と飲食店の女将では、現場で使う言葉もまるで違いますよ(笑)。
■気難しい職人さんの懐に飛び込む。
女将として職人気質の板前さんを使うのは難しくなかったですか?
田崎氏:
私は、職人さんと対する時は、そのままの「素」でいくんです。気難しい職人さんの前では、つい「なめられたらあかん!」と肩肘を張ってしまいますが、そうすると相手も肩肘を張ってしまいます。私は分からないことは分からないと素直に聞きますし、年配の職人さんには「教えてもらおう」という姿勢で対するようにしています。もちろん上から目線ではだめですし…厳しい人にほど、あえて懐に飛び込んでいくのです。
私は骨董が好きなので、骨董の売り買いの資格も持っているのですが、骨董のセリ市も男性中心の現場。良い物を瞬時に判断し決断して、セリ落とさなくてはいけません。その荒々しい世界に女性の「しなやかさ」と「したたかさ」で入っていく。色気や可愛さではダメで、人の何倍も勉強して対等な関係になれるように努力し続けるんです。だからセリの現場でも「男以上やな!」って骨董屋さんのおっちゃん達が感心してくれます(笑)。
そして腕のいい職人さんはどうしても、いい素材を使いたい、いい器を使いたい…となりますが、それをそのままやると本当にお金がかかってしまいます。私はセリで上質な器を安く仕入れることができますし、店に活ける花も卸市場で直接購入します。
庭の手入れも、花を活けることもすべて自らの手で生み出し、お客様をお迎えする空間を自分でプロデュースしていくのです。庭師の親方も板前さんもそうですが、腕の良い職人さんほど、良い仕事を一生懸命していると必ず認めてくれます。そうして職人さんと信頼関係を築き、さらに良い物を一緒に作っていくのです。