何者でもない自分だから、もがき続ける

アノニム
加古 拓央

アノニム 加古拓央

■泣きながら仕事をした先に、新しい何かが待っている

当時は、どんな様子で指導をされていましたか?

加古氏:
みんなを雇う時、最初に約束したことがあります。それは「3年で卒業すること」。将来の目標は独立です。そのためにも、1年目でホール、2年目で調理全体、3年目でシェフである私の代わりを務める、ということを言い渡しました。正直に言って、かなり厳しい目標設定です。それだけに、みんなにはずいぶんときつく当たったと思います。

私のレシピはすべてオープンにして、いつでも見て構わないし、コピーしてもいい。わからないことは質問すれば何でも教えると約束しました。隠し事なんて何もありません。その代わりに、絶対にシェフである私よりも上手になりなさい。レシピも何もかもあるわけですから、できて当たり前。シェフよりうまくならないと価値はないのです。

無茶な要求ですが、彼らならきっとやり遂げると思いました。なぜながら、かつての私のように、夢や志はありながらも、伸び悩んできた若者だったからです。渋谷シェフも、藤田シェフも、履歴書を見てみると空白の期間が少なくなく、きれいな経歴を歩んできたわけではないと思いました。彼らの姿は、まさに過去の私の姿です。

何かをやりたい、でも何もできない。私自身、憧れた料理の世界の入り口でつまずき、いろんな寄り道をしてきました。でも、負けを認めるたびに、自分が何もできない存在であることを自覚するたびに、何か新しい道へ進んで来ることができたと思っています。そんな私だからこそ、私と同じタイプの彼らになら、大切なことを伝えられると思いました。伝えたかったのは「くやしさ」「ふがいなさ」「自分は何者でもないという事実を理解すること」です。

自分でいうのもなんですが、私の元での3年間は本当にハードです。だから誰もが、一度は泣きながら仕事をした経験があると思います。渋谷シェフだけは泣かなかったかな(笑)。でも、彼にも相当きつく当たりました。そして3年後、彼はストーブ前というシェフである私の持ち場を奪い、厨房の全権を任される存在になってくれました。私が考える2番手というのは、シェフの一段下ではダメなのです。メニューはシェフが考えますが、2番手はシェフ以上に厨房のことを知っていなければなりません。そんな2番手になって欲しいという期待に、渋谷シェフは見事に応えてくれたのです。

藤田シェフに関しては、同じレシピで料理をしても、なぜか彼が作るとおいしかった印象があります。先輩である渋谷シェフがフランス修業に行くことになった後、藤田シェフは続かないだろうなと勝手に思っていました。どこか頼りなさを感じる人柄だったのですが、気が付けば彼もフランスで修業していたことに、人間的な成長を感じました。

弟子のみなさんの現在の活躍をどのようにご覧になっていますか?

加古氏:
彼らの成長は、自分のことよりうれしいですね。厳しい・厳しいという話をしましたが、あくまでも仕事上でのことです。3人ともユーモアがあるので、みんなで仕事をしていた時は、冗談を言い合ったり、お互いをいじって笑いあったり、楽しい思い出がいっぱいあります。皮のついた鹿肉を仕入れて、店の裏手で皮を剥いで肉を解体したりしていたのですが、剥いだ皮を乾かして敷物にして、藤田シェフに「部屋で使えよ!」なんてやり合っていました。今は私1人で店をやっていますから、みんながいてくれた当時が懐かしいです。

フランスに行った藤田シェフから手紙が届いた時は、感動しましたね。彼は文章がとても上手で、気持ちが伝わるメッセージを送ってくれました。すぐにフランスの彼がいる店に電話して、それからもマメに連絡を取り合うようになりました。リヨンにいた頃は携帯電話も持っていたので、頻繁にやりとしました。

渋谷シェフと藤田シェフがフランスにいた時には、いろんなことを教えてもらいました。いいジビエ肉が手に入るルートや流通の仕組みなど勉強になったことがたくさんあります。彼らは私にとって弟子というよりも、分身のような存在でした。私がフランスにいなくても、2人からたくさんの情報が得られて、現地の様子を教えてくれるのがうれしかったですね。

アノニム 加古拓央

日本の料理界をけん引する弟子のみなさんの活躍は、これからも楽しみですね。

加古氏:
彼らは、すでに今の私を超えていると思います。過去に私が教えたレシピを自分のレシピとして高めて、素晴らしい料理を次々と生み出しています。とてもではありませんが、渋谷シェフや藤田シェフの料理は、真似できません。

彼らは今がまさに上り調子。どんどん高みを目指していって欲しいですね。もちろん私自身も、今よりも1つでも上を目指して頑張っていきます。でも、きっと藤田シェフたちが見ている山の頂と、私が登っている山の頂は違うものです。例えるなら、彼らは重装備で最高峰の山を行く登山。私が目指している山は、彼らよりは低いかも知れませんが、もっと気軽に楽しみながら挑む登山のようなものではないでしょうか。

そんなお弟子さんを育てた「エスパス・トランキル」ですが、一度お店をたたみ、2011年11月に「アノニム」として再スタートされていますね。どのような思いがおありだったのですか?

加古氏:
自分だけで店をやりたいな、と思うようになったんです。
弟子たちには「3年で卒業すること」を約束して入ってもらっていますので、弟子が独立した後の働き手を常に探すような状況でした。そんな状況が続き、いつしか人の採用や育成に疲れていました。それと同時に、小さい店を責任持って自分で全てまかないたい、と思うようになったんです。

もう一つは、料理のスタイルを変えたかった。「エスパス・トランキル」は伝統的なフランス料理と僕のオリジナルをかけ合わせていましたが、今度はユニークな僕らしい料理を生み出したいと思ったんです。
東京「カンテサンス(Quintessence)」の岸田氏、神戸元町「カセント(Ca sento)」の福本氏、そしてパリ「シャトーブリアン(Le Chateaubriand)」のイナキ(Inaki Aizpitarte)氏。リスペクトする彼らのように、料理のデザインにこだわりたかった。

そこで2010年に店を閉じ、2011年1月に「アノニム」を開店しました。このタイミングなら、自分が描くストーリーを料理で感じてもらえるかなと思ったんです。当時は、お任せのコース料理をする店は少なかったですね。

「アノニム」では、自分のフランス料理をどう更新していくか、自分のスタイルをどう作るか、常にもがいています。常に周りが気になってしまうのですが、フランスに行って自分のスタイルに正解が出るものでもない。今わかることは「自分自身はまだまだ何もわかっていない」ということに尽きますね。お客様にお褒めの言葉を頂いても、本当にまだまだだと思っているんです。そう思っていますし、日々自分にも言い聞かせています。

その中でわかってきたことは「素材がすべての答えである」ということです。プロヴァンスに居ればプロヴァンスの。ブルゴーニュに行けばブルゴーニュの食材を使った料理を作ることが当たり前なわけです。
自分は神戸にいるので、神戸で手が届くものを使う。素材ありきで料理を考えるようになりました。料理のレシピは関係ありません。だんだんレシピよりも材料を中心にシンプルに、そこにいくつかのアイディアを組み合わせる料理スタイルになりました。

フランス料理ってなんだろうな、と思うことがあります。この道を進むと、ガチガチのフランス料理というよりも、最終的にはシェフ個人のルーツを活かした独自の料理スタイルに落ち着くことも多いと思うんです。だから、フランス料理って実態があるようでない。僕の料理は、「僕の思うフランス料理」を形にしたものなんです。

それが、加古さんの哲学なのですね。今の「アノニム」のスタイルはしっくり来ているのですか?

加古氏:
いえ、それもまた違います。実は、「アノニム」は、2019年中には一旦閉めて全面改装を行う予定です。

かつては、妻にマダム業を任せて店を手伝ってもらいながら、子どもには店の裏で宿題をさせて、仕事をしながら育児もしてもらっていました。私の仕事に家族を巻き込んできたわけです。でも子供も大きくなり、これからはもっと家族のための生活を考えないといけません。そのためにも、完全に自分1人でまかなえる店にしたのが、今のスタイルです。

ただ、今度は経営者かつ一人でやっていくことに疲れてしまった。雇われになることも少し考えましたが、考えを整理した今、「誰かと一緒に働きたい」と思っています。なぜなら僕は、「弟子が成功する」という喜びを知ってしまった。あれだけ怒鳴り散らしたけれど、弟子が成功することは自分の店の成功よりも嬉しい。だから、今度の店は誰かを雇うことができるレイアウトにしようかなと。

そんな風に考えていますから、渋谷シェフや藤田シェフとは、今は目指しているゴールも、歩んでいる道も違います。でもいつかまた、彼らも今の私と同じような道を歩む日が来るのではないでしょうか。それぞれに歩んできた道が、どこかで再び交差する。そんな日がやってきてくれたら、本当にうれしいですね。

(聞き手:菊地由華、文:上田 洋平、写真:岡 隆司)

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