何者でもない自分だから、もがき続ける

アノニム
加古 拓央

アノニム 加古拓央

■2度のフランスでの修業を経て独立

フランスでの様子をお伺いできますでしょうか。

加古氏:
お世話になったのは、フランシス・ダローズ(Francis-Darroze)というシェフの店です。ダローズ家は代々アルマニャックの生産者でしたが、レストランも経営していて一つ星を獲得していました。片言のフランス語であいさつをして働き始めたのですが、厨房にはシェフがいらっしゃいません。その代わりに若い女性が厨房のスタッフにいろいろと指示を出していました。

後で気づいたことなのですが、その女性はシェフの娘のエレーヌ(Hélène Darroze)さんで、店はちょうど代替わりのタイミングでした。そのおかげで、私は当初の予想に反していろんな仕事を任せてもらえるようになるのですが、最初はグリーンピースの皮をむくような雑用からのスタートです。

店には日本人の方もいましたが、周囲の目を考え、あえて日本人同士で仲良くなり過ぎないように、私のことは構わないでいてくださいました。日本語を話すのも職場ではやめておこうという感じです。

毎日雑用をしながら、自分も厨房に入りたい気持ちでいたところ、気が付くとどんどん人がいなくなっていきました。4月に来た時は12人いたスタッフも、9月になると4人になってしまいました。どうも先代シェフの時代からいるスタッフとエレーヌの折り合いが悪いらしいのです。日本人の先輩も卒業されていって、ある時、肉を担当していたスタッフもいなくなってしまいました。

「じゃあ誰が肉を担当するんだ」となったわけですが、私も含めて誰も肉の処理が分かりません。でも誰かがやらないといけないわけです。私が担当することになりましたが、いろんなジビエ肉が届くたびに大変な思いをしました。すべてが手探り状態で何が正しいのかわからないままでしたが、どうやらエレーヌもわかっていない様子。ソースだけはきちんと作っていたので、お客様はおいしいと言って喜んでくださいます。そうこうしているうちに厨房で2番手を任されるようになって、なんとなく自分の中で自信も芽生えてきました。結局10ヶ月ほどの短い期間でしたが、一つ星レストランの全セクションを経験し満足して帰国しました。

※1:エレーヌ・ダローズ(Hélène Darroze):アラン・デュカス氏の門下生。2003年にパリ6区レストランでミシュラン2つ星を獲得。その後、ロンドンに拠点を移し、こちらもミシュラン20091つ星、20112つ星を獲得。2015年ヴーヴ・クリコ 世界最優秀女性シェフ。

 

1度目のフランスでの修業は、学びの多いものだったんですね。

加古氏:
いえ、それが大きな勘違いだと言うことに帰国して気づきました。神戸の街も復興が進み、私は知り合いの紹介で「グロ・ムッシュ」というフレンチ居酒屋で働くようになりました。シェフもオーナーもとてもやさしい方で、前菜担当から始まっていろんな料理をさせてもらえる恵まれた環境でした。

仕事が終われば神戸の夜の街に連れて行ってもらって、飲食業界のいろんな人と知り合うきっかけにも恵まれました。そこで出会った1人が、「河内鴨料理 田ぶち」の田渕耕太さん(https://foodion.net/interview/kota-tabuchi?lang=ja)です。彼とは同い年で、今も親しくさせてもらっています。

仕事以外でも人脈が広がり充実した毎日でしたが、フランスに行っていたことを話すといろんな人から質問を受ける機会が増えました。「パリでおすすめの店はどこ?」とか「いいレストランがあったら教えて欲しい」といった質問です。そこでよくよく考えてみると、私がいたのは人口200人程度の田舎町のレストランで、しかも厨房の中のことしか見ていない事実に気づきました。期間も10ヶ月程度です。

「自分はフランスについて、フランス料理について、いったい何を知っているんだろう」。本当は何もわかっていないのではないだろうか。「コム・シノワ」から逃げ出した後と同じように、今もまた温々とした居心地の良い環境に満足してしまっているのではないか。そう考えると「今のままじゃダメだ。もう一度フランスに行ってやり直さないといけない」と思いました。

アノニム 内観

現状に満足しない向上心が伺えるお話ですね。

加古氏:
そんなにカッコいいものではありません。何も知らない、何もできない自分の姿に気づいただけのことです。2度目の修業先は、自分で探しました。ガイドブックを買ってきて、たしか60~70軒ほどの二つ星レストランに手紙を書きました。国際返信用の封筒を添えて送り、返事があるのを待っていると、2軒だけ返信がありました。

そのうちの1つが、南仏プロバンスの島にあるホテルレストラン「ル・マデュ・ラングスティエール」(Le Mas Du Langoustier)です。そこはシーズン営業のリゾートレストランで、夏の間だけの雇用でした。店へは単線の電車で終着駅まで行って、バスと船を乗り継がなければ辿り着けません。道中、僕と同じような年ごろのフランスの若者たちが一緒で、彼らも夏の間だけその店で働くようでした。

到着して仕事場へ行くと、シェフが最初にすべてのレシピをコピーしてスタッフに配ってくれました。言葉にはまったく自信はありませんでしたが、おもしろいもので不思議とシェフが何を言っているのかがわかります。他のスタッフたちは言葉こそわかりますが、シェフが何を考えているかまではわからない様子です。

逆に私は、言葉はつたないのですが、シェフが次にどんな食材を必要としているのか、何をしようとしているのかがよく理解できました。オーダーが入るたびにシェフの動きを先読みして食材を冷蔵庫から探して来たりしているうちに、少しずつ信頼されるようになったと思います。

肉部門を担当させてもらって、シーズン営業に向けた準備を行いました。8月になるとトップシーズンです。60席のレストランに対して、宿泊客は200名もいました。200人前を一度に調理するのは本当に大変な上に、まかないを作る余裕があるスタッフが誰もいないので、私が担当して忙しい日々を送りました。

でも「コム・シノワ」の時のようにいっぱいいっぱいになることはなく、とても充実した感覚の中で仕事ができました。任されている喜びとやりがいがあり、どんなに忙しくても仕事がいやになることは一切なかったと思います。毎日のように自分の成長が感じられ、それまでの職場では得られなかった周囲からの信頼も手にできました。

アノニム 加古拓央

■いつの間にか忘れていた楽しく自由に料理すること

そして帰国後に、ご自身の店を持つことになるわけですね。

加古氏:
帰国する前に、もう1軒ぐらいフランスで修業しようと思って、今度は冬に営業しているアルプスのレストランに手紙を出しました。運よく雇ってもらえるところが見つかったのですが、滞在許可が得られず予定よりも早く日本に帰ってきました。

しばらくは居酒屋でアルバイトをしてみましたが、あまり長くやっていると自分の腕が鈍ってしまう気がしたので、独立へ向けた物件探しなどの準備をしながら、料理と関わらない仕事を選びました。食材を扱うので、生産者の現場を知ってみたいと思い、牧場の求人に応募して淡路島に行きました。

行ってみるとそこは観光牧場で、家畜の世話係になってしまいました(笑)。動物があまり得意ではないので苦労しましたが、料理から離れられたのは良かったですね。自分の店で出してみたいレシピを考えてみたりして、有意義な時間を過ごせました。探していた物件が見つかり、そこからは本格的に開店に向けた準備に取り掛かりました。そして26歳で、「エスパス」という自分の店を持つことができました。

26歳での独立は、ご自身としては早かったですか、それとも遅かったですか?

加古氏:
25歳での独立を1つの目標としてきたので、だいたい希望通りでしたね。頑張ろうという気持ちでいっぱいでしたが、ある友人から言われた言葉は今でも大切にしています。

彼が私に行ったのは「店を出してめでたいけど、決して君が偉くなったわけではないよ。だって、まだ何も成し遂げてないからね」という言葉でした。図星だな、というのが正直な感想です。独立は目標ではありましたが、それで私自身が変わったわけではなりません。「独立したからといって、今はまだ尊敬しないからね」と言われたことは、今でも忘れないようにしています。

最初は、どんな感じの料理だったのでしょうか。

加古氏:
ランチ営業は1000円、夜の営業は3500円のメニューを用意しました。料理の内容以前に、オーナーシェフになってみて、自分はどれほど仕事ができないのかを痛感しましたね。

それまでは料理だけに専念できましたが、お金の管理、電話の対応、食材の仕入れなど、やることが山積です。自分が思い描いていたような料理をお客様にお出しできなくて、とてもではありませんが1人で店を回せないと思って、急いでアルバイトに来てもらいました。

料理の内容は、どちらかというと非常にオーソドックスなものでした。お客様もなかなか定着しなくて、かなり悩んでいた時期です。そんな時に、大阪に2つのおもしろい店ができたという話が耳に入ってきました。1つが日本橋にあった「キュイエール(※2)」。もう1つが「ナガオヴンダバ(※3)」です。どちらも数年で閉店してしまった店ですが、料理を食べた時の衝撃は今でも忘れられません。

「キュイエール」は野菜だけの料理が特徴でした。単に湯がいただけのキャベツ、炒めただけのブロッコリーで、誰でも作れるような見た目ながら、味は別世界です。ありふれたものを、ありふれたものにしないすごさがありました。

「ナガオヴンダバ」の長尾シェフは、「コム・シノワ」時代の先輩だった方です。店に行くと、なんとなく私のことも覚えていてくださったようでした。「コム・シノワ」の先輩方には厳しくも良くしていただき、いまでも仲良くさせて頂いているのですが、特に私は長尾シェフから影響を受けました。ある時、私がサバの味噌煮を作っていると、長尾シェフが味見をして「これではサバの匂いがきつすぎる」と言って汁を全部捨ててしまわれました。「あぁ、またやり直しかぁ」と落胆していたところ、長尾シェフが食材を変え、味を変えてすべて作り直してくださいました。その手際のよい姿を見て「なんてカッコんだ」と思いましたね。私にとっては本当に憧れの人で、胡椒の引き方はいまだに長尾シェフを真似しているほどです。

そんな長尾シェフの料理は、今まで食べたことはもちろん、見たことがないものばかりでした。スパイスとハーブを変幻自在に使った料理の数々は圧倒的です。フランス料理でありながら、アフリカのスパイスを使っていたり、ドイツ料理の手法などが取り入れられています。なんて楽しくておいしい料理なのかとショックを受けると同時に、これこそが私がやりたかった料理だ、と気づきました。

本来フランス料理は、自由なものです。中華のスパイスを使ってもいいし、セオリーから外れた食材を使っても構いません。ところが私は、いつの間にかオーソドックスで、形の決まりきった料理ばかり作るようになっていました。だからお客様も定着せず、何を作りたいのか、何をやりたいのか、本来の目的すら見失っていたのです。

※2:キュイエール
シェフは新屋信幸氏。フランス料理界の巨匠ピエール・ガニェールに師事した後、東京で活躍し、大阪・日本橋にキュイエールをオープン。現在は「mucu 新屋食堂」を開店し腕を振っている。

※3:ナガオヴンダバ
シェフは長尾浩二氏。「予約の取れない店」として人気を集めるも、2005年に閉店。現在、長尾氏は芸術家として活動中。

アノニム 内観

非常に興味深いお話です。その後についても教えてください。

加古氏:
その後は、どうせやってみてダメになるなら、どんどん自由にやってやろうと思いました。南京町では中華の材料、北野の外国人向け食材店でインドのスパイスなどを購入していました。当たり前のように、当たり前じゃない材料や食材が手に入る環境にいながら、そのことに気づいていなかったのです。

ウツボや鱧をなど今までになかった食材を使って、楽しく自由に作りたいものを作るようにしたところ、ようやく少しずつお客様が来てくださるようになりました。ある時、有名な評論家の方がいらっしゃって、料理をほめてくださったことがあります。「うれしいなぁ」なんて思っていたところ、翌日には4紙もの全国紙から取材が入り、料理の専門雑誌からも取材依頼が舞い込むなど、一気に店の経営は軌道に乗りました。しばらくは予約もなかなか取れない状態になり、忙しい日々が続きました。

ちょうどその頃に結婚をして妻にマダム業を任せて、アルバイトも雇うようになりました。店も改装してカウンター席を減らしました。これには狙いがあり、お客様との会話に気を割かれることなく、料理に集中したかったからです。店の経営も料理も充実していき、その2年後には大きな店に移転することになりました。

移転のためにたくさん借金しましたが、私が今まで培ってきた経験を若い人にもぜひ伝えていきたいという思いがあって、きちんと人を雇える店にしたかったのです。それともう1つ理由があって、1人しかいない店なのに「シェフ!」と呼ばれるのも、ちょっと気恥ずかしかったというのがあります。フランス料理界でいうところのシェフは「チーフ」という意味合いがありますから、1人だけの店では恰好がつかなくて、人を雇うためにも移転を決めました。

そして最初にやってきたのが、今は東京で活躍している「ソン デコネ(https://www.instagram.com/sans_deconner/)」の渋谷シェフです。2番手を任せたのが、神戸でイタリアンレストランをやっている「イオラシック(https://iorassic.exblog.jp/)」の宮田シェフ。ちょっと遅れて採用したのが、大阪で頑張っている「アニエルドール(https://foodion.net/interview/akinari-fujita?lang=ja)」の藤田シェフでした。

アノニム 外観

アノニム

お問い合わせ
078-778-0965
アクセス
兵庫県神戸市中央区下山手通4-13-3 ダフネ二番館1階
地下鉄西神・山手線「県庁前駅」東1出口より徒歩3分
営業時間
完全予約制
ランチ/12:00~15:00(L.O13:00)
ディナー/18:00~22:00(L.O20:00)
定休日
日曜日・月曜のランチ