ひとつの皿に料理人が携われるのはほんの一部でしかない。自然からの恵みを最大限に活かし、料理の「理」を模索し続ける

山の辺料理「比良山荘」
伊藤 剛治
山の辺料理「比良山荘」 伊藤剛治

山の辺料理「比良山荘」 伊藤剛治

■店は生活の一部。仕事をする父を見ながら育った幼少時代。

まずは比良山荘の開業の歴史からお聞かせください。

伊藤氏:
この店は、昭和34年に祖父が開業したのがはじまりで、そのあとを父が継ぎ、僕は三代目になります。
祖父が開業した時は比良山へ登る、登山者向けのお宿としてオープンしたことが始まり。ですから、当時は料理を主体にした店ではありませんでした。
店の屋号が「山荘」なのはそのためですし、いまでも宿泊して頂くことができます。

そして僕が生まれ育ったのも、本当にこの店の中。店の調理場が家のキッチンを兼ねていましたし、お風呂もお客様が入るお風呂に入っていました。まさに店の中に住んでいるようなものです。
店が生活の一部として、仕事をしている父をとても身近な存在として感じながら育ちましたから、大きくなる過程で自然と「自分もこの店を継いで行きたい。」という気持ちになりました。

山の辺料理「比良山荘」 厨房

いまの比良山荘の料理に繋がるベースは、父の代になってからのことです。
京都で料理修業をした父が鮎料理を出すようになり、「鮎の比良山荘」として名前が売れ始めました。そして夏には京阪神から鮎を食べに来るお客様も増えはじめ、次第に比良山荘はお宿ではなく料理屋として少しずつ知られるようになりました。

しかし、料理屋として軌道に乗りかけより一層飛躍していこうというその時に、父が病気で急死してしまったのです…。

当時は父と母、お手伝いのスタッフがいる程度の家族経営をしていましたから、母は比良山荘を守るため、料理人を雇い、父の作った料理屋としての比良山荘を維持したのです。
その当時、僕はまだ小学6年生でした。ですので、僕は父から仕事を教わったり、料理を受け継ぐということはできなかったのです。

その後はどのように料理の道に入られたのですか?

伊藤氏:
僕も長男で「店の跡取りに」という風に育てられた部分がありましたし、それが当然だと捉えてましたから、自然と進路選択は調理師学校へと進みました。
卒業後は、家の事も手伝ったり、多少他所様の店でも修業をしましたが、あまり経歴にあがるような修業時代というのはありません。

いくつかのお店で数年働いた後は、母や比良山荘が気がかりだったということもあり、比良山荘に戻りました。
比良山荘へ戻った時は、その当時のお店を切り盛りして頂いていた料理長がいましたので、しばらくはその方と一緒に働くという形です。
僕が調理場だけでなく、経営に関することもすべて任されたのは27歳の頃でした。

山の辺料理「比良山荘」 伊藤剛治

■お客様に支えられ、指導されながら、新しい鮎料理の形を模索。

店を任されてからはいかがでしたか?

伊藤氏:
店を継いだ当時は父の代で築いた鮎料理がありましたので、夏場はそれを求めて来られる食通のお客様が来てくださり、夏場だけ忙しい比良山荘という具合でした。
今振り返ってみても、30年も前からお客様によく可愛がっていただいたなと思います。
といいますのも、当時は今よりもアクセスしづらい場所で来難い場所でしたし、僕自身も料理人としてまだまだ未熟でした。
それでもご来店頂いていたというのは、都会にはない何かを求めてご来店いただいているお客様だったのだと思います。
お客様に励まされ、応援され、時には僕に対して助言をくださったことが、今に繋がっています。

あるお客様から、「ここには東京のお店には真似出来ないような素晴らしいものがあるじゃないか。」とおっしゃっていただいたことがあります。
例えば、鮎に関して「なぜ鮎の塩焼きを二匹しか出さないの?」と言われたことがありました。「鮎料理を楽しみに来ているんだから、もっと鮎を食べさせて欲しい。」と。
そこで次に鮎をたくさん使い、色んな料理にしてお出ししたところ、「せっかくの新鮮な鮎なんだから、鮎の本当の美味しさがわかる、素朴でシンプルな料理にしてほしい。」とダメ出しされたのです。

その時に、ああ、そうか!と思いました。
その当時の僕は、食材に手を加えれば加えるほどいい料理ができると勘違いしていたのだと思います。流行りの技法や調理方法を取り入れ、鮎をこねくり回すことが料理だと思っていたのです。
料理をやっていると、どうしても技術を見せたいという気持ちが出てしまいます。ですから僕も多分にもれず習得した調理技術を駆使した料理を提供していたんですね…。

しかし、お客様はわざわざこの山奥にまで来て、僕のこねくり回した鮎料理を食べたいと思って来てるわけではないですよね(笑)

誤解してほしくないのですが、そういった料理がダメだというわけではありません。
手の込んだ素晴らしい料理や、お店があることはもちろん分かっています。
ただ、比良山荘に、それは求められていないことを知った。ということです。

その当時鮎を少し洋風にアレンジした料理が流行ったことがありました。もちろんそのお料理がだめなわけでも、まずいわけでもありません。しかし、比良山荘でそういった趣向を凝らしたお料理を提供してもチグハグになるだけだったのです。

この比良山荘でしか食べれない料理があるんじゃないか。それをお客様に問われて気づかせてもらったのです。
鮎であれば、自然の中で育まれた”鮎そのまま”を美味しく食せるような…。
鮎本来の美味しさを提供するということを突き詰めると、無駄に手を加えるのは無粋であるというところにたどり着いたのです。

「鮎の塩焼き」と言えば、塩をまぶして焼くという、工程だけで言えば簡単ですし単純です。しかし、それを突き詰めてみようと考えました。
食材である鮎そのものはもちろん、焼き加減、塩加減、提供の仕方…。これまでは簡単なことだと決めつけていた事柄に、たくさんの配慮すべき事があると気づきました。
そうすると、単なる「鮎の塩焼き」が「とてつもなく美味しい鮎の塩焼き」になるのです。
父はそれを理解していたからこそ、鮎料理目当てにお客様が来るほどの、鮎を提供できていたのだと思います…。

このような経験をきっかけに、父が残してくれた鮎料理をもっと前に進めた形とは何かを考えはじめました。
いま夏に比良山荘で提供させて頂いている「鮎食べコース」は、お一人で約10匹分近くの鮎が堪能してもらえるコースですが、先程話させていただいたような鮎そのものを素朴にシンプルに味わって頂けるようなお料理です。
これが、いまの比良山荘を形作る第一歩となる料理になりました。

山の辺料理「比良山荘」 比良山荘の一年

その当時は熊鍋などはなかったんですね。

伊藤氏:
新しいものを作ることは温故知新じゃないですけれど、元になる基礎があり、歴史文化がある中から新しいものが生まれてくるのであって、ただ目新しい食材を仕入れて、皿に載せただけでは「新しい料理」にはなりません。
料理という言葉には、「物事をはかる」という意味があるのですから、そこにはきちんとした「理」がないといけません。

先程の鮎料理のような考え方をもって、比良山荘ならではの料理として相応しい「理」を模索しながら、秋の料理、冬の料理…という風に一年通じてその季節に応じた料理を提供できるよう広げていきました。
1年に2ヵ月間の鮎シーズンだけ忙しい比良山荘だったのを、1年を通し、おかげ様で忙しくさせてもらえる店になりました。
しかし、そうなれたのは実は最近のことです。

お客様からのご意見、アドバイスを素直に受け取られたのですね。お客様と良い関係を築くための秘訣はありますか?

伊藤氏:
お客様といっても、お一人お一人様々な意見をお持ちですし、僕としても譲れないものもあります。すべてを受け入れては収拾がつかなくなってしまいます。
バランスを取ることが難しいのですが、僕の中で「この人が言うことは絶対に聞こう」と思っている方が何人かいらっしゃいました。
そうそうたる料理人さんや、文化人の方々がいらっしゃって下さっていましたので、素直にならざるを得なかったです(笑)いまもお世話になっている「菊乃井」の村田吉弘さんもそのお一人です。
ご要望をとにかく聞いて、期待に応えようと必死でした。そしてそれを実践していくと、きちんと結果が出るようにもなっていきましたから、お客様目線で取り組んでいくことの大切さを身をもって実感しました。

僕を当時から支えてくださったお客様には本当に感謝しています。
父を早く失い大変な事もありましたが、その分、人よりも若い時に色々なことに取り組めましたから、若い時に様々な失敗ができたのはある意味ラッキーだったと思っています。お客様からダメ出しされる時などは辛いと感じる時期もありましたが…今は感謝しかないですね。

「お客様に育ててもらった」という言葉を、京都の料理人さんは皆さんがおっしゃるように思います。そういう土地柄があるのでしょうか?

伊藤氏:
京都には華道や茶道など古くからの家元の世界がありますし、千利休が人をもてなすために料理人に料理を作らせていたような歴史があります。料理のコンセプトは茶人が考えて、料理人に作業として料理をさせていたわけですから、立場としては料理人が偉いわけではありませんでした。
京都の料理人の考え方やスタンスは、そういった歴史背景を受け継いでいるのかもしれません。ですので、僕もそうですが、自分よりも遥かに様々なことをご経験されてきた方々、あらゆる美食に触れられてきた文化人の方々などもいらっしゃいますから、そのお客様から頂くアドバイスや要望というのは、目からウロコが落ちるようなご意見を頂いてきたのです。
それが京都の料理人たちの謙虚な姿勢に繋がっているのかもしれません。

うちは滋賀県の湖西に位置しており、若狭の魚を京都に運んだ鯖街道沿いの集落ですから、昔から京都の旦那衆や芸子衆の方々に可愛がってもらっていました。
そして、この場所でやってきて良かったと思えることは、京都市内からこの店まで適度な距離があること。この距離のハードルを越えてわざわざ来てくださる方というのは、食に対しての意識が絶対的に高いわけです。

もしいまのこの場所ではなく、町中で営業していたとしたら、いまの料理ほど突き詰めた料理は出来ていなかったかもしれません。ですから、お客様に育てていただいたというのは謙遜でも謙虚でもなく、本当にその通りなのです。

山の辺料理「比良山荘」 外観

山の辺料理「比良山荘」

お問い合わせ
077-599-2058
アクセス
滋賀県大津市葛川坊村町94
JR堅田駅よりタクシーで30分
駐車場:あり
営業時間
ランチ11:30-14:00
ディナー17:00-19:00 
※宿泊も可能
定休日
火曜(祝日の場合は営業)