照寿司 渡邉貴義

戸畑で世界と勝負する!「照寿司」の挑戦

照寿司
渡邉 貴義

■寿司職人ではなく「照寿司」の経営者になろうと考えていた

寿司屋さんの長男として生まれましたが、どんな幼少時代を過ごされたのですか?

渡邉氏:
カウンターにはネタケースがあって、仕出しもするし宴会もとる典型的な地方の寿司屋でした。店舗兼住宅の建木造の物で、学校から帰るとカウンターの後ろを通って居住部分に入っていましたし、父のお弟子さんたちも一緒に暮らしていましたので、若手の職人さんたちとは一緒にまかないを食べたりもしていたんです。寿司は生活の一部でした。

寿司職人になるのは自然な流れだったのでしょうか。

渡邉氏:
いえいえ。子どもの頃はフランス料理のシェフになりたかったんです。寿司屋になるとは思ってもいませんでした。
当時、私はぽっちゃりした肥満体型で体は大きかったけど泣き虫で。もっと強くなりたいと中学に入って柔道をはじめ、大学まで柔道一筋の生活を送っていました。

性格的に、のめりこんだら1つのことをとことん突き詰めるタイプ。柔道は強くなればなるほど好きになりましたし、体を鍛えることも楽しくて。
残念ながら柔道では大した成績を収めてはいませんが、とにかく体を鍛えることが好きで大学時代は160kgのベンチプレスをあげていましたし、懸垂は40回、100m走は12秒を、400m走は1分を切っていたんですよ。トレーニングはやればやるだけ自分に返ってくる、そういうのが好きなんです。

柔道一筋だった渡邉さんが、「照寿司」を継ごうと考えた理由は?

渡邉氏:
「照寿司」は地元では名の知れたお寿司屋さんでした。私は柔道しかしてこなかったので、自分が料理をするのではなく、「照寿司」の経営者になればいいと考えたんです。そのために、大手飲食チェーンで経営のノウハウを学ぶことも考えたのですが、やっぱり地元に帰りたいという想いが強くなり、戸畑に戻ってきました。

最初の修業先を決めたのは父です。厳しいけれど料理に対する情熱が人一倍ある師匠のもと、技術というよりも料理との向き合い方を徹底的に叩き込まれました。
自分に厳しく、腕もある方でしたので多くのことを学ばせていただきましたし、私自身の料理の礎となるものを築いたのはこの時期です。
とはいえ、旧態依然とした体質のお店で、兄弟子たちからすれば、それなりに名の知れた地元の寿司屋の息子は目障りな存在だったのでしょう。殴られたり、精神的に虐められたりもありました。やり返すこともできましたけど、我慢する奴がいちばん強いということは柔道を通して学んでいたので、グッと我慢して耐え忍んでいたものです。

■寿司職人として有名になりたい!との想いを抱き試行錯誤の日々

その後に「照寿司」で働かれたのでしょうか

渡邉氏:
いえ。「照寿司」は仕出しや宴会もしていたので、そのあたりのノウハウを学びたいと、地元のホテルに入社したのです。そのホテルは結婚式や宴会をメインに手がけているところで、1日に1000人分の魚をおろしたり、刺身を引いたりしていました。
1年半ほどお世話になった後に、「照寿司」へ。けれど、入るにもタイミングというものがあって。先代の息がかかったところに飛び込むというのは、お互いに心の準備が必要だったんです。そして、ようやく帰ってはきたものの、当時私ができることは何もなくて。電話を受けたり、出前の配達をしたり、請求書を作成したり、営業活動をしたり。約2年間、寿司を握ることはありませんでした。
遠回りだったかもしれませんが、全てのことに意味があると思っていろいろ経験しようと思っていました。

その後、どのような経緯で寿司を握るようになったのでしょう?

渡邉氏:
先代の意向が強かったので、次は「板前をしろ」と言われました。かつては街の寿司屋で先代も寿司を握っていましたが、店舗兼住宅をビルに建て替えてからは、大口のお客様に寿司を卸すことと仕出しや宴会がメインになっていて、先代は経営者となり、厨房は板前に任せていました。
1日にいなり寿司1000個、巻き寿司を300~500本、握り寿司を2000貫握るといった、手の早い職人にしかできない仕事ばかりをしていました。
私が思う寿司屋とは、一匹狼の世界。流れや渡りの個性が強い職人がいる中で、私は自分と、そして「照寿司」と戦ってきたこの10年でした。また、当時は「すきやばし次郎」の小野二郎さんや「さわ田」の澤田幸治さんなど、銀座の寿司店がメディアに登場し始めた頃。そのような状況の中で、自分も寿司職人として有名になりたいという想いを抱くようになったんです。と同時に、銀座凄い!江戸前寿司凄い!と、江戸前寿司に傾倒し始めたのもこの頃です。
このままでいいのかと思い始め、お客様が毎日来なくても食材を仕入れ仕込みをしてカウンターに立つようになりました。当時は客単価3500円程度。お客様が来る方が珍しかったです。

街場のお寿司屋さんから、現在のスタイルに変えていくきっかけは何かありましたか?

渡邉氏:
有名になりたいという強い想いですね。出前も仕出しもお客様の顔が見えません。有名になるには、お客様の顔が見える仕事をしなければならないと考えました。とはいえ、当時の「照寿司」での仕事をそのまま続けても有名になることはできません。何も発信していませんし、そもそも自分に力がないから、トップに立つことはできませんから。

「照寿司」に入って10年ほど経ってくると、先代の頃から働いていた職人さんが退職するようになり、新しい「照寿司」を築いていこうと考えるようになりました。
その頃、300年モノのヒノキの一枚板に出会い、先代に交渉して、それまでのショーケースのカウンターからヒノキの一枚板に変えることにしたんです。とはいえ、店内をリニューアルしたからといって、お客様が急激に増えるということはありませんでした。

■素晴らしい食材を多くの人に知ってほしいとSNSを開始

店内のリニューアル以外に変えていったところはありますか?

渡邉氏:
28歳で先代からこの店を引き継いだのですが、30歳の頃から食材に力を入れ始めました。戸畑に、大分・中津から来ている鮮魚店があり、そこへ行くと見たこともない食材にたくさん出会うことができたんです。
今も大切な仕入先の一つなんですが、戸畑でもこんな素晴らしい食材を仕入れることができるとわかり、こんなにいい食材を他の人に渡したくないという気持ちもあって、いいものは全部仕入れていきました。そして、こんなにも素晴らしい食材があることを、もっと多くの人々に知ってほしいと考え、facebookで発信していくようになったんです。

反応はいかがでしたか?

渡邉氏:
最初は「いいね」が3とか、そんな感じでした。けれど、facebookを通じて生産者の方とつながったり、食材の処理の仕方などの新しい方法を知ったりと、新しいつながりや発見を得ることができました。面白いと思う生産者がいればコンタクトを取り直接会いにもいきましたし、食材選びをとことん突き詰めました。

熊本ワインの「菊鹿シャルドネ」のことを知ったのもSNSでしたね。興味を持って2年ほどは購入することができませんでしたが、地道にコミュニケーションを取ることでたくさん分けてもらえるようになったんです。興味を持って会いに行って、コミュニケーションをとっていく。自分から行動して。そうやって一つひとつ自分の世界を広げていったんです。

照寿司

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