Foodion │ 一流シェフ・料理人のプロフェッショナル論。

和食の技術を鍛えると、様々な事に落とし込むことができる

旬菜 山崎
山崎 浩史
阪急千里山駅の静かな住宅街にある和食の名店「旬菜 山崎」は、感性豊かな美しい料理はもちろん、隅々にまで行き届いた心尽くしのおもてなしで有名。10代の頃より老舗料亭で修業を重ね、和食一筋の店主・山崎浩史さんに、修業時代のお話や、独立するまでの経緯、そして料理人を志すスタッフに対する思いなどをお聞きしました。

■二番手さんの恰好良さに憧れて。

まずは料理の世界に入られたきっかけを教えてください。

山崎氏:
僕は両親が共働きだったので、毎日、兄弟3人で食事当番を持ち回りしていたんです。もちろん自分の子供が作った料理ですから、親も「美味しい!美味しい!」と喜んで食べてくれたこともあって、「料理が得意だ!」って勘違いしていたんでしょうね(笑)。料理だったら自分にもできるかなと。でも高校を卒業して、辻調理師学校へ通いながら曾根崎の料亭「八幸」にバイトで入った時、その気持ちを根底から覆されました。

その店の二番手さんがすごく恰好よかったんですが、その人が板場に入ったらスタッフ全員がシーンとなって、背筋がピンと伸びるような厳しい方で…気楽な学生ノリで生きてきていましたので、そんな厳しい世界があるとは知らず本当に衝撃でした。
その恰好いい二番手さんが「お前、何の勉強してんねん」と話しかけてくれて。「辻調で料理の勉強をしています」と答えたところ「そしたら明日、3時に来い」と言って、料理のことを色々と教えてくれて、厳しい反面とても熱い人でした。その人が「日本人やねんから、やっぱり日本料理やろ」と言っていたこともあって、和食の道に進むことを決めました。

そしてバイトをしながら、学校で1年間勉強した後、「紬」という料亭で本格的に修業することになりました。その時も、その二番手さんが「大きな料亭で修業して料理長になるのは何年もかかる。自分で店をやりたいという気持ちがあるなら、小さな個人店へ弟子入りし、短い期間で様々な経験を積む方がいい」というアドバイスをもらったからです。その二番手さんとは今でもお付き合いがあって、盆暮れには今でも必ず挨拶に行っていますね。

 

料理の修業時代はいかがでしたか?

山崎氏:
厳しすぎましたね(笑)。厳しすぎて辞めるのも怖かったくらいです(笑)。今の学生も同じだと思うんですけれど、最初はきちんとした挨拶もできなかったし、何か注意されると、「いやこれは…」とつい言い訳してしまったり…もう毎日怒られてばっかりでした。遅刻してしまって「遅れてすいません」っていうんですけれど、「それがすいませんっていう顔か!」ってさらに厳しく怒られて。挨拶や先輩に対する接し方など、基本的なことをすべて叩き込まれたバイト時代でした。

そして次に就職した「紫苑」もやはり厳しかったのですが、厳しいからと言って簡単に転職するような時代でも無かったですし、とにかく頑張るしかない。同期の子や後から入った後輩が「コンビニに行ってきます」と言い、出ていったきりそのまま帰ってこないとか、親方の家に住み込みしていた子が、銭湯へ行ったきり帰ってこないとか(笑)…そういうことはたまにありましたけど。
怖くて「辞めたい」と言い出せる雰囲気すら無かったのですが、僕にとってはそれが良かったのかもしれません(笑)。

 

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■独立を見据えて学んだ20代

厳しい修行時代を振り返って今はどう思われますか?

山崎氏:
1軒目に勤めた「紬」の親方は、「独立しないと意味がない」という考え方でしたので、厳しいながらも修業して教わる意義をすごく感じていました。そういう考えの親方だったからこそ、どんどん仕事を教えてくれたし、魚の扱いもどんどんやらせてくれた。また店の料理レベルがとても高かったので「日本料理の世界はこんなに広いのか!」とその奥深さを知ることができました。そういう意識の高い環境にいられたので、20代前半にはすでに独立のことを考えはじめていました。今から思えばですけれど、普通の人が10年かかる修業を、やろうと思えば半分の期間でできるくらいの学びがあり、厳しかったことが今から思えばありがたいしとても感謝しています。

今の若い子に仕事を教えようと思っても、しんどいとしんどい顔をするし、すぐに辞める子もいます。そうすると、こちらの気持ちが先にへたってしまうんですよ。しんどそうな顔を見て「こいつしんどいんやろな」とか「辞めたいと思ってるのかな」とこちらが先に色々と考えてしまう。

厳しく接する側が、相手の表情や気持ちに動じない気持ちの強さが必要なのだと、こうして指導する側になり、人に厳しくする側に立ってみて、初めてその大変さを知りました。本当はあまりいいことじゃないのですが…僕なんかはついつい厳しく接しきれない(笑)。今思えば、親方はスタッフに対して、常にピシッと一線を引いて接していたので…実はすごく孤独だっただろうと思います。

 

独立されたのは2軒目の修行の後ですか?

山崎氏:
それがその店で働いている時に、神戸の震災が起こってしまい、店が経営不振に陥りスタッフ全員が解雇になってしまったのです。ちょうど新年会のシーズンでしたので、予約が全部キャンセルになってしまいましたし、神戸方面のお客様が6割くらいいらっしゃる店だったので…。それでアルバイト時代の縁をたどり、最初の店に戻って2年半程働いた後に、28歳で独立をしました。

バイト時代の店に戻ったものの、そこは大きい店でしたので仕事分担がはっきりと決まっていて、自分の表現が全くできない。ひとつの仕事を朝から晩までひたすらやり続けるといった風でした。なので「自分の店がやりたい!」と強く感じるようになっていきました。そんな時、通勤途中に「貸店舗」の張り紙を見つけて…。なんとなくピンと来てすぐ電話で問い合わせし、そのままトントン拍子に話が進みました。他の場所を検討することも無かったですし、何か縁があったのかもしれません。

 

オープン時はどんな感じでしたか?

山崎氏:
オープン当時はもう夢中で、今思えば大変だったと思うのですが、大変と思う余裕も無かったです。最初、お昼の滑り出しは良かった。これは北摂エリアの特徴だと思うのですが、お昼時は本当にどこもいっぱいで、ランチで来られた主婦層の口コミで徐々に広がって行った感じでしょうか。

問題は夜で、土日はいっぱいなんですけれど、平日の夜が厳しかった。和食は高いイメージがあるので、比較的手頃な価格で食べられるようにしたいという気持ちがあって、最初は5000円のおまかせコースだけだったのですが、価格帯がちょっと中途半端だったのかもしれません。その後もう少し高めのコースを増やしたところ、平日にもお越し頂けるようになりました。年配のお客様にとっては、大切なお客様を連れて行くのに5000円のコース料理だけとなると、ちょっと物足りない感じがあったのかもしれませんね。

旬菜 山崎

お問い合わせ
06-6389-5131
アクセス
〒565-0835 大阪府吹田市竹谷町36-17
阪急千里山駅から車で5分 駐車場:7台有
営業時間
昼の部11:30-15:00 夜の部17:30-22:30  
定休日
不定休

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