正統のアラン・デュカス、前衛のピエール・ガニェール。2人の巨匠から学んだ料理エッセンスが織りなすコンテンポラリーフレンチ

Pierre(ピエール)
大久保 晋

■憧れの国フランスへの留学。リヨンの古城で学んだ学生時代。

まずは、フランス料理の世界に興味を持ったきっかけを教えていただけますか?

大久保氏:
最初は料理というよりもフランスにすごく興味がありました。漠然としたイメージですが、フランスの田舎は私の出身地である北海道の気候とか風景にどことなく似ていて好きだったんですね。料理に興味を持つようになったのは浪人生活を送っていたころ。高校までは大学への進学を希望していたんです。学校も進学校で、両親も大学へ行くものだと思っていました。希望校に行くために1年間浪人して受験したのですが、うまくいかなくて進学はもういいかな、と思いました。

ちょうどそのころ、辻調理師専門学校で1年間大阪で学んだ後、2年目にはフランスに留学できる制度ができました。結構な費用がかかるのですが、両親も納得して学費を負担してくれることになり、晴れて入学することができました。
両親としては、大学に行って欲しいと思っていたのかもしれませんが、僕の意思を尊重してくれたことには本当に感謝しています。今の自分があるのも、若い僕の決断を受け入れてくれた両親のおかげですね。そんな経緯を経て、単身で北海道から大阪へやってきたのが19歳の時でした。

フランスへの留学を含めて、学生時代の様子をお聞かせください。

大久保氏:
1年生の時は何事もなく料理の勉強をしていましたが、2年生になってからの留学先での毎日は本当に大変でした。
たくさんいる生徒の中でもフランスへの留学を希望する生徒というのは、いわば自分の意志で留学を決意したわけですから、それなりの覚悟があると捉えられるんですね。ですので、それまでの優しい授業ではなく、先生も本気の厳しい指導に変わりましたし、フランス人シェフの講師も授業に来られ、より実践的な授業が行われました。

まず、生徒を3つの班に分けます。そして、ゲスト役、サービススタッフ役、キッチンスタッフ役の3つの役割を、日替わりでローテーションしていくのです。まさに1つのレストラン経営を模擬体験できる内容でした。

フランスへの留学では、辻調理師専門学校がリヨンの近くに買い取った古城があり、その古城が校舎代わりになっていました。寝泊まりもそこでしたから、フランス留学を楽しむというような感じではなく、缶詰状態でしたね(笑)

古城を買い取るというあたりが辻調理の本気度を感じますね。ぜひフランス留学でのエピソードをお聞かせください。

大久保氏:
本当に実践さながらの毎日でした。朝は6:00から仕込みをして、夜は前日の準備に遅くまで残っているような生活です。それにフランス語の授業もあって、1ヵ月ほど経ったころには、みんなすっかり疲労困憊。朝がつらくて寝坊して怒られる生徒がいたり、講師の先生たちには本当によく叱っていただいたものです。

それが前半6ヵ月間のカリキュラム。後半の6ヵ月間は、レストランに働きに出て、実店舗で料理修業をすることになっていました。生徒はみんなそれぞれ違うレストランやパティスリーに行くのですが、私はニース近郊のレストランに決まりました。そこでの生活がまた大変で、8畳ほどの広さの部屋に2段ベッドが3つとシングルベッド1つの7人部屋に寝泊まりするんです。

しかも季節は夏。フランスは夏のバカンスが長いですから、レストランも連日大賑わいです。もしかしたら今までの人生で一番働いたんじゃないか、と思うぐらい忙しい毎日でした。
学校の近くのレストランで働いていた生徒たちは、休日になると集まって楽しく過ごしていたそうですが、私はそんな仲間も近くにいなくて、寮で過ごした半年よりもきつかったです。職場にいても部屋に帰っても1人の時間なんて持てませんでしたから、プライベートは全くありません。

その時進路を後悔したようなことはありませんでしたか?

大久保氏:
それでも辞めようとは思いませんでした。聞いたところによると、和食の世界はもっと厳しかったりするそうですから、当時はそれが当たり前の時代だったんだと思います。
とにかくそのようにして学生時代を過ごし、フランスを後にしました。

■ミシュラン三つ星シェフ、アラン・デュカスに学ぶ。

帰国後のキャリアについてお話いただけますでしょうか。

大久保氏:
卒業する頃、フランスではアラン・デュカス(注1)がフレンチをアジアンテイストにアレンジした料理がとても流行っていました。アラン・デュカスが日本にも店をオープンすると聞き、「Spoon(スプーン)」のオープニングメンバーとして運よく働かせてもらえることになったのです。日本で修業をするのも、できればフランス人シェフの店がいいと思っていたので、希望が叶いました。

店に集まったスタッフは、そうそうたるメンバーでした。すごい経歴と腕前の人ばかりでしたから、とても勉強になりました。デュカスの店では、仕込みとレストラン営業は違う場所で行うというスタイルでした。普通なら1つの場所でやるのですが、レストラン営業と変わらないだけの人員をそろえて、仕込みだけを仕込み場で行ないます。いわば2店舗分のスタッフで、1つの店を営業しているようなものです。そういう贅沢な恵まれた環境でしっかりと学べたことが、今の仕事にも大いに役立っています。

注1.アラン・デュカス
史上最年少で三つ星を獲得したシェフであり、ミシュランから異なる国で三つ星を獲得した世界初のシェフ。パリ、モナコ、ロンドンで三つ星レストランを経営している。

当時の経験の中で、特に学びとなったことは?

大久保氏:
経験豊富な料理人の方々と一緒に仕事をさせていただきましたがその中でも、小島景さん(注2)の存在は特別だったと思います。フランス人シェフと日本人スタッフの間を取り持つポジションとして、フランスのデュカスの店から3ヵ月だけ日本にいらっしゃった期間があります。デュカスの店で2番手を任されている方でした。

後にも先にも、小島さんほど料理に対してストイックで、探求心を持った人物には出会ったことがないほど、その姿には鬼気迫るものを感じました。本当に修業僧というか、求道者としてのすごみを感じる方で、一切の妥協を許さない厳しさに触れ、本当に大きな刺激を受けました。その印象は、今でも強烈に僕の記憶に残っています。

注2.小島 景
ベージュ アラン・デュカス東京の総料理長。24歳で渡仏し、アラン・デュカス傘下のレストランで活躍。モナコの三つ星レストラン「ルイ・キャーンズ」のスーシェフなどを歴任。

3年半ほど勤めた後は紹介をいただいたパティスリーで、パティシエの仕事を経験しました。フランス料理とは畑違いですが、価値ある経験を積ませていただいた貴重な期間です。職人的な技術を持つパティシエが作るケーキの出来栄えというのは、本当に他のものとは比べ物になりません。精巧な作り物のように美しく仕上がったケーキは、芸術的でさえあります。また違った職人の世界を体験しました。

そうこうしていると、デュカスの店がもう一度、日本にオープンしました。「ベージュ アラン・デュカス東京」です。以前に「スプーン」で働いていた経歴を評価され、再びデュカスの店で修業する機会を得ました。アジアンテイストだった「スプーン」とは違って、今度は正統派のデュカス本来の料理を提供するレストランです。オープン前には業界内でも大きな話題になったほどで、いざ入社してみると本当にすごい人たちばかりでした。豪華なメンバーがそろった環境の中で、再スタートを切ることができたと思います。

Pierre(ピエール)

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