味を決めるのはチーム。あらゆる因子がその料理の質を決める

唐閣(T’ang Court)
孫 偉倫(ソン ワイラン)

■13歳で厨房に立ち、15歳で中華鍋を握った。その早咲きの才能にせまる。

誰があなたに厨房に立つことを勧め、プロへと導いたのですか?どのようにして料理人としてスタートしたのですか?

孫氏:
13歳の時、週末には地元の料理店で店員として働くようになりました。そして、いずれ私の師匠となる先輩シェフの一人である邱家明(ヤオ カーミン)シェフは、私は他の従業員の誰よりも努力家であると思ったそうです。
例えば、私は残業することをまったく煩わしいとは思いませんでした。仲間達が1日10時間働いていたら、私はおそらく1日12時間は働いていたでしょう。きっと彼はそのことに気づいていたから、14歳になった私を厨房で働かせてくれるようになったのではないかと思います。

私の厨房での仕事は、ソースをシェフに手渡したり、材料をより分ける等の小さな事から始まりました。その仕事をこなすにはひと月もあれば十分で、彼はその後すぐに私に、広東料理店における最初の特別なポジションである「打荷」(※1)となるよう指名しました。

※1:打荷
中華鍋を扱うシェフのアシスタントのこと。この制度は、現在は多くの中華料理店で広く用いられています。厨房にやってきた新人にとって、まず料理がどのようにして調理されているのかを見ることが出来るもっとも魅力的な役目であるとも考えられています。

それは早いですね!

孫氏:
邱氏は私には才能があると思ったみたいですよ(笑)。でも本当は私はただ努力を重ねただけなんです。もし10時に仕事が始まるとしたら、私は8時半には仕事につきます。従業員のまかないも先輩シェフの休憩中に私が一人で作っていました。そうした行いが認められ、15歳の時にはお客様の食事も作らせてもらえるようになりました。

学校はどうしていたのですか?

孫氏:
私の両親は離婚しており、家は貧しい家庭でしたので、私は早くに自立して生活する必要がありました。なので、料理をして生きて行こうと15歳の時に退学しました。

はじめからこの仕事が好きでしたか?

孫氏:
私が10歳の頃、マンゴージュースとココナッツとサゴでデザートを考案すると、そのデザートは許留山チェーンによって楊枝甘露(※2)として有名になりました。私はただ家族のために色々と試しに作ってみたりしていただけなんですけどね。

当時は、デザートはココナッツミルクで作るのが一般的でしたが、私は家のそばの露店で売っていたマンゴーを使ってデザートを作ってみようと思ったのです。家族や友人の中では大変好評でした。私は昔から料理することは好きでした。

しかし働き出した頃は、仕事を好んでやっているわけではなく、ただ単に生活のためでした。そのうちやっていることをもっと上手くなりたいと思うようになりました。次第に、ホテルで食事をする上流階級のセレブ達からも良い評価をもらうようになり、上達しているという実感が湧いてくると仕事がとても好きになりました。

※2:楊枝甘露
マンゴーピュレやジュースとココナッツ、サゴを使った広東のデザートですが、現在は香港の定番デザートとしても定着しています。

■小さな料理店から華やかなホテルの世界へ

あなたのキャリアは街の料理店や街のチェーン店から始まりました。そして、のちにホテルの世界へと移っていきました。そこでの違いはどんなことでしたか?

孫氏:
街の料理店で一番求められることは“早い”ことでした。しかし、ホテルでは”質が良いこと”が第一に求められることでした。

その変化についてお話いただけますか?

孫氏:
私のキャリアは「マキシムズ・グループ(Maxim’s Group)」から始まりました。彼らは、香港で既に30店舗以上のチェーン店を展開し、拡大を進める会社でしたが、私は自分の料理の腕を磨きたいと感じたので、「利苑酒家(Lei Garden)」へと移りました。

「利苑酒家」の料理のスタイルと経営システムはとてもユニークでした。私はそこで9カ月間過ごす中で、さらに自分のスキルを磨き続けたい、マネージメントについても学びたい、という思いが強くなり、次のステップは五つ星ホテルだと決めました。私が23か24歳の頃です。

「利苑酒家」は香港ではその質の良さでとてもよく知られていますがとても厳しいことでも有名です。

孫氏:
はい。上司はとても厳しく、彼の罵り言葉もバリエーションが尽きないですね(笑)
「利苑酒家」の調理場はとくに厳しかったです。上司の言う通りに従う必要がありました。
彼らはいわゆる体育会系的なマネージメント・スタイルでしたが、一方でストイックであった為、みんな早く上達することができました。

 西洋レストランに専制的なシェフがいることはよくありますが、中華レストランでもそれは普通ですか?

孫氏:
中華レストランでもシェフの世界の厳しさのは同じではないでしょうか。
まず、食べるものを提供するのですから、シェフは基本的な常識をもっていなければならないと思います。エプロン姿でたばこを吸いに外に出るなんてことがあってはいけません。そういったモラルや、マナーは大事ですが、必要以上の厳しさや決め事はマイナス面もあると感じています。

厳しいことによるプレッシャーで人が成長するという側面もありますが、そればかりだと嫌になってしまいます。

あなた自身のマネージメント・スタイルとは何ですか?

孫氏:
まず、ルールを設定し、従業員に見本を見せます。もし、一度、二度、三度と試しても彼らが正しく出来なければ、もう一度見本を見せます。デモンストレーションをしなければいけないのです。一度彼らの心をつかめば、彼らは私のやり方についてきます。良いシェフは従業員に対して、何をどのようにやるのが正しいのか見せることができなければいけないと思うのです。それが出来れば、従業員はこちらを尊敬し、ついてくるでしょう。そうすれば怒鳴りつけることなど必要ないのです。

あなたのやり方は実際上手くいっていますか?

孫氏:
そう思います。10年以上このやり方でやってきましたが、この唐閣に赴任してきた時も多くの人が私についてきてくれました。大体20名はいるでしょうか。

あなたは33歳の時に五つ星ホテル「シャングリ・ラホテル寧波」の料理長となり、そして中国本土へと移ったのですよね。

孫氏:
そうです。香港の「ランガムプレイスホテル」(現在はコーディス香港 アット ランガムプレイスとしてリニューアルされた)にあるミシュラン一つ星レストラン「明閣(Ming Court)」で2年間、曾超敬氏(Tsang Chiu King)と共に働きました。彼のニックネームは「スーパーマン」でした。それはただ彼の名前が広東語でスーパーマンと発音が似ていたからだけではなく、長年の彼の仕事ぶりを表すものでした。広東料理の世界ではとても名の知れたシェフだった彼の兄弟がそうであったように、彼は香港の「明閣」の膨大な料理の品数の立案者でした。彼の料理のスタイルは、5年間過ごしたスイスの影響を強く受けており、フォアグラのような西洋の材料と伝統的な広東料理を上手く融合させていました。

曾氏と共に働いたこととそこでの全ての経験は、私の経営方針や料理のスタイルに強く影響を与え、私のキャリアの基盤となっています。シャングリ・ラホテルにランガムプレイスホテル、そして曾氏との出会い、この一連の経験は、後のホテルの世界で生きてゆく事を決めたきっかけでもありました。

五つ星ホテルレストランでの経験はシェフとしてのキャリアにどのような変化をもたらしましたか。

孫氏:
シェフとして、最も基本的に向き合うものは味、味、とにかく味です。しかし、一流シェフとして、向き合わなければいけないものは、もはや味だけではなくなりました。マネージメントです。

味を決めるのは自分ではなく、チームです。ありとあらゆる因子がその料理の質を決めますから、スタッフの教育が不十分であったり、材料が悪かったりすると、今までになかった多くの問題を抱えることになるでしょう。もう味だけのシンプルな問題ではないのです。

良い料理人というのは、キッチンから出てきた料理そのものではなく、どれくらいの時間をかけ、どのようにしてお客様に料理を提供したか、ということです。そのためにはチームと上手くコミュニケーションを取り、自分の考えを皆にきちんと伝えておかなければなりません。

唐閣(T’ang Court)

お問い合わせ
+86 21 2330 2430
アクセス
The Langham Hotel, 99 Madang Road, Shanghai
1 minute on foot from Huangpi (S) Rd Metro Station
営業時間
Lunch
Mondays and Sundays
11:30am to 2:00pm

Dinner
5:30pm to 10:00pm
定休日
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