この一皿で本当に伝えるべきことは何か

CIEL ET SOL
音羽 創

■「音羽」の姓を持たなかったら、修業に音をあげていたかもしれない

父の音羽和紀氏が栃木県・宇都宮市にフランス料理店「オーベルジュ」を開いて3年目に生まれた。音羽和紀氏と言えば、故アラン・シャペル氏に日本人として初めて師事し、クオリティの高いフランス料理を地域に根ざして提供し続けてきた名シェフだが、音羽氏にとっては「父」。
家庭で仕事について楽しそうに語る父を誇りには思っていたものの、成長するまで和紀氏の社会的な評価を意識することは少なく、自分自身が料理の道に進むつもりもなかったという。

子どものころにお店の手伝いをしたり、和紀氏から料理の手ほどきを受けることはあったんですか?

音羽氏:
なかったです。兄は小さいころから店を継ぐ意思があったようですが、僕は何も考えていなくて(笑)。中学、高校と部活で陸上をやっていて忙しく、将来についても「大学を卒業して会社員になり、安定した生活ができればいいな」という程度のぼんやりしたイメージしかありませんでした。

転機は高校3年生の時。イタリア・パルマで開催される料理イベントに父が参加することになり、なぜか僕が連れて行かれて…。イベントにはフランスやイタリアのシェフたちも参加していて、彼らは店の二番手と一緒に来ていたのですが、父の同行者は僕だけ。

僕のコックコートもちゃんと用意されていて、父に言われるがまま、冷や汗をかきながら料理実演の手伝いをしたんですね。その時に司会者が僕のことを「音羽シェフの息子さんです」と紹介してくれたら、客席から絵に描いたようなスタンディングオベーションを受けたんです。割れんばかりの拍手に包まれながら、これが父に向けられたものだと思ったら、すごいなと。父が築いてきたものを受け継ぎ、自分でも深めていきたいという気持ちが芽生えました。

高校卒業後は宮城県塩釜市の「シェヌー」で4年半修業されましたね。

音羽氏:
父曰く、「少しでも早く現場を経験して、技術を持ったシェフのそばで仕事をした方が早く成長できる」と。だから、専門学校には行っていません。僕の場合は将来的には家族と店をやっていくのが決まっていたので、修業時代は厳しい環境で自分を鍛えたいという思いもありました。

「シェヌー」は父から勧められて修業に入りました。「シェヌー」の赤間善久シェフは度量のある方で、はっきりした性格の僕を見守ってくれるだろうという親心も父にあったように思います。実際、赤間シェフは18歳の僕を息子のように受け入れてくれ、「シェフのために頑張りたい」という気持ちが修業の原動力になりました。学生時代とは生活環境もまるきり変わりましたから、大変なこともありましたが、一つひとつ仕事を覚えていくことが楽しかったですね。

その後は東京・神楽坂の「ル・マンジュ・トゥー」へ。修業中、同店が初めてミシュラン二つ星を獲得しましたね。

音羽氏:
「ル・マンジュ・トゥー」に移ってからは谷昇シェフが求める技術レベルに追いつけず、苦しんだ時期もありました。目標がはっきりしていたので、やめるという選択肢はありませんでしたが、正直、「音羽」という姓を持たなければ、音をあげていたかもしれません。やはり、父の名に恥じない仕事をしたい、家業を盛り立てていきたいという気持ちは強かったです。

■フランス・アヌシーで修業。「レストランとは何か」を肌で感じた

「ル・マンジュ・トゥー」で2年3カ月働いた後、谷シェフから「本国でも通用する技術レベルだと思うよ」とお墨付きを得て、2008年に25歳でフランスへ。早い時期に渡仏して現地で技術を学んだ父や兄とは異なる道を歩んだ。

渡仏はいつごろから考えていましたか?

音羽氏:
この道に入った時からいずれはと思っており、日本である程度修業を積んでから行こうと決めていました。僕の場合は最終的に栃木でやっていきたいという気持ちが最初から固まっており、フランスに滞在できる期間は限定的になる。その間に現地だからこそ吸収できることを最大化するためには、日本で技術をしっかり身につけてから行った方がいいと考えたんです。

フランス語は勉強して行かれたんですか?

音羽氏:
父とフランス人シェフたちの交流をずっと見ていて、言葉はとても大事だと考えていました。ただ、日本での修業中に集中して勉強するのは難しかったので、語学の習得も渡仏の目的の一つでした。だから、渡仏当初はアヌシーの語学学校に入ったんですよ。

そこに通いながら働けるレストランがないかなと思っていたら、近所に一つ星の「ベルヴェデール」というレストランがあり、問い合わせをしたら、まだ言葉もおぼつかないのに雇ってくれました。二つ星の「ル・マンジュ・トゥー」で働いた経験が評価されたようです。

渡仏したからこそ学べたことは?

音羽氏:
日仏のレストラン文化の違いを目の当たりにしたことは大きかったです。日本ではビストロもレストランもグランメゾンもひとくくりにされることが多いですが、フランスは階級社会なので、レストラン以上の店はお客さまの服装や立ち居振る舞いが違います。特にアヌシーは綺麗な湖のあるバカンス地で、「ル・ベルヴェデール」には裕福なお客さまが集まっていました。格式のあるレストランで求められる料理、サービスとは何かを学びました。

また、修業中に考えさせられたのは、店を持続するために必要な経営的要素は何かということです。「ル・ベルヴェデール」はもともと定食屋さんのようなお店でしたが、二代目がレストランに変え、裕福な客層をターゲットにした店づくりをして成功しました。客単価は高く、春夏秋は昼夜ともに2回転。営業中は忙しいものの、オペレーションが定形化されているために少ないスタッフで効率よく店を運営でき、スタッフの勤務時間も日本の平均的なレストランほど長くありません。おまけにバカンス客の少ない冬の間は休業です。

立地や顧客層、原価率、オペレーション、スタッフの労働環境。「ル・ベルヴェデール」には「これなら店が続いていくよね」と感じさせる要素がたくさんありました。無理がないから、経営者にもスタッフにも余裕がある。その余裕は店の空気にも影響します。

東京で修業中、経営面で無理をして続かない個人店が多いことを「料理やコンセプトは素晴らしいのに」と残念に思っていましたので、サステナブル(持続可能)な経営の大事さを改めて感じました。このとき養った視点は今も生きています。

僕は家業を継ぐと決まっていたので、修業先でも「うちの経営に応用できるところはないかな」と探してしまう癖があって(笑)。いずれ開業したいという思いがある人なら、修業先で料理の技術を磨くのはもちろん、どのような経営がなされているかを意識的に見ておくと良いと思います。

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