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奈良 而今
清水 唱二郎

■料理をできることが自慢になった子ども時代の体験

料理人になろうと思ったのは、いつのことですか?

清水氏:
母子家庭で育ちましたから、小学生の時から自分で料理を作るのが当たり前に思っていました。学校から帰るとおじいちゃんとおばあちゃんの家に行って、夜になると母が迎えに来てくれるという生活です。最初のころはおばあちゃんが料理を作ってくれていたのですが、体調を崩してからはおじいちゃんの担当になりました。でも、70歳を超えたおじいちゃんが作る料理ですから、子どもの口には全然合わなくて(笑)。だったら自分で作ろうと思ったのが、料理を始めたきっかけですね。

小学5年生の時のことですが、調理実習の時間があって、みんなの前で玉ねぎのみじん切りをしたところ、あまりにも手際が良かったことから、思わぬ形で注目を集めてしまいました。当時の自分は、小学生なら料理ができるのは当然だと思い込んでいましたから、周りの友達との差に逆に驚きました。先生よりも上手にできるので、友達からも「すごいな!」なんて言われて、それがちょっとした自信につながったのだと思います。

勉強も運動も全然ダメで、人に勝っていることがありませんでしたが、料理に関しては誰にも負けていないことに気づいたのです。きっとその時から、将来は料理人になることを考えるようになったと思います。

小学生の時から意識していたなんて、すごいですね。でも、中学生や高校生になったら、ほかの仕事にも目移りしたのではありませんか?

清水氏:
意外にそんなことはありませんでしたね。中学・高校では、自分で弁当を作って学校に行っていたぐらいです。遅刻しても弁当だけはちゃんと作るという学生でした。

母にも相談しましたが、料理の専門学校に行くか、大学に進学するかで悩んだ時には、力強く背中を後押ししてくれました。私は勉強がよくできた方ではありませんでしたから、手に職をつけた方がいいと思ってくれたのだと思います。母の理解もあって、高校卒業後は辻調理師専門学校に進みました。

専門学校では、どんな様子でしたか?

清水氏:
正直に言って、あまりエンジョイしていませんでしたね。当時の辻調理師専門学校には、1クラスで100名の生徒がいて、クラスが10以上ありました。同級生が1000人以上いるわけです。それをいいことに、出席のカードだけ提出して、授業を抜け出して遊んでいるような学生でした。どうにもこうにも、勉強が苦手なんです。ずっと椅子に座っているとお尻が痛くなってくるんですよ(笑)。でも、1日に2回あった調理実習だけは真面目に出席していました。

そのころから、和食・洋食・中華とある料理のジャンルがある中でも、和食が自分には合っていると思いました。というのも、学生時代に洋食、和食といろいろなお店でバイトとしてきたのですが、毎日まかないを食べて飽きなかったのが和食だったんです。やっぱり和食はいいなと思って、日本料理の道に進もうと決心しました。

最初に就職されたのは、奈良の老舗料亭だとうかがいましたが。

清水氏:
当時は今のようにインターネットもなく、料理業界のことを知る機会というのがほとんどありません。奈良で日本料理を学ぶのであればと、専門学校から推薦されたその老舗料亭以外の選択肢を持っていませんでした。

入った時には4人の同期がいましたが、最初は調理場には入れてもらえません。表仕事と言われる朝の掃除や店の周りの掃き掃除、器の準備などが主な仕事です。

1日に何百人前もの料理を作る料亭でしたから、器の準備だけでも相当な重労働です。地下の倉庫から器を持ってきて、階段を何度も上り下りするなど、若くなければとても務まらない仕事がたくさんありました。料理はおろか調理場にも立たせてもらえない表仕事に嫌気がさしてやめていく同期も多く、1人また1人と抜けて、1年後には私だけになっていました。

やりがいを感じにくい仕事でしたから、やめていく同期の気持ちもわかりましたが、その老舗料亭で下積みをするのが美学みたいな感覚もあり、一生懸命にやっていました。そうこうしていると、頑張っている姿が認められて、調理場で追い回しを任せてもらえるようになりました。

■厳しい下積みを乗り越え身に付けた強さ

「追い回し」の仕事内容とは?

清水氏:
書いて字のごとく、とにかく追い回される仕事です(笑)。要するに調理場の一番下っ端で、先輩から「あれをやっておけ」「これを持ってこい」と言われて、そこら中を駆け回ることになります。その仕事量が半端じゃありませんでした。

朝は先輩が調理場にやってくるまでに、タオルをたたんで準備したり、まな板をセットしておいたり、氷を準備したり。大根おろしのような下準備は全部追い回しの仕事です。1000個の卵から黄身を取り出す仕事もしました。そうした仕事を深夜にずーっとやるわけです。奈良の行楽シーズンや、お水取り、燈花会、正倉院展などの行事がある時期は特に忙しい期間で2時間ぐらいしか寝れないような生活でした。

そうとう大変な思いをされていますが、後輩が入ってきたりはしなかったのですか?

清水氏:
ちょうど私の後の世代が途切れてしまって、なかなか後輩ができませんでした。私の年齢は、いわゆる「ゆとり世代」とのはざまで、厳しくしすぎるとすぐに人がやめてしまうような状態だったのです。上は厳しい、でも下は誰もついてこないという環境で大変でした。
そうすると、組織の年齢構成に逆転現象が起こってきました。上ばかり人が多くて、下に人がいない状態です。いびつな組織構成では仕事が回りませんから、今までは厳しかった上の層が、下の層が残ってくれるようにだんだんと甘い環境になっていきました。すると料理やサービスの質にも影響が出てしまったのです。

私が入ったころは、厳しい環境の中で素晴らしい料理を作る人がたくさんいらっしゃったのですが、職場の空気がゆるんでくると職人肌の人が次第にいなくなっていきました。私もそうした環境があまり好きではなく、そろそろ卒業する時かなと思って、次の店に行くことにしました。それが24歳の時です。

かなり厳しい環境の中で5年も過ごされたわけですが、そこから学んだのはどんなことでしたか?

清水氏:
はじめに務めたお店に限らず、料理の世界は体育会系で、とても厳しいものです。時には理不尽だなと思うこともありますが、昔はそれが当たり前の時代でした。現代に近づくにつれてそういった理不尽がまかり通らなくなりつつあり、現場も変化してきています。

正しい方向に時代が変わってきているのだとは思いますが、しかし、厳しい環境を乗り越えたからこそ得られる強さというものもあります。私はその強さを身に付けられて、とてもよかったと思っています。

逆に私が経験したような厳しい環境を知らない世代は少しかわいそうだなと思うところもあります。自分で自分を厳しく追い込むことはなかなかできません。人が成長する上では厳しい環境で自分の限界を経験することで成長することもあるのではないかと考えています。

話は戻りますが、その後はどんなところで修業を積まれましたか?

清水氏:
次にお世話になったのは、一緒に仕事をしていた先輩の店です。2年ほどいましたが、もっと都会に出て修行しないといけないなと思い、次に大阪まで出ていきました。

ミシュランガイドで三つ星を獲得されているの日本料理店で、ご主人の料理に感銘を受け働かせてもらうことができたのですが、ここでもなかなか料理の手ほどきをうけることができませんでした。そうこうしているうちに27歳になり、しだいに焦る気持ちも出てきました。

18歳で専門学校に入学して料理の世界に足を踏み入れ、すでに9年が経っています。その頃には、33歳まで(18歳から数えて15年以内)に独立しようと固く心に決めていましたから、そろそろ本格的な料理修行をしないと間に合いません。

ところが、魚もろくにさばいた経験もなく、やってきたことと言えば追い回しのような仕事だけでした。思うように経験を積めないことに悩んでいた時、「祇園にしかわ」の大将、西川正芳さんと出会いました。

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