「待つ」ことは「前進」に等しい ー ポジティブな辛抱は次のステージへと導いてくれる

Restaurant NAKATANI
中谷 慎祐

■ 漠然とした想いで入った料理の世界、想像だにしなかった自分の未来

どういう経緯で料理の世界へ入られましたか?

中谷氏:
高校を卒業したあと、本当にただ漠然と何になろうかと考えていたんです。そのときに調理師や、あるいは美容師などを考えて、結局、大阪の調理師学校に入ることにしました。

父親も普通のサラリーマンで、料理人一家で育ったというわけでもありません。特に大それた理由があったわけではなく料理の道に入りました。

結果的に学校は楽しかったし、先生方とも朝早くからいろいろと準備をしたり、放課後は一緒にご飯を食べに行ったりとか充実した学生生活を過ごしました。それで気がついたら今にいたるまで料理をしています。

なぜ「フレンチ」を選ばれたのですか?

中谷氏:
大きな理由はなく、これもただ漠然とです。学校が2年制で、1年目は全体的な基礎、2年目は専門ジャンルを選ぶことができたんですが、和食でもないし中華でもないなと思って、西洋料理というジャンルを選びました。もちろんその時は、まさか自分が将来パリで店を持つことになるとは思っていませんでした。

調理師学校を卒業後、すぐにフランスに来られたのですか?

中谷氏:
卒業後はまず3年ほど日本で働きました。もともと学生時代からアルバイトをしていたというのもあったのですが、京都の「エヴァンタイユ」や、大阪の「ラ・メゾンブランシュ」という店でしばらく基礎を磨いていましたね。

このときに、10代からフランスでの経験を積み、19歳で南仏にある「ロアジス(L’oasis)」の2番手になった方のもとで働くことができ、とても刺激的な日々を過ごすことができました。

早い頃から本場を知る人と一緒に働くことができたのですね。

中谷氏:
そうですね。20年弱ほど前の話ですから、当時の日本にはまだそんなにフランスの本場を見てきたというシェフはそう多くはなかった。恵まれた環境で下積みをすることができたと思っています。いまでこそフランス帰りの料理人の方々は日本中にいますけどね。

そういう意味で、今の若い料理人の方々は純粋に羨ましいなとも思います。本場を教えてくれる人もたくさんいるし、そもそも働く場所も多いですし、給料も前に比べればしっかりとくれるようですしね。もちろん、時代が違う以上、変に比べても仕方がないですが。

■ フランスでの修行、そして独立。3年滞在の予定が、15年に

最初にフランスに来たころの話をお聞かせください。

中谷氏:
フランスに来たのは23歳のころでした。いまから15年以上も前の話ですね。

フランスのレストランで本場の仕事を見て回って、3年くらいしたら日本に帰ろうと思っていたんですが、気がついたら15年経った今もフランスにいます。

フランスで受け入れてくれた店はどうやって見つけられたのですか。

中谷氏:
最初は日本の調理師学校が提携していたブザンソン(Besançon)の山中のレストランでスタートしました。3ヶ月間だけです。その後、そこでできたツテでアルザス(Alsace)に移動し、数ヶ月間働きました。このときは「Restaurant KEI」の小林圭シェフもそこにおられました。

そんな感じで地方を1年半ほど転々としたあとにパリにきてお店を見つけました。当時はインターネットがない時代ですから、ミシュランの星付きレストランに片っ端から手紙を出したり、誰かの紹介を受けて応募をしたりして職場を見つけました。

ただ、そのころ日本人が働ける店というのは日本人同士や日本の学校のネットワークで大体決まっていましたし、何軒か手紙を出せば1通くらいは返信が来たので、職場探しに途方に暮れるということはありませんでした。流行っているお店とかでも、手紙を送って、もしそこに空きがあればちゃんと検討をしてくれました。

地方で働かれたあと、最終的にはパリに来られたんですか?

中谷氏:
はい、南仏や山のほうも含めてフランスの地方をぐるっと回ったので、そろそろパリも見てみたいなという気持ちが当時ありました。それでパリで仕事を探してみたら見つかった。パリのレストランでも数ヶ月間ずつ2店舗ほど見て回りました。このときに「Passage 53」の佐藤伸一シェフとも出会いました。

Restaurant NAKATANI

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