先代の想いを受け継ぐ責任感と、お客様にとってのいつもの味を大切にする使命感

湖月
佐藤 重行

湖月 佐藤重行

■吉兆での修業から進路転換!いざ海外へ

「吉兆」を出て海外へ行こうと思ったきっかけは?

佐藤氏:
「吉兆」で働いている時から、休みの日にはよく遠出をしていました。北海道や九州、国内各地をツーリングして。その時にバイク仲間として知り合った人がフィリピンとタイに青年海外協力隊(補足:外務省所轄の独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施する海外ボランティア派遣制度)として派遣されていたのです。遊びにおいでよと言われて、せっかくだからと仲間を訪ねる海外旅行をしたのですが、その時に海外をとてもおもしろく感じて。それからよく海外には行っていました。

そんなこともあって、「吉兆」を辞めたら海外に行きたいと思うようになりました。たまたま母親に、青年海外協力隊の募集があるようだから興味があるなら(応募してみたら)どう?と言ってもらったことがきっかけで、説明会に行ってみたのですが、そこで募集分野に「料理」があることを知りました。料理人の君にうってつけだよ、英語はできなくてもいいよ、合否結果が出てから海外に行くか行かないかは決めたらいいよ、と言われて(笑)とりあえず採用試験を受けたところ…受かってしまったんです。

選択を迫られて、結局は店を辞めることを決めました。お店には、海外渡航までまだ1年間の猶予があるからそれまでは仕事をさせてもらいたいと相談をしました。伊勢丹店の料理長には退職を慰留され、海外派遣までは留まって仕事をしていいよとも言ってもらえました。ですが、前例を作ると他の料理人の手前よくないという判断もあり、結局すぐに辞めることになりました。

「吉兆」での修業時代を振り返って、印象に残っていることは?

佐藤氏:
「吉兆」では、すべてを学びました。最初に器の係を1年間させてもらいましたが、いいものを見せてもらったと思っています。華やかな時代の最高の店の器、美術館にうやうやしく並んでいるような器を、実際につかっていましたから。「この魯山人の皿1枚でマンションが買えるんだぞ!」「割ったら一生タダ働きになるぞ!」とよく言われていました。きっと今も吉兆では現役でそうしたお皿が使い続けられていると思います。

実は、海外で仕事がしたいなら、海外の日本大使館にも「吉兆」のOBがいるから紹介もできるよと言ってもらいました。ですが、「吉兆」を頼ってしまうと、いずれまた「吉兆」にご恩を返すために戻らなければならないし、いつまでも独り立ちができないと思って、断りました。自力で海外に行きたかったのです。

湖月 佐藤重行

■青年海外協力隊としてシリア人に日本料理を教えた2年間

青年海外協力隊(以下、協力隊)として派遣されたのは、シリア。現在では内戦や難民のイメージが強いですが、行くのに抵抗はありませんでしたか?

佐藤氏:
若さもあって、シリアに行くことについてはなんの抵抗もありませんでした。むしろ人生のバケーションだ!なんて気楽な気持ちでいました。吉兆で仕事するよりも楽で、休みもいっぱいあるな〜と思って(笑)。任期は2年間とあらかじめ決まっていましたが、延長も可能と言われていました。

私がシリアに行ったのは25歳の時。1995年でした。シリアにはローマ時代の遺跡がたくさんあったので、当時は観光目的でシリアに来る日本人も多かったようです。そうした日本人旅行者の多くは中高年層。現地の食べ物が脂っこいこともあって、シリアでの日本食のニーズはきっと高まっていくだろうと言われていました。将来、日本人向けの日本料理店を作ることを目的に、現地のシリア人に日本料理を教えるのが私の協力隊としてのミッションでした。

シリアでは協力隊として具体的にどんな活動をされたのですか?

佐藤氏:
当時のシリアには、ホテルスタッフの養成学校がありました。その料理部門にはフランス料理とアラブ料理の2コースがあって、給仕やベットメイキングなどを教えるカリキュラムもありました。そこに新しく日本料理の授業を加えたようなかたちで、私は18〜20歳の学生たちに日本料理を教えることになったのです。

基本的には英語で授業をするので、渡航前の2カ月間は日本で英語の勉強をしていきました。実際には英語がわからない学生もいたので、シリアに行ってからアラビア語は勉強しました。書くことはできないのですが、しゃべれるようにはなりましたよ。住んでいれば身につくものです。もうあれから20年も経つので、単語はだいぶ忘れてしまいましたけれどね。

シリアでの生活には、どんな苦労がありましたか?

佐藤氏:
日本から持って行った包丁を盗まれました(笑)。しかもシリアに到着した初日に! 首都・ダマスカスの空港で自分のスーツケースだけが出てこなくてね。料理にとって一番大切な包丁がないまま、現地の包丁を使って授業をスタートしなければなりませんでした。しばらく後になってからですが、JICAのサポートを得て、日本の調理道具を取り寄せてもらうことはできましたけどね。

協力隊はお金を稼いではいけないので、仕事以外の時間はすべてプライベート時間。何か事故があっては困るのでバイクではなくバスでしたが、いろんな場所を旅してまわりました。地方は英語がまったく通じなかったですが、楽しかったです。

シリアの食べ物はおいしかったので、太りましたよ。日本で今はよく知られているクスクスはモロッコ料理ですが、シリアでもよく食べられていて。丸くて平たいパン、豆のペースト、羊肉などもよく食べていました。

当時教えていた生徒で、今でも連絡を取っている人は一人。残念ながら日本料理をやっている人は一人もいないようです。日本では「給料の金額に関係なくやりたい仕事、好きな仕事を選ぼう」なんて言われたりもしますが、シリアは裕福な国ではないので、お給料の金額で仕事を選ぶよりほかないですからね。

シリアで体験された印象的な出来事があれば、ぜひ教えてください。

佐藤氏:
当時の村山首相、池田外務大臣にお料理をお出ししたことがありました。シリアの日本大使館に呼ばれて、料理を作る機会をいただいて。大使館ではシリア人の料理人を雇ってはいましたが、日本人が作る本物の日本料理をお出ししたいということでした。食材は大使館が手配してくれましたが、おそらくイギリスかフランスに仕入れに行ってくれたと記憶しています。とても貴重な経験でした。

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