「店づくり」は考えない。気持ちのいい空間を作りたい

御料理 壽修
先崎 真朗

■専門学校1年目に訪れた「斗々屋」に衝撃を受けた

先崎氏の出身地は佐賀県。父が美術教師で、幼いころからものづくりやデザインに親しんで育った。料理人を志したのは高校3年生の時。「手に職をつけて何かを表現し、将来的には独立開業したい」という漠然とした思いがあり、現実的に自分にできそうなことが料理だったという。高校卒業後、大阪の日本調理師学校で2年間学んだ。

専門学校入学当時から日本料理をやろうと決めていらっしゃったんですか?

先崎氏:
専門学校の1年目は総合的に料理を学ぶカリキュラムで、入学当時はどちらかというと西洋料理に興味がありました。ところが、1年生の時に同級生たちとどこかのお店に食べに行って勉強しようということになりましてね。担任の先生から勧められて訪れたのが大阪・北新地の日本料理店「斗々屋」さん。「こういう世界があるんだ」と衝撃を受け、「ここで働きたい」とすっかりその気になってしまったんです。

「斗々屋」さんは料理はもちろん、器やしつらいに至るまで独特の世界観のあるお店ですね。

先崎氏:
はい。18歳の僕にとってすべてが初めて触れるもの。圧倒的なインパクトがありました。卒業のタイミンングでは人員の空きがなく、「明月記」(兵庫県宝塚市)という比較的大規模な懐石料理店に就職したのですが、専門学校担任の先生から「斗々屋さんで人が空いたから働かないか」と声をかけていただいて、卒業2年目から「斗々屋」さんで働くことができました。

憧れのお店で働いてみていかがでしたか?

先崎氏:
ある程度覚悟はしていましたが、甘い世界ではなかったです。最初の1、2年はいわゆる追い回し。皿洗いや使い走りがおもな仕事で、魚にはほとんど触れませんでした。魚の水洗いといった下処理を任されるようになったのが3年目。魚をおろさせてもらえるになったのは、7年目に先輩が別のお店に移り、僕が2番手になってからです。カウンターがメインの、親方の個性が色濃くあるお店でしたから、その後も味付けを担当するようなことはなかったですね。焼き物を少し見させてもらうくらいでした。

親方はどのような方でしたか?

先崎氏:
厳しい方でした。私も結構勝ち気でしたから、割と激しい叱責もありました。でも、そこでヘコむことは一切なかったです。「いつか自分でお店をやるぞ」という心構えがありましたから、叱られても黙ってはいないというか…。もちろん、口ごたえをしたりは一切しませんでしたが、親方に文句を言わせない仕事をしてやろうという気持ちがすごく強かったですね。それに何より、親方の料理が好きでしたし、お店が好きでした。

「斗々屋」さんの料理は、シンプルで素材の持ち味をダイレクトに出した日本料理。何を食べているのかわからない料理は出さないというのが親方の信条で、素材選びも厳選していました。修業を始めてからほかのお店もいろいろと食べ歩きましたが、やはり親方の料理はおいしいなと思いました。

それは大事なことですよね。

先崎氏:
はい。若いうちは、自分の働いているとことに誇りを持てるということがすごく大事だと思います。僕の場合、親方の物の考え方や、器の選び方にもずいぶん影響を受けたと思います。休日には美術館や器の個展にお伴させていただくことも多く、その帰りにはよく京都のお店へ食事に連れていってくださいました。美術はもともと好きでしたが、親方のお陰で器や書、掛け軸といったものも勉強することができましたし、関心もより深まりました。今の私のベースとなっているのは、やはり「斗々屋」さんだと思います。

■「10年以内に東京へ行く」と修業を始めた時から決めていた

「斗々屋」での9年間の修業を経て、29歳で上京。寿司店「西麻布 拓」での酒肴担当を経て、30歳から東京・白金台の日本料理店「箒庵」(2010年閉店)で4年間働いた。

上京を決めた理由は?

先崎氏:
故郷を出て、大阪の専門学校に進学する時にすでに「10年以内に東京へ行く」と決めていました。広い世界を見てみたいという思いがあったんです。単なる好奇心ですよ。

いずれ上京したいということは、「斗々屋」の親方にもお話されていたんですか?

先崎氏:
辞める1年ほど前に話をさせてもらいました。ただ、当時は僕のすぐ下の後輩がまだ入って2年目で、彼女をある程度育てるのが自分の役割だと考えていましたから、「今すぐ」という話ではありませんでした。その後、もうひとり後輩が入り、親方の下にふたりいれば何とかお店がまわるかなと考えて、本格的に「東京へ行きたいです」と伝えました。東京で働くお店のアテはまったくなかったのですが、知人に相談したところ、これから東京でお寿司屋さんを開業するという方を紹介され、そこで働かせてもらうことにしました。オープニングスタッフとして店づくりを学ばせてもらえば、いずれ自分が開業する時にも役立つと考えたんです。上京後1年半ほどそのお寿司屋さん(「西麻布 拓」)で働いて、お店の状況が落ち着いてきたタイミングで白金台の「箒庵」という日本料理店に移りました。

「箒庵」はどのようなお店だったのですか?

先崎氏:
60席ほどでカウンターがなく、10席ちょっとの「斗々屋」とはスタイルが違うお店でした。料理人もたくさんいて分業が徹底しており、厨房で作った料理をホールスタッフが運ぶ…という。規模が大きめのお店も経験しておいた方がいいかなと考えて入ったのですが、自分で店をやるなら、「斗々屋」のような店がいいなと思いました。やはりお客さんの顔が見えないのは、料理をしていて面白くないなと思って。

カウンターでお客さんの反応をダイレクトに感じられると、やはり張り合いがありますよね。

先崎氏:
それに、「常にお客さんに見られている」という緊張感は大事だと思いました。「箒庵」でももちろん皆さん、きちんと仕事はやっていましたが、厨房が裏にあると、ちょっとした空き時間に私語が出たりするんですね。当たり前の光景なのかもしれませんが、僕は少しなじめないものを感じました。そこで、お寿司屋さんに戻って修業を続けながら、開業の準備をしようと考えました。

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