まずは目標を立てる。そこから逆算して人生を組み立ててきた

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本多 誠一

■食材をいじるのが好きだった幼少時代。ごく自然に料理の道を選ぶ

どういうきっかけから、料理人を志そうと思うようになったのですか?

本多氏:
実家が魚屋を営んでいて、食材をいじるのは好きな子どもでした。今でも、魚は食べるのも触るのも好きですし、見ていて楽しいですね。そんな環境で育ったので、幼い頃から食に携わる仕事につきたいと思っていました。だから、高校卒業してからは、フランス料理店で見習いとして働き始めたんです。

けれど、日本にずっといるつもりは初めから頭になくて、準備が整ったらできるだけ早くフランスに行こうと決めていました。フランス料理を学ぶのなら、どう考えたってそれがいいに決まっていますから。だって、日本に来たことのない外国人が開く日本料理店に行きたいですか? それと同じだと思ったんです。

とはいえ、資金や語学などについてはどうされたのでしょう?

本多氏:
実は、高校卒業時にはけっこう貯金があったんです。というのも、高3の3学期には進路が決まっていたから、もう学校に行かなくてもいいやって(笑)。スキー場のレストランに住み込みでアルバイトに行き、スキーやスノボーをしながらがっつり貯めたんです。

このお金はひとり暮らしをする資金と、店が休みの日に通った語学学校の授業料にあてました。こうして地固めをしつつ、そろそろというときに店を辞め、フランスに渡る準備を始めました。

貯めたお金はもう底をついていたので、数か月間はアルバイトをしてお金を貯めつつ、フランスでの働き口を見つけようと、手紙を書いては送る日々でしたね。毎晩毎晩手紙を書き、トータル200通以上は書いたんじゃないでしょうか。それで現地の店に採用が決まり、フランスに渡りました。

■最低5年はいようと決めていたヨーロッパの生活は、フランスからスタート

渡仏してからは、どのように過ごしましたか?

本多氏:
フランスに渡ってからは、フランスで2店、ジュネーブで1店のレストランを経験したのち、かねてから興味のあったバスク地方に行ってみたいと思い、店を移りました。店を移るときの手段は、手紙だったり紹介してもらったり。運なのか縁なのかわかりませんが、そうやってつなげていきましたね。

バスクのレストランでは、スーシェフもご経験されたそうですが、認められるために気をつけたことなどはありますか?

本多氏:
当時は戦略とかまったく考えていなかったですが、気に入られる努力はしましたね。何か手伝うことはないかと積極的に声をかけたり、シェフが市場に行くなら志願して連れて行ってもらったり。そして、休憩時間はフランス語の勉強にあてて、先輩に「おまえ、フランス語なんて勉強しているのか」なんて茶々を入れられながらも、毎日1時間必ず勉強していました。そういうのをシェフは見てくれていて、真剣さが伝わったんだと思います。

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