古に存在したチリネイティブの人々の料理を、ガストロノミーで次の世代につなげていく

Boragó(ボラゴ)
Rodolfo Guzmán(ロドルフォ・グズマン)

画像提供:Boragó

■アメリカでの調理場での仕事が料理への道に

レストランがあるのは、チリ・サンティアゴ。なかなか行ったことがない方も多いと思うのですが、どのような人々が住んでいるのでしょうか?

グズマン氏:
色々な民族が混ざり合っている町です。例えば私の場合、父は先住民族のマプチェの血を引きますが、母方の祖母はユーゴスラビアの内戦から逃れてきた移民でした。
私はサンティアゴに生まれ育ちましたが、料理好きの母方の祖母と夏の間借りているサンティアゴ郊外の別荘によく行き、自然の中でしぼりたてのミルクを飲み、祖母が手作りしたチリ料理やヨーグルトを食べて育ちました。

料理の道に入ったきっかけはなんだったのでしょうか?

グズマン氏:
子供の頃からクリエイティブなタイプで、学校の授業には興味がわきませんでした。授業は退屈でしたし、自分が好きな絵を描いたりするのにとても忙しかったのです。その頃は、料理に全く興味はありませんでした。
父は雑誌やパンフレットを印刷する会社を一代で立ち上げて成功させ、母はそれを手伝っていました。今彼らのビジネスモデルを考える上で、とてもクリエイティブな親だったと思います。私は4人兄弟の長男で、両親は当然私が継ぐことを期待していました。けれども、それが嫌で、19歳の時にアメリカに逃げ出しました。もう一つの理由は、当時のガールフレンドを追いかけてというのもあるのですけれども。
アメリカでは、生活費を稼ぐために、色々なことをしました。その一つが、調理場で働くことでした。その時に、自分自身の中に料理への情熱を見つけたのです。

■本格的な料理人修業をするためにスペインへ

その後、チリで本格的に料理の勉強を始めたのですね。

グズマン氏:
21歳で、サンティアゴに帰ってきて、2年間料理学校に通いました。卒業後、チリでテレビ出演もしている有名シェフの店に行って働き始めたのですが、同僚たちは料理になんの情熱もなく、仕方なく厨房にいるという人ばかり。がっかりしてスペインに渡ることにしたのです。

最初のレストランは、「アズール・プロフンド(Azul Profundo)」という、たった40ユーロで7皿ものテイスティングコースを出すイノベーティブなレストラン。ここで、キッチンのタフさに慣れました。
とても安い価格で、数をこなさないといけない。しかも、料理の質は落とせない。料理の基本を学んだと思います。
次は、「バルサック(Balzac)」。ここはモダンでしたが、クラッシックな手法も使う素晴らしいレストランでした。
最後は、「ムガリッツ(Mugaritz)」。スタジェとして1年間働きました。

しっかり経験を積んで、母国チリに帰ることを決めたのですね。

グズマン氏:
はい、当時チリの経済は銅や海産物、農産物の輸出などで潤っていました。
チリは大きい国で、素晴らしい食材がある。その魅力を伝えるレストランをやれば、チャンスがあると思ったのです。そこで、2006年に、「ボラゴ」をオープンしました。私のレストランは新しいと思っている人が多いですが、実はかなり昔からあるのです。オープン当初から、採集活動も行なっていました。

地元の魅力を表現するために、100%地元で採れた食材だけではなく、昔からチリで食べられてきた食材を使うことをコンセプトにしました。唯一の例外は、地元で栽培されるようになったトリュフくらいです。

自信がありましたが、評判は散々でした。
地元の食材は、毎日食べるためのもの、そして質の低いものとチリでは考えられていて、ボラゴの料理は、普通のファインダイニングのレストランの半分以下の価格なのに、客席に誰もいない日が続きました。
ある日、地元の著名なレストランジャーナリストが来店し、「牛の餌に使う草を使った料理など食べたいか?『料理』を持ってきてくれ」と店の評価を書かれた後、余計に見向きされなくなりました。

人々の頭の中では、高い輸送費をかけて海外から輸入される食材、例えばフォワグラやキャビア、トリュフ、日本の魚などが、レストランで食べる価値あるものだと思われていたのです。

目の前の海には素晴らしい魚があるのになと悔しい思いをしました。自然は値札をつけないのに、「安いものは質の低いもの」と思われてしまうのです。

スタッフはそんな状況に見切りをつけて、数ヶ月ごとに変わってしまいました。


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■苦境を乗り越えたその先に訪れたベストレストランでの高評価

予想とは全く違う厳しい展開だったのですね。

グズマン氏:
はい。厳しかった7年間で、5回レストランを売ろうとしました。
最後は本当に売るギリギリまで行きました。
その時に相手が「やっぱり買えないよ」と言った時は、本当に目の前が真っ暗になりました。「どうしよう、銀行から膨大な借金がある、このままでは牢獄に入ることになる」と不安ばかりが頭を駆け巡りました。

でも、そこでもし店を売ってしまっていたら、ボラゴも今の成功も存在していなかったわけですよね。

グズマン氏:
はい。全てが変わったのが、2013年の「ラテンアメリカのベストレストラン50」です。「君のレストランが受賞するから、表彰式に来るように」と連絡をもらった時は、大して期待していませんでした。

結果はチリ勢としては最高の、ラテンアメリカ8位!
発表があった次の日から、毎日2−3組しかゲストがいなかったレストランが1ヶ月先まで満席になったのです。料理を変えたわけでも、何を変えたわけでもありません。海外からのゲストだけでなく、これまで私たちの料理にそっぽを向いてきたチリの人たちもやってきていました。

2018年はサステイナブルアワードも受賞されましたね、おめでとうございます。提供している料理は、マプチェと呼ばれる、チリに昔から住むネイティブの人々の料理を、現代風に次の世代につなげていく料理ということですが。

グズマン氏:
はい、そうです。
私にもマプチェの血が流れています。約8割のチリの人々は、マプチェの血を引いているはずです。2000年の歴史がありますが、その伝統も500年前のスペインの植民地化によってないがしろにされてきたように思います。

マプチェというのは、部族の名前でもあり彼らが信じる宗教の名前でもあります。1つの神を信じていますが、その神はあらゆるところにいるのです。大地の神であり、私たち人間もその大地の一部であるという考え方です。

日本にも、大きな木や恵みの雨に神の存在を感じたりと、自然の至る所に神がいるという「八百万の神」というものがありますが、それに近いですね。

グズマン氏:
その通りです。だから、サステイナブルアワードをいただいたことは嬉しいですが、何か新しいサステイナブルなことをしているかというとそうではないのです。マプチェの考え方は、自然の輪の中に人間がいるという考え方です。それに従っているだけなのですが、それが結果としてサステイナブルという捉えられ方をしているのだと思います。

例えば、冬の間、部屋を温めるために焚いた残り火でパンや野菜を焼くのは、チリの伝統的な料理です。私の母も、そう言った料理を作って食べさせてくれていました。パンのタネをそのまま直接炭に入れるので、表面はカリッとスモーキーに、内側はしっとりと焼きあがってとても美味しいのです。

日本でも伝統的な家屋には囲炉裏という火を焚くエリアがあって、そこの埋み火にさつま芋を入れて焼き芋を作ったりしますが、それに似ていますね。

グズマン氏:
非常に似ていると思います。焚き火に使う木は「ChilianEspino」というアカシアの仲間の木の炭を使います。私たちは、このやり方を応用して、魚の頭を焼いています。香りのよいイチジクの葉で巻いて、さらに小麦粉と灰で作った生地で包んでから、蒸し焼きのように焼き上げます。チリでは、魚の頭は動物の餌になったり捨てられてきました。でもここはゼラチン質があって美味しい場所なのです。先入観に囚われず、味で判断してほしい。そう思ってあえて頭の部分を使っています。


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■身近に存在していた食と歴史

新しくユニークな方法で伝統的な手法を再解釈しているのですね。

グズマン氏:
でも、実は新しいとは言えないのかもしれません。

この木はこの他にも、色々なことに使います。例えば、ずっとチリ産のコーヒーを提供したいと思っていたのですが、残念ながら気候が寒すぎてコーヒーの木を栽培できません。3年かかって、このChilianEspinoの実から種をとって、発酵させてからローストすると、コーヒーに近い味が出ると気づいて、そうして提供しているのです。

そのことを、マプチェの集落の人々に話すと、彼らはとうの昔からそれをやっていたのです。「ああ、でも始めたのはつい最近だよ。2000年くらい前からだから」と言われて、その歴史の雄大さに圧倒されました。

だから、私が「自分が発見した」と思っていたことだって、発見ではないかもしれないのです。

なるほど、誰かが見つけたかもしれないことの、再発見かもしれないという訳ですね。料理を作る際に、どんなところからインスピレーションを得ますか?

グズマン氏:
本当に、色々なところからですね。クリエイティブでいることは、時にとても疲れるものです。どんな時にアイデアがやってくるかわかりませんから、常にブックレットを携帯しています。アイデアノートのようなもので、過去のものを全て積み重ねると1メートルくらいありますね。

今回、日本に来るのは3回目になりますが、例えば、チリにも柿があって生で食べます。日本の干し柿を見て、チリの柿を囲炉裏の上で干したらスモーキーで美味しいだろうな、などと考えます。このように使うのは昔からチリで使われてきた食材ばかりですが、それを使うアイデアは色々なところから得ています。

旅だけではなく、ヴィジュアルからインスピレーションを得ることもあります。例えば、真っ黒の「ブラックシープ」というデザートは、例えばビジュアルから先にアイデアが湧きました。タイトルも言葉遊びでつけました(英語のブラックシープというのは、黒い羊というだけでなく、厄介者、という意味もある)。

最近店を移転して、元の店をラボにして、研究開発をしています。まだ詳細は言えませんが、今は、開店当初から温めていたアイデアがもうすぐ形になるところ。13年越しですから、とてもワクワクしています。


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■料理人が地域、そして世界の食に変化を与えていく

ボラゴの成功が、地元の食に与えた影響も大きいのではないですか?

グズマン氏:
またチームとともに約200人の採集を行うパートナー、約50人の小規模生産者と密に連絡をとり、素晴らしい食材を手に入れられるようになりました。

おかげで、最近はチリでの地元食材への見方も変わり、いわゆるフランス料理やイタリア料理のファインダイニングでも、チリの食材を一つ二つ取り入れるのがトレンドになりつつあります。こうして、人々のものの見方が変わって、地元の食材の良さが認められてきたのはとても嬉しいことです。

しかしマプチェの料理に使われるのは天然の食材も多い訳ですから、とりすぎになったりはしませんか?

グズマン氏:
自然は賢いですから、一つとるとそこから二つの葉が出る。もちろん、根こそぎとることはしません。その辺りは、各地のパートナーたちがきちんと判断してくれています。また需要の上昇によって、これまで見向きもされなかった野生の植物を畑で栽培する人も出てきました。こういった変化も、嬉しい変化です。

彼らとの関係性は「ボラゴ」がガラガラだった頃に各地に旅して築き上げたものです。こう考えてみると、あの時期があったからこそ今があるのかもしれませんね。莫大にあった借金も、満席になるようになって数年かけて返すことができました。

将来の展望について教えてください。

グズマン氏:
今の「ボラゴ」に集中したい。チャンスがあればチリや海外の他の地域に出店するかもしれませんが、今はその時ではないと考えています。
10年かけて地元の食材について学び、マプチェを表現する「料理ができている」と感じるようになったのはつい最近なのですから。

(インタビュー・文・撮影:仲山 今日子)

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