料理観も働き方もシェアする時代。楽しさを共有して新たな価値を創造する

シェフ・カリナリープロデューサー
薬師神 陸

薬師神 陸(やくしじんりく)

高校で経営/ITに必要なスキルを学んだ後、辻調初の2年制コースに

料理の世界に入ったきっかけは?

薬師神氏:
料理好きだった祖父の影響ですね。実家は建築業兼宮大工なのですが、現場で作業が終わると、祖父が作った料理を作業場の20人くらいで鍋を囲んで食べていたことをずっと見ていました。祖父の振る舞う姿が素敵だなと思っていたので、自然と料理の道に入りました。

ご自身で料理を作り始めたのは、いつからですか?

薬師神氏:

すごく早くて、7歳くらいからです。というのも、6歳で父を亡くし祖父と一緒に過ごしていたので、夜遅くまで働いている母親に代わり、私が弟にご飯を食べさせる役割でした。祖父がみんなに食事を作っていたので、それを教えてもらいながら料理していました。小学5年のときに祖父が他界してからは、朝2000円を渡され、放課後にスーパーにより材料を買ってきて作るのが習慣になり、食材選びから自分でやりました。だから、料理人以外の選択肢はなかった感じです。

薬師神 陸(やくしじんりく)

スポーツや趣味など、他にハマったものはなかったのですか?

薬師神氏:
小学校の高学年から高校生のときまで、テニスをしていましたよ。

スポーツをしながら家族の食事を作ることは、大変だったのではないでしょうか?

薬師神氏:
本当に大変です。実は他に、新聞配達もしていました。朝4時半から6時くらいまで新聞配達をして、そこから朝練に行って、9時から16時まで授業を受けて、その後部活をして、19時に帰って晩ごはんを作って、また4時半に起きて…という生活を、中学高校の6年間やっていました。正直キツかったですね(笑)。

新聞配達をしていたのは、家にお金を入れるためだったのですか?

薬師神氏:
自分の学費を貯めるためです。私は、辻調理師専門学校の2年制に通いたかったんです。2年制のクラスは、僕の入学年が第一期。一期生なら学校も特に力を入れてカリキュラムを作るだろうと思い、そこで学ぶと決めていました。ただ、愛媛の調理師学校なら100万円くらいで行けますが、辻調だと1年間で200万円。2年制に行こうとすると、約400万円が必要でした。

辻調には当時中卒クラスがあり、最初は高校に行かず調理師学校に1年行って、早く働きたいと思っていました。ところが、中学卒業のときにオープンキャンパスに行ったところ、辻調の先生に「正直、中卒で入学してくるのは君みたいな高いモチベーションの子ばかりではないので、意欲にギャップがあってやりにくいかもしれない。ちゃんと高校で、調理も勉強も部活も頑張ってみた方が良い」と言われたんです。それで、マネジメント系の商業が学べる高校を探して進学し、部活を頑張り、引き続き新聞配達でお金を貯めて、辻調の2年制のコースに行くことになりました。

薬師神 陸(やくしじんりく)

高校では、どんなことを学ばれたのですか?

薬師神氏:
簿記やPCスキルですね。私は数字が好きでしたし、将来お店を出すなら知っておいた方が良いなと思ったので、積極的に資格取得しました。数字の勉強って、経営をやり始めてから学ぶ方も多いと思いますが、私は最初から自分でできたら便利だろうなと思ってやってきたので、それが今身になっています。

勉強も部活も新聞配達もして…すごいですね。

薬師神氏:
当時は今より寝ていなかったですよ(笑)。若いとは言え、自分でもよくやっていたなと思います。新聞配達は6社くらい掛け持ちしていたので、社会人になった最初の頃より稼いでいました(笑)。

「大学には行かないのか?」とか「調理師学校に400万円もかけて行かなきゃいけないの?」とか、周りからは色々言われましたが、何が良いかはやってみなければわからないので、私はとにかく辻調2年制の1期生になってみたかったんですよね。

実際に入学されてみて、いかがでしたか?

薬師神氏:
全国各地から個性派揃いが集結しており刺激的でした。

授業は力を入れていて、ヤニック・アレノさんやアンヌ・ソフィー・ピックさんなど外来の講師も多かったです。シドニーのTetsuya’sの和久田さんも来られました。

やはりフランス料理を広めた辻静雄さんの学校なので、フランス人講師が多く、フランス料理への意識が高まり、一番難しそうだからこそやってみたいと思うようになりました。

いつも一番前の席で授業を受けて、放課後は色々なレストランで働いていました。

薬師神 陸(やくしじんりく)

教員として知識をつけながら、コンクールへのチャレンジでスキル磨き

調理師学校に行ったら、卒業後はどこかのお店に入って料理人になる道が一般的だと思うのですが、教員になることに対して葛藤はなかったのですか?

薬師神氏:
ありましたよ!すぐになくなりましたけど。教えることで学び方が理解できるし、とにかく勉強しました。基礎の技術を頭にしっかり入れておけば、技術の応用は後でついてくると考えていました。

教員は人に見られる仕事なので、所作や話し方、どうしたら伝わるかなどを考えられたのは、貴重な経験です。自分しかできない特技を持ったシェフは沢山いますが、それでスタッフは幸せなのか。抜けてもできるシステムを作れる人は少ないです。私自身は教えることが好きなこともありますが、どう伝えれば、料理やスタッフマインドが良くなり、厨房がスムーズに回るのかを考えるのには、教員のときの経験が活かされていると思います。

薬師神 陸(やくしじんりく)

苦労もありましたか?

薬師神氏:
当然一番若かったですし、先輩方と生徒の板挟みになることも多く、かなり揉まれました。ただ、学生たちが疑問に持つであろうことに感度があがり、事前に準備することで知識がつきました。

教える上で、何か気をつけていたことはありますか?

薬師神氏:
自分が学生のときのノートを使い、料理の作り方より、どうやって料理を学べば良いかを教えていました。みんなレシピや分量をメモしますが、それよりも段取りを掴むことの方が大事です。どこまで仕込みして、どういう仕上げをして、何が必要なのか。次に何をするのか。という工程を可視化する事を訓練するよう伝えました。

5年目以降は、テレビの料理番組やドラマの料理の監修、雑誌などの撮影など、学校業務以外のこともやらせてもらいました。その経験はその後のキャリアに生きていますね。

薬師神 陸(やくしじんりく)

それでも、卒業した同期や教え子はどんどん現場で経験を積むわけじゃないですか。そこに対する恐怖心はありませんでしたか?

薬師神氏:
それが1番ありました。だから、19歳のときからコンペや料理コンクールなどに毎年出ています。外部と交流するためもありますが、何歳くらいのどんな人たちが、どのくらいできるのかを知りたかったというのが大きな理由です。そこを知り自分との差を埋めようと思い、1年に1回はチャレンジすると決めていました。色々な大会に出て、料理だけでなくアシェットデセールのコンクールでパティシエと勝負したこともあります。とても良い経験でした。

自分を試し続けるって、なかなかできることじゃないですよね。

薬師神氏:
でも、試さないと怖いという感じでしたね。差を知って、そのギャップを埋めるためにやっていました。

薬師神 陸(やくしじんりく)

コンテストに出て、自分の強みや、逆に足りないところなど、自覚されたことは何かありますか?

薬師神氏:
他のシェフたちは、自分の「古巣」や、師匠がいてその影響を受けた料理観やベースができているんですけど、私のベースは古典的なフランス料理と、外来の先生方から学んだ、色んなレストランの要素が合わさった集合体なわけなんです。だから、自分の料理はどんな料理ですかと言われたときに、一言では言い表せない。今は、日本全国の食材を扱うようになって、そんなに手を施さない「フレンチ技法の和洋食」という感覚で料理しています。それは良さでもあり、デメリットでもあるのかなと。

学校での基礎と外からの情報しかなくて、自分が何かわからなくなったから、教員を辞めたというのもあるんですか?

薬師神氏:
それはありますね。それに、教員としてもメディア対応などの業務も、一通り覚えた感覚があったので退職しました。

薬師神 陸(やくしじんりく)

アイアンシェフ須賀洋介と出会い、ゼロからお店作りをスタート

そして、アイアンシェフの須賀さんと働くことになったのですよね。辻調を辞めるとなり、オファーがあったのですか?

薬師神氏:
最初は「ジャン・ジョルジュ 東京」の米澤さん(現在「THE BURN」シェフ)の新規オープンの店に入る予定だったんです。

私がFacebookで「辻調を卒業します」と投稿して、知り合いのシェフたちがシェアしてくれたのを須賀さんが見たようなんです。須賀さんがフランスから帰国して人探しをするタイミングと、私が退職するタイミングが一緒だったみたいです。さらに僕の他の投稿なんかも見て面白そうと思ってくれたようで、メッセンジャーから直接連絡が来たんです。「須賀ですけど」と(笑)。どこの須賀さんだろうと思いましたね。「アイアンシェフの…」と言われて、目が点になりながら「な…何の御用ですか?」みたいな。

レストランの場所も、コンセプトや価格帯はどうするのかなど、何も決まっていない感じでしたが、「ゼロから」という点に魅力を感じて、決心しました。

薬師神 陸(やくしじんりく)

米澤さんには何と言ったのですか?

薬師神氏:
米澤さんもニューヨーク時代、須賀さんにすごくお世話になったようで、私が「須賀さんとやることにしました」と話したら、「大変だろうけど、いい経験が積めると思うから頑張れ」と言ってくれました。

須賀さんは厳しくて有名な人でしたから、他のシェフにも「須賀さんとやることになった」と言ったら、結構「大丈夫?耐えられるの?」と言われましたね(笑)。でも、私は逆境が大好きなので、できないと言われるとやりたくなるんですよ。

2人だけでのスタートだったんですか?

薬師神氏:
そうですね。最初の約年は二人三脚で、出会って一週間後にはハワイでガラディナーでした(笑)。本当に2人だったので、私は食材の生産者、メディア露出の準備、スケジュール管理なども経験させてもらいました。料理人はパソコン仕事ができない人も多いですが、私は教員時代の経験もあり、便利だったと思います。だから、須賀さんとしてもたまたま辞めるタイミングが一緒だし「一本釣りしておかなきゃ」みたいな感じで声をかけてもらえました。

薬師神 陸(やくしじんりく)

「スガラボ(SUGALABO)」の特徴である、地方を旅し食材を探しそれを料理する、というコンセプトは1年間の巡業の中で決まったのですか?

薬師神氏:
オープン直前、機材が入るのが遅れ、お店のオープンが延びてしまったんです。そのときに、1週間の空きができてしまい、せっかくだから、私の出身地である愛媛と、パティシエで一緒に立ち上げを行った後藤祐一さん(現在「PATH」シェフパティシエ)の前職地、広島を回ることになりました。
「出身地だからアテンドしてよ」と言われたのですが、実際、生産者のことなど全然知らないなと思ったんですよね。県庁に友達がいたので、生産者の方と繋いでもらって、アテンドしてもらいました。その時私たちは、地方の文化や歴史について知らないことが多いんだと気付いて、地方食材探しを定番化しました。
4~5回くらいやったときに、婦人画報さんとの雑誌の連載が決まり、スポンサーが集めやすくなったおかげで、その後2年半続きました。連載が終わった後も食材探しは引き続き行って、700以上の生産者と出会いました。
私は今スガラボを退職してからも、お世話になった生産者のところには改めてご挨拶しに、毎月地方に出ています。

薬師神 陸(やくしじんりく)

人気になり過ぎたレストランとしての葛藤

料理人は言葉にするのが苦手な人が多いので、食材をしっかり食べ手に伝えることに価値をおく、あるいはその価値に気付いている人は少ないですよね。そこを先進的にしているのがスガラボだと思うのですが、なぜそのようなコンセプトになったのですか?

薬師神氏:

お店で食材を紹介して、そのもののストーリーを知ってもらうことで、その土地に行ってみたいと思ってもらいたいのです。いいものはシェアというコンセプトですね。お客様がある意味インフルエンサーですから、客層をぎゅっと絞って、完全紹介制にしたんです。最初に招待状を渡した200人くらいの人たち、関係者やグルメな人たちにリピートしてもらえたらと。食材のセレクトショップとしてカトラリーや食器、日本酒など、食にまつわるコンテンツをシェアできるキッチンというのがコンセプトでした。

お客様の反応はいかがでしたか?

薬師神氏:
私がコンセプトに誇りを持って駆け抜けた1~2年目は、イメージどおりにお店が回りましたが、4年目になるとお客様の層が全く変わりました。ここ2年くらい、本当に予約の取れないレストランがあまりに多くなってしまって、レストランとして「予約が取れない」ことがステータスのようになった様に思います。予約を勝ち取ることを重点に置くお客様に、正直少しモヤモヤしました。食事や会話を楽しむために来てるわけではなく、「紹介制で予約の取れない店にいる」ことが価値になってしまい、なにか違うなと思ってきたのです。

薬師神 陸(やくしじんりく)

薬師神氏:
最初の頃はお客様から、「今日の野辺地小蕪ってどこの蕪なんですか?美味しいから自分でも調理したい!」というような、食に対する質問が多かったんですよ。でもだんだんと減り「予約が取れないレストランって何なんだろう」と思い始めました。

一方で、生産者回りはずっとやっていたんですよね?

薬師神氏:
そこがなくなると、何のための「ラボ」なのかわからなくなるので、それは引き続きやっていましたね。

薬師神 陸(やくしじんりく)

スガラボの現場で学んだのは、どんなことだと考えていますか?

薬師神氏:
須賀さんは、ずっとロブション畑にいた方なので、ロブションイズムの料理観は勉強になりました。また、オールカウンターで、全員から見られながら作るのは、すごく反応が早いので、何が求められているのかという空気感やタイミングなど、料理以外の必要な要素や直感力もすごく勉強になったと思います。視野がすごく広くなりましたね。

薬師神 陸(やくしじんりく)

街全体の料理リテラシーが上がるようなレストランを作りたい

ご自身のお店も考えているのですね。それはいつくらいになるのでしょう?

薬師神氏:
全然急いではいないです。来年か再来年か。でもその前に、お客様だけでなく料理人が集えるレストランを作りたいと思っているんです。

料理人が集えるレストラン!そう思ったきっかけは何かあるんですか?

薬師神氏:
情報過多の社会で、探せば簡単に色んな情報を見ることができる。でも本質は、対話して一緒に作らないとわからないんですよ。普通にレストランに集まれば良いということではなく、きっちりコンセプトとして、インキュベーションした施設を作り街にシェアしたいんです。

休日なのか、深夜なのかはわかりませんが、そこにシェフたちが集まったり、使っていない時間帯は若い人たちがチャレンジしたり試作できるレストランとして、ポップアップ機能を持たせても良いなと。みんなが使えるキッチンみたいな感じですね。

大きな街の中心にそれがあることで、その街にいるビジネスマンやオフィスワーカーたちの、食のリテラシー向上の場としても使ってもらいたい。そこで料理人たちが色々開発して、それをランチで試食できて、毎回違うテーマのイベントがあって。土日には、家族みんなで参加できるお料理教室が開催されるのも良いですね。

その街に「料理人がいる素晴らしさ」をシェアできるシステムを作るんです。お客様と生産者と料理人の輪がぐっと縮まったからこそ、そういう施設を作りたいなと思っています。それを定着させてから、自分のコアなレストランをしようと思っています。

薬師神 陸(やくしじんりく)

スガラボで「お客様の質がなんか違う」と思われてから、「料理人が集う場所」という風に方向性になったのはなぜなのですか?「本当にお料理をわかってくれるお客様のために」ではなく「料理人に対して」となったのが不思議です。

薬師神氏:
その理由は、先生職をしていたことに戻るんですよ。スケジュールの話です。教員をしていたときは、休みも計算されて年間スケジュールがあり安定していました。その経験した上で、たぶん日本一忙しいレストランで働いた。朝9時から深夜まで働いて、休みを返上して地方に行きました。お店の仕込みと並行して、別の企業のメニューやレシピを起こし、大きなイベントの企画と運営、焼き菓子製造などをやるといった状況で、みんな、アスリートさながらに働きました(笑)。

その両極を経験して、今からの料理人にとって、どこがちょうど良いバランスなのか自分で考えていこうと思ったんです。料理人の在り方やワークライフバランス。休みがどのくらい充実して、どういうライフスタイルならバランスが一番良いのか、自分自身も探している段階です。それがみんなでシェアできたら良いなと。

なるほど。料理のことだけでなく、働き方も含めてシェアできる場所を作るということですね。

薬師神氏:
そうですね。機材も小さな個人店だと使えるものが限られているので、出資者がいないと買えないような機材を、シェアしたいですね。

試しに最近、コンクールなどで繋がった同世代のメンバーで、みんなでひとつの事務所を借りてみていたんです。例えば一人で60万円の家賃を払うのは大変ですが、みんなで借りて等分するスタイルで、開業準備室を借りていました。その中で、みんなで情報をシェアできていたんですよ。「こういうことしてるよ、こういうものを使ってるよ、こういう案件あったよ、こういうの得意な人見つけたよ」など。そうするとビジネススピードが早いんです。それもあって、やはり魅惑的なみんなで集えるキッチンがあったら良いなと思っています。それはまだ誰もやっていないので、率先してやりたいですね。

薬師神 陸(やくしじんりく)

ご自身のコアなレストランは、また違ったコンセプトで?

薬師神氏:
今、予約が取れないレストランは、一部のフーディーたちがぐるぐる回している状態です。そういうサイクルとは違う人たちにも来てもらって、なおかつ単価をいただくにはどうすれば良いか考えたときに、そもそもフレンチを食べに行くのは、ハレの日だなと。

そこで、誕生日月しか予約が取れないシステムの、「誕生日専用レストラン」を作ろうと思っています。メインターゲットは1人で、本当に仲良しのメンバーが集まる。誕生日というブレないコンセプトがあって、お客様もスタッフもその人・空間を楽しませようと思ってチームになる。普通のレストランだと、色んなシチュエーションや人の色んな事情があって、需要はそれぞれ難しい。でも誕生日であり、ホスト・ゲストが決まっているとなると、すごく一体感が生まれる楽しいレストランになるなと思っています。

レストランという箱を飛び出し、仲間と楽しさをシェアしていく

今はフリーランス料理人として活動されていますが、具体的にはどんなお仕事をされているんですか?

薬師神氏:
料理教室や、イベントの企画・運営、フードテックの新規開発、様々な企業のフードのレシピ開発ですね。ケータリングを請け負ったり、地方の食材探しも引き続きしています。

薬師神 陸(やくしじんりく)

画像提供:薬師神陸

フリーランスの魅力はどんなところですか?

薬師神氏:
レストランという箱で考えないので、お客様が来られる最大値が広がるところですかね。

最大値を作ってしまうことが、結局席取り合戦を生んでしまうんですもんね。

薬師神氏:
そうなんですよ。レストランだと、自分のクオリティを維持できるのが10人だったとしたら、10人にしかシェアできません。

先日、20代中頃のIT系で成功した男の子と話したときに、「IT系だと、自分たちの作った1個のソフトが、100倍、1000倍に化けるじゃないですか。料理って、ひとつの料理が100倍とかに化けないんですか?」と言われまして。確かに一品の料理では難しいですよね。原価を100倍にはできないし。例えばペペロンチーノだと1200円にするのが精一杯で、「120万円のペペロンチーノ」とかはできないですよね。でも、生産者や食材、作り方などをこだわり抜いて2000円の価値のペペロンチーノを作って、それを100人に講義して、みんなに知ってもらうとどうだろうか。そういう普及ならできると思うので、それなら100倍、1000倍というのも可能かもしれないよね、という話をしていました。

不器用に美味しく料理したものを、目の前のお客様に出すのももちろんOKです。自分がそれでモチベーションとしてハッピーなら良いけれど、自分の後ろにいる従業員たちがそれで本当に幸せかは別じゃないですか。安い料理だといっぱいお客様を呼ばないと利益にならないので、必死に働かざるを得ない。それを考えると、やっぱり少しでも良いものを作れる人を増やして、少しでも価値がわかる人を増やしたいんです。そして、そういう考えをシェアしたいというモチベーションのある若い子を増やしたいですよね。質の良い分母を増やすことで、もっと良い料理としての対価が生まれると思うんです。

薬師神 陸(やくしじんりく)

世代間で、料理に対する考えはやはり違いますよね?

薬師神氏:
ぼくらゆとり世代は、みんなと集う、シェアするということが多くなっています。「RED U-35」などの若手コンクールで繋がりができてたので、それを活かし、もっともっと次の世代にも残るような拠点を作らないといけないと思っています。そういうのもあって、料理人がシェアできるキッチンは「39歳以下」のような、若手だけしか使えないルールにもしたいですね。

最後に、今もし学生たちの前に立つとしたら、どんなことを伝えたいですか?

薬師神氏:
「努力は裏切るよ」ということですね。「でも夢中は裏切らないから」と伝えたいです。努力は正解・不正解に分けることが難しいじゃないですか。無駄なことはないですが、たとえ頑張っていても、遠回りな努力かもしれない。本を読んだり勉強したりしても、自分の将来に役立つか、近道になっているかはわからない。でも”夢中”になっていることは、全て吸収している。だから、本当に好きなことを見つけて、得意分野に早く気づき、それを伸ばす方に集中してほしいです。不得意な部分を克服するより、自分が他の人に負けないもの、「○○だったら誰々」というような特化したものを作っていかないと、これからは難しいよというのを伝えたいですね。

人生は本当に逆境だらけだから、いかに自分が楽しめることを探せるかだと思います。

 

(聞き手:菊地由華、文:向井雅代、写真:刑部友康)

シェフ・カリナリープロデューサー