大陸をまたいだ、シェフの冒険。料理は人生を反映した物語である

Amber(アンバー)
Richard Ekkebus(リチャード・エッケバ)

Amber(アンバー)内観

■ギー・サヴォアの元へ。国際的なチームビルディングとラグビーの関係。

アラン・パッサールの下で約1年働いた後に、今度はギー・サヴォア氏の元で働かれています。常に目標を持って別のレストランに移っていますが、ギー・サヴォアに行かれた理由はなんだったのですか?

リチャード氏:
フランスでは通常のシェフは一つだけしかレストランを持ちませんが、当時のギー・サヴォワは違いました。ファインダイニングやブラッセリーなど、様々な種類の5つものレストランを経営していました。どのようにすれば複数のレストランを経営できるのかが知りたかったのです。

どんなふうに採用されたのですか?

リチャード氏:
ギー・サヴォワのことをよく知っている友人がいて、面接の前に、ラグビーがとても好きだと教えてくれました。
そこで私は、面接の前にラグビーについて、ありとあらゆることを調べました。もし面接で何かラグビーに関することを聞かれたら、ちゃんと答えられるようにしたいと思ったからです。
面接に行ったら、案の定、10分もしないうちに、ギー・サヴォアが、どんなスポーツが好きなのか?と聞いて来たのです。もちろん、「ラグビーです!」と答えましたよ。面接は大盛り上がり。元々は、ラグビーについては体育の授業でラグビーをやったくらいで、少し知っていたという程度だったのですが、下調べが功を奏したというわけです。もちろん私は雇われました。

ただ、実際に雇われてみて、一つの問題に気づきました。ギー・サヴォワでは毎週金曜日にスタッフ皆でラグビーの練習をするのです!当然、彼は私がプレーをする姿を見たがりました。もちろん私のプレーが、彼の期待に反して、とてもぎこちなかったのは言うまでもないでしょう(笑)

ラグビー以外にも、ギー・サヴォアが私に興味を持った理由がありました。
それは、パッサールから習った、私のパン作りの技術です。私が入るまで、ギー・サヴォワでは、パンは有名ベーカリーから買っていました。パッサールのサワードゥは当時から有名で、「パッサールのレシピを元に、オリジナルのパンを作って欲しい」というのが、契約の際の条件でもあったのです。なので、入ったらすぐに何度も試作を繰り返し、4週間かけて、ギー・サヴォワの求めるパンを作り上げたのです。今でも、ギー・サヴォワでは、私のレシピを使っていますよ。とはいえ、その後はペストリーのセクションではなく、冷菜と温前菜の担当になりました。

ギー・サヴォワは、他のレストランとはやはり違っていたのですか?

リチャード氏:
はい、以前にいたパッサールを含め、当時のフランスのフレンチレストランでは、厨房もフランス人がほとんどでした。ギー・サヴォアはそう言った意味でも変わっていました。外国人を好み、厨房には大勢の外国人がいたのです。

英国人、スコットランド人、アメリカ人、日本人。
「多くの外国人シェフがキッチンにいるのは良いことだ、なぜなら彼らは私の名前を世界的に有名にしてくれる。そして、名前が世界に知られるようになったら、ビジネスが繁盛し、多くの人がそこで働きたいとやって来るようになり、求められる場所になる。誰もが成功の一部になりたいのだから。」とギー・サヴォワは考えていたのです。

彼は当時から、パリだけを見るのではなく、世界を見る必要性に気づいていたのだと思います。
そして実際、彼のその考え方は正しかったのです。今でさえも、それは彼の成功の一部ですし、だからこそ、ラスベガスやシンガポールなどの出店が可能になったのだと思います。

私は彼から、違った種類の店をオーガナイズするための方法を学びたかったのです。彼のパーソナリティーや、どうやってチームのモチベーションを上げるか、どうやってベストな人たちを働かせるか、などについても。

また、実際に、当時のギー・サヴォワの厨房では、素晴らしいメンバーが働いていました。スーシェフは、シカゴのレストランL20を三つ星に導いたシェフ、ローラン・グラス、(Laurent Gras)。冷菜の部門にはゴードン・ラムゼイ、コミシェフは今アメリカで料理番組「チョップド」の審査員をしている、アレックス・グアルナシェリ(Alex Guarnaschelli)、当時同じキッチンに、のちに有名シェフとなる人々がいたのです。

本当に錚々たる面々ですね。国籍もバックグラウンドも違う、そういった人たちを、どんな風にまとめていったのでしょうか?

リチャード氏:
ギー・サヴォワから学んだのは、チームワークと尊敬の念を持つことです。パッサールと同じように、競争的な厨房ではありましたが、サヴォワは、趣味でもあるラグビーを上手に使っていました。
もし、何か言いたいことがあるなら、スポーツのマナーを通して、ラグビーフィールドで解決できるというわけです。これは、血気盛んな若者をコントロールするのに、とても有効な方法でした。特に、ラグビーはタックルがあるなど、フィジカルなスポーツですし、過激なプレーがあったとしても、審判は必ずしも、ちゃんと見ているとは限りませんから。

毎週金曜日に練習をして、土曜の朝は試合をやる、という流れで、他のレストランのチームと戦うこともありましたし、ギー・サヴォワはプロラグビー選手との関わりも深かったので、相手にプロの選手が混ざることもありました。そんな時はコテンパンにやられましたけどね(笑)

厨房での仕事は体力勝負でもありますし、スポーツはチームの絆作りに役立つと、この経験を通して気づきました。

実際に今ご自身のレストラン、アンバーでも、こう言った手法を取り入れていたりもするのですか?

リチャード氏:
ええ、ラグビーではありませんが、サッカーなどのスポーツをやってチーム作りに役立てています。その他にも、6年ほど前から、チームでの組織的な地域貢献にも力を注いでいます。定期的にチャリティーイベントをやったり、老人ホームに行ったり、コミュニティへの還元に力を入れています。航空会社から、機内で提供されなかった機内食を受け取って貧しい人たちに配るなどのボランティアもしています。成功するというのは受け取るのではなく与えることであると考えているのです。成功しているレストランは、社会的な責任があります。地域のための良い見本となるべきですし、地域に還元しないといけないと思うからです。

Amber(アンバー)料理

■ピエール・ガニエールに学んだ、コンセプトではなく、即興とストーリーの料理。月へ行く、宇宙飛行士のような気持ちで挑む。

さて、ギー・サヴォワで1年働いた後は、更に次のステップに向かうわけですね?

リチャード氏:
はい、ギー・サヴォワとはとても仲良くなりましたし。今も、彼は私のとても仲の良い友達です。彼の息子のフランクが、スイスのホテル学校を卒業した後、私のレストランに研修に送って来るくらいの間柄ですが、私はもっと挑戦がしたかった。

元々ギー・サヴォワには「1年で辞めようと思っていて、そのあとはピエール・ガニェールの元で働きたい」と伝えていました。フランスには、一生懸命働けばそのレストランのシェフが次の仕事先を探してくれる、というシステムがあるのです。そして1年経ってから、ギー・サヴォワは本当に電話をかけてガニェールに紹介してくれたのです。「もちろん、うちで引き受けるよ」という答えが返ってきました。

ガニェールから学びたかったことはなんですか?

リチャード氏:
彼のコンセプトや哲学を知りたかったからです。
彼のビジョンは他とは大きく異なっていました。フランスのシェフはとても伝統を重んじています。当時先進的な部類だったパッサールも、ギー・サヴォワも彼と比べたら伝統的に見えます。ガニェールはアイデアの面でもコンセプトの面でも、大きく違っていたのです。

サン=テティエンヌにあった当時のガニェールのレストランは、古いアール・デコの、とても綺麗な建物で、今見ても現代的で素晴らしいレストランでした。
ガニェールの料理は、今でもとても個性があると言えるでしょうが、私が働いていた当時は、フェラン・アドリアが登場する前、料理がやっとヌーベルキュイジーヌ時代から抜け出したばかりの時期。そこに、突然ピエール・ガニェールが現れたという訳なのです。

彼はとてもクリエイティブで、既成概念に囚われない人でした。フランス料理には、伝統的に決まった組み合わせがあります。モリーユ茸にアスパラガス、トマトにバジル、牛肉と玉ねぎ、というように。だけれどもガニェールにそんな常識は関係ありませんでした。ジャズ・ミュージシャンのような即興の人だったのです。「牛肉と牡蠣、なるほど、通常は合わないかもしれないけれど、自分があうようにしてみせる」というような感じでした。

そう言った、コンセプトのない即興的なレストランで働く、というのは初めての体験だったと思いますが、いかがでしたか?

リチャード氏:
初めて月に行く宇宙飛行士のような気分でした。それまでに、シェフとしての経験を十分に積んでいて本当に良かったと思いました。さもなければ、彼の料理を理解するのが難しかったと思います。ロバート、パッサール、サヴォワ、3人のシェフから教わったテクニックは、自由を得るために必要な荷物のようなものです。つまり、伝統的な方法のトレーニングという荷物があったからこそ理解できたのだと思います。

ガニェールは、素材の組み合わせ、テクスチャ、プレゼンテーション、全てにおいて前衛的でした。

例えば、盛り付けは通常は皿の中央に盛り付けるものでした。しかし、ガニェールは、皿をキャンバスとして捉え、白のスペースをどう使うか、と考えていたのです。

ガニェールの考え方が与えた影響は大きかったですか?

リチャード氏:
結局ガニェールとは24歳まで3年近く一緒に働いたのですが、そこでわかったのは、ガニェールは即興の人で、正確に定義できるようなコンセプトがない、ということでした。伝統に全くとらわれず、何が伝統的に正しいかそうじゃないか、でなくて、あなたが自分の言葉で料理という物語を書いていくのです、ということです。

「ルールを決めて、審査するのは作り手である自分自身である、なぜなら料理の真実は作り手にしかわからないのだから。客は、客観的な事実、例えばこれは焼き過ぎだとか塩辛すぎる、とか言ったとしたなら分かりますが、何が合うか、合わないかに関しては、あなたが唯一の権威であるべきなのです。なぜなら、これはアートであり、表現の一環だから」というのがガニェールの考え方でした。

料理を、アートのような個人の表現として捉える、これは当時画期的だったのでしょうね。

リチャード氏:
その通りです、例えば、美術館に行って、わからないものってあるでしょう、イタリア人アーティストが、キャンバスを4回切り裂いて、アートだ、というのと同じようなものです。そんなの2分でできる、と言う人もいるでしょうし、確かにその通りです。だけれども表現、というものを知っていれば、そんなことは言えないでしょう。その背景にある物語を知らないからです。

ガニェールはいつも「あなたがストーリーを作るのです、ただ、そのストーリーは良いものであり、自分自身のオリジナルでないといけません。そして、基礎を作って説明しないといけない、なぜあなたのコンセプトはそうなのかを、食べる人に納得させないといけないのです」と言っていました。

「料理というのは時に挑発的で食べた人の心に情動を起こすものでもあり、ただ美味しい料理を作る、というのではなく、ストーリーを伝えることが大切なのです。これは違うとか、これは風変わりだ、という人がいるかも知れませんが、それは私のストーリーの一部なのです」と。

今日では、美味しいだけでなく、ストーリーを伝える重要性が言われていますが、ガニェールは当時からそれをやっていたというわけです。

そう言った深いところを知って行くと、余計に料理の奥深さを知ることになりますよね。ガニェールを離れた理由はなんですか?

リチャード氏:
フランスの経済状況も良くなかった上、レストラン経営の上でも、投資が多すぎたりと、経済的なトラブルがあって、先行きを考えようと思った矢先に、ギー・サヴォワが、モーリシャスのホテル、「ロイヤル・パーム・イン・モーリシャス(Royal Palm in Mauritius)」 のゼネラルマネージャーが、エグゼクティブシェフを探している、と連絡をくれたのです。

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