大陸をまたいだ、シェフの冒険。料理は人生を反映した物語である

Amber(アンバー)
Richard Ekkebus(リチャード・エッケバ)

Amber(アンバー)Richard Ekkebus

■オランダからフランスへ。アラン・デュカスとアラン・パッサール。

リチャード氏:
ロバートがフランス語でアラン・デュカスに手紙を書いてくれて、当時コート・ダジュールのジュアン・レ・パンにあるレストラン、二つ星の「ラ・テラス(La Terrasse)」で働くことになったのです。

この年は、アラン・デュカスとアラン・パッサールがゴーミョのシェフ・オブ・ザ・イヤーに輝いた年です。ちなみに、ゴーミョがシェフオブザイヤーを2人に与えたのは、後にも先にもこの年だけだったのではないかと思います。
「ラ・テラス」に部門シェフとして内定したものの、その直後にデュカスが高級ホテルの「ロテル・ドゥ・パリ(L’Hotel de Paris)」の「ルイ・キャーンズ(Louis XV)」の総料理長になり、モンテ・カルロに行くことになったため、せっかくフランスに行っても、デュカスの下で働けないことがわかったのです。

それで、どうされたのですか?

リチャード氏:
そこで、もう一人のシェフ・オブ・ザ・イヤー、アラン・パッサールの下で働こうと思いました。アラン・パッサールはロバートシェフとブリュッセルで一緒に働いていたことがあり、とても親しくて、すぐ電話をかけてくれました。そうしたら、来週から働ける、という返事が返ってきたのです。

そこで、慌てて支度をして、パリに行きました。一人で生活することを含め、大急ぎで自分を新しい環境に慣れなくてはなりませんでした。家族から遠く離れて暮らす、ということに加えて、新しくフランス語という言葉を覚えるということもあり、二重のチャレンジでした。

初めてのフランスでの生活、そんなチャレンジを乗り越えられましたか?

リチャード氏:
当時のパッサールの厨房は、とてもストレスが溜まる場所でしたが、特に外国人にとってはそうでした。厨房のメインを占めるフランス人シェフたちは、フランスの昔ながらの指導方法をとりました。つまり、相手の立場を落として自分の優位性を確立するやり方です。
「非フランス人のお前が、どうやって料理をするなんて知るわけないだろう?俺たちフランス人が料理の仕方を教えてやるよ」そんなふうに、時々私に対して傲慢な態度をとりました。例えば、彼らは決して私のことを名前では呼ばず「オランダ人」、と呼んでいました。傲慢な態度で「オランダ人、来い」と、こんな風に呼ぶわけです。
私のキャリアはずっとフランス料理でしたし、オランダで受賞したのもフランス料理のスキルが認められてのものです。しかし、私は最初のうち謙虚な態度をとっていました。自分の目的は学ぶことで、貶められることが自分の個人的な問題とも思わなかったし、耐え忍んで、学び続けていこうと思い、気にしないようにしていたのです。

そんな状態はどれくらい続いたのですか?

リチャード氏:
3ヶ月ほどです。その状態が変わる、一つの転機がありました。ある日部門シェフまでもが私のことを「オランダ人」と呼んだのです。私はその部門シェフよりもずっと経験を積んでいたし、パッサールの厨房は、毎日朝6時頃から深夜の2時頃までの長時間労働で、特にその日はとても疲れていました。ついに我慢仕切れなくなって、私はご覧のようにとても背が高いのですが、大柄なフランス人シェフであるジュニアシェフをつかみ上げて、壁に押し付けてこう言ったんです。「私をリチャードと呼ばなくてはいけない。私はあなたのことを尊重している。だから私のことも尊重してくれないか。」その日から、面白いように、皆が私のフランス語の(オランダ風の)発音にもかかわらず、私のことを、リチャードと呼ぶようになりましたね(笑)。

不当な扱いを受けたら、しっかりと自分の意思を伝えるのが大切、ということですね。

リチャード氏:
はい、私はもともと攻撃的なタイプではありませんし、それからは何も問題はありませんでした。技術が認められただけではなく、私はこのような扱いを受け入れない、とはっきりと表明したのが良かったのだと思います。私はあなたたちと対等な立場にいる人間だ、もし喧嘩を仕掛けるなら、受けて立つ、と。

そして、パッサールの元での仕事は、ペストリーシェフとしての仕事でしたね。

リチャード氏:
はい、正直を言うと、当時すごくペストリーシェフになりたかったわけではないのですが、そこにしか空きがなくて、アラン・パッサールから仕事のオファーをもらったのに「行きたいけれど、この部門はやりたくない」なんて選り好みすることはあり得ないでしょう。もちろん、「ペストリー部門で働きたい」と言いましたよ。

ほとんどのシェフが、料理の経験しかない中で、ペストリーシェフとしての経験は大きなものでした。そのおかげで私のキャリアは大きく開けたのです。毎日パンを焼き、有名なミルフィーユや、トマトのデザートの作り方など、たくさんの技術を教わりました。とてもいい経験でした。今も幅広い経験をしたことの恩恵を受けていると感じます。

具体的にはどういった所でしょうか?

リチャード氏:
ペストリー部門での経験は、料理への理解を深めることにつながっていると思います。料理よりも更に精密なテクニックが必要だし、妥協ができない世界でもあります。ペストリーの方が、より精密な科学だからです。例えば、何かが1グラム多かったとしても、料理の場合は大丈夫だったりするけれども、ペストリーの場合はそうはいかないのです。

パンは全て自家製のサワードゥ(※1)だったのですが、最初はとても、複雑で理解するのが難しかったです。林檎から作った天然酵母を扱うには、繊細な感性と理解が必要で、赤ん坊のように面倒を見て育てて行くわけです。生地を作る際も、もし雨が降ったら水の量を減らさなくてはならない。といったことを、少しずつ理解していきました。今でも小麦粉を扱ったり、パンを作ったりする時には、パッサールに教わったことが生きていると感じます。

※1:サワードゥ
小麦やライ麦の粉と水を混ぜてつくる生地に、乳酸菌と酵母を主体に複数の微生物を共培養させた伝統的なパン種。パン酵母を純粋培養したものと同様にパンの膨張剤に用いる。

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■三つ星獲得前夜の厨房という、大きなプレッシャーの中で仕事をするということ。

パッサールがシェフオブザイヤーを取った直後の厨房は、どんな様子だったのですか?

リチャード氏:
私が外国人だったというだけでなく、その当時のパッサールの厨房というのはとても競争的な空間でした。皆が「自分こそが厨房で一番だ」とパッサールにアピールするために、ベストのパフォーマンスをしたがっていて、とてもハードでした。厨房の中で喧嘩が起きる、なんてことも時々ありましたし、正直あまり健全な環境ではありませんでした。

それは何か理由があったのですか?

リチャード氏:
時期的に、ちょうどパッサールが三つ星をとる直前で、高いプレッシャーがあったというのも大きかったと思います。パッサールはゴー・ミヨのシェフオブザイヤーを取ったばかりで、フランスでは通常、その後に三つ星が取れることを意味します。
ですので、パッサールのメッセージはとても明確でした。「我々は三つ星をとる」と。だから、小さなミスでも、それはとてつもなく大きな問題になりました。
私にとってもこれまでに経験したことのないほどのストレスでした。パリでは普通なのですが、天井の低い狭い厨房で、60の客席に対して料理人は14人。ペストリーセクションは肩がぶつかるくらい狭くて、インターンを含めた4人で働いていました。
小さなカゴの中に、雄鶏を詰め込んだような、いつだって喧嘩の準備は万端、というような競争的な環境でした。新しくスタッフが入ってきても、数時間で、もうやめたい、と音をあげることもしばしば。なぜなら皆がパッサールからの「三つ星を取る」というプレッシャーを受けていたからです。
さすがに、今はこんな環境ではないと思います、私が一年働いて辞めた後、私の代わりに入った女性シェフは3年働いていましたし。けれども、この当時は6ヶ月、8ヶ月、というのがざらでした。1年以上続ける人はとても少なくて、高いプレッシャーのために、回転率も高かったというわけなのです。

そんな環境で、どんな風に生き残っていったのでしょうか?

リチャード氏:
ミシュラン星付きのレストランでは、今でもこういったことはあると思います。
当時の私の認識では、トップスポーツのアスリートのようと表現できるでしょうか。ノーペイン・ノーゲイン、苦労なくして利益はない、という感覚です。

毎日きつかったですが、私は、年齢に関係なく何であれ本当にやりたくて、やろうと決めたことならやりきれるものだと思っています。
私はこれをやろうと決めたから、それをやった、そういうことです。

今は、若い人たちがすぐ辞めてしまう、という問題がありますよね。

リチャード氏:
今はもっと励ましが必要です。弱いものは排除されるというのでは、組織は持続的なものにはなりません。サポートが必要です。弱いものであっても、サポートをすればちゃんと戦力になる、そうやっていかないと、これからのこの業界は成り立って行かないと思います。

そして、パッサールの厨房は競争的ではありましたが、三つ星という一つの目標に向かって一緒に進んでいたので、今も仲良くしているシェフもいます。東京のジョエル・ロブションのエグゼクティブ・グラン・シェフ、アラン・ヴェルゼロリ(Alain Verzeroli)は当時の元同僚で、今も時々連絡を取っています。

パッサールといえば、元々肉料理の名手と言われながらも、野菜を中心にしたメニューで、フランス料理に革命を起こした方です。どんなことを学ばれましたか?

リチャード氏:
アラン・パッサールから学んだのは、シンプルさと素材に集中することです。パッサールは20種類の異なった付け合わせをつけたり、20種類の食材を使うなどということはしません。逆に、皿に2−3種類の食材しかないことも多いのです。この時期は、彼が野菜に対してこだわりを見せる時期よりも前でしたが、このときすでに厨房の中で野菜は重要な役割を果たしていました。

パッサールにとってこの時期は、野菜中心のメニューを始める前の、ロジカルなステップのうちの一つだったと思います。トマトのデザートや、アボカドのスフレなども既に作っていました。当時は狂牛病が起きたり、肉にまつわる様々な問題が起きた時期でもあり、野菜に注目が集まっていたというのもあると思います。

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