積み上げてきた老舗の歴史、その延長線上に自分の料理がある

L'Osier(ロオジエ)
Olivier Chaignon(オリヴィエ・シェニョン)

L'Osier(ロオジエ)Olivier Chaignon

■アプランティシェフコンクールの優勝という華々しいスタートを切り、料理人として経験を重ねる

18歳のとき、才能ある若手料理人を対象に行われるコンクールで優勝したそうですが、そのいきさつは?

シェニョン氏:
アプランティシェフコンクールの出場権は職業訓練校を優秀な成績で卒業したアプランティシェフに与えられるのですが、私は首席で卒業できたので、その権利を得ることができました。

コンクールは、前菜からデザートまで課題があります。それが2週間前くらいに発表され、5時間で4人分の料理を作るのがルールでした。働いていたのであまりトレーニングの時間は取れませんでしたが、一度はひと通り作ったものを研修先のシェフに見てもらってから出場しました。

地区予選、準決勝と1位で通過でき、参加者約700人のうち、決勝である全国大会に残ったのは15人くらいだったかと思います。その中から1位に選ばれました。優勝できるとはまったく思っていなかったので、とても驚きましたね。

ちなみに、その後ヨーロッパ大会に進みましたが、結果は2位でした。1位との差はわずか5点だったので非常にくやしかったことを覚えています。

そのコンクールでの優勝は就職先にも影響しましたか?

シェニョン氏:
フランス大会で1位になったとき、アラン・デュカスなど、有名シェフからのオファーをたくさんいただきました。今でも、その手紙は家に保管していますよ(笑)。

でも、コンクールに出る前から就職先は決まっていたので、そうした話はお断りして、決まっていた店に就職しました。その店はルレ・エ・シャトーに属する一つ星レストランで、冬の間は閉めるシステムだったので6か月間だけいて、店の休暇のタイミングで別な二つ星の店に移って、1年半から2年ほど働きました。

順調にキャリアを重ねていったわけですね。その後はどこへ?

シェニョン氏:
そのあとは、徴兵制度により、10か月間、軍に入隊しました。

実は、アプランティシェフコンクールでの優勝の実績から、エリゼ宮(※2)の料理人の役が与えられる予定だったのですが、なんと手違いがあり、その役職にはつけませんでした。すでにエリゼ宮で働いていたシェフから依頼の手紙までもらっていたんですが、国から届いた手紙には民間防衛部隊所属が記されていて。結局は、所属部隊の将校たちに料理を作っていたんですけれどね。

そうした日々のなか、南米のニカラグアで大きなハリケーンがあり、大きな被害をもたらしていました。ちょうど、私の所属部隊でもその援護活動をする人を募集していたんです。その話を耳にして、「料理よりも援護のほうがしたい」と志願し、それが叶い、レスキュー部隊としてニカラグアへ行くこととなりました。

※2:パリにあるフランス大統領官邸。

兵役での経験により、ご自身の中で変わったことはありますか?

シェニョン氏:
レスキュー部隊としての経験は、もちろん料理人としての経験とはまったく異なるものでしたが、人生観というか、幸せへの考え方、といったことが大きく変わりました。

もちろん、このときに大勢の死者も目にしましたし、親を亡くした子どもも見ました。大きな不幸の中で、決して豊かな環境ではありませんでした。しかし、それでもなお、そこで笑顔を絶やさないで生活をしている人々を多く目の当たりにしたのです。彼らは、外国から来た自分たちのことも受け入れてくれて。

私たちは、何の不自由もないところで生活をしていますが、不満ばかり言っていますよね。一方、ニカラグアの人たちは、衣食住さえもままならない状態でも、日常に幸せを見つけて生きていて。それを見たら「何もなくても、文句を言えない」と強く感じたのです。

徴兵期間を経て、その後は何を?

シェニョン氏:
徴兵期間を終えてからはパリに行き、一つ星の「レストラン オペラ」と二つ星の「ルレ ドートゥイユ」でのレストラン経験を経て、三つ星の「タイユヴァン」で働きました。

「タイユヴァン」で一年過ぎた頃に、「別の三つ星レストランで経験を積ませてほしい」とシェフに願い出て、紹介してもらったのが「ピエール・ガニェール」でした。

けれど、そのときパリにある彼の店には空いているポストがなくて。それで、「ピエール・ガニェール」の海外第一号店「スケッチ」のオープニングスタッフとして働くために、ロンドンへ移りました。「スケッチ」では2年働き、その後パリの「ピエール・ガニェール」へ戻って、1年働きました。

L'Osier(ロオジエ)料理
写真提供:ロオジエ

クラシックな「タイユヴァン」と、前衛的な「ピエール・ガニェール」は、真逆の印象がありますが?

シェニョン氏:
確かに、「タイユヴァン」と「ガニェール」は全く違います。しかし、どちらも三つ星レストランとして常に完璧なものを提供することが求められました。「タイユヴァン」は、昼は90席、夜は110から120席ほどが常に満席で、三つ星レストランとしてはかなり大規模です。ですからチームも24名でしたが、それでもこれだけの客数を三つ星のクオリティを保ちながらさばくというのは容易なことではありませんでした。

一方「ピエールガニェール」は、まずガニェール氏が出す料理のアイディアをもとに、皆でそれを作り上げていくことが求められました。彼はいつもアイディアに満ち、複雑で、レシピも流動的です。それらに対応しながら、しかも三つ星としての完璧さを保ち、料理を作ることは大変です。彼の料理を実現するためには、彼のエスプリ、哲学をしっかりと把握していなければなりません。いつも決められたレシピを作る「タイユヴァン」に比べて、「ガニェール」では自由にできる部分がありましたので、私としては興味深く、モチベーションも上がりました。それにガニェールのスタイルや考え方は好きで、共感する部分も多かったです。

タイプのまったく違う2店を経験して、どちらが合っていましたか?

シェニョン氏:
どちらが好きというのはありません。料理のアプローチ方法は違いましたが、質の高い料理を作るために求められているものはどちらも変わりません。それに、どちらの要素もすべて吸収して今の私があります。

それはこの2店舗だけに限らず、私が経験したレストランすべてにいえることです。総括して今の自分が形成されている、すべてを吸収して自分のものが生まれていると思っていますから。

日本に来るきっかけは何だったのでしょう?

シェニョン氏:
「ピエール・ガニェール・ア・東京」の総料理長として招かれたからです。来日したのが2005年だったので、そこから2011年まで、ガニェールの店で働きました。

来日した当初は、私は日本の食材も、日本人の嗜好もよく知りませんでした。しかし日本人スタッフのおかげで、少しずつ日本の素晴らしい食材や日本人の好みを知るようになりました。そして、私がそれらをガニェール氏に伝え、それを踏まえて彼が料理のアイディアを出す。このようにお互いに情報とアイディアを交換しながらメニューを作り上げていきました。

そのときに気をつけていたのは、日本料理に近づきすぎる食材や、日本人にとってよくある食材、たとえば柚子胡椒なんかは使わないようにしていました。パリの店舗では、珍しい食材だとしてえのきたけを使っていましたが、日本人にとっては普通すぎる食材でしょう?なので使わないというように。

私のオリジナルレシピではありませんでしたが、自分を通して生まれたガニェールの料理という感じでしたね。

現在シェフを務める「ロオジエ」で、かつて店の方針などを決める立場にあったジャック・ボリー氏(※3)も食べに来たとか?

シェニョン氏:
かつて表参道にあった「ピエール・ガニェール」の店にジャック・ボリー氏が来たときに、初めてお会いして名刺交換をしました。現在インターコンチネンタルホテルにあるガニェールの店にも食べにきてくれましたね。

でも、どちらのときも、単に食事にいらしただけだと思います。当時の「ロオジエ」では別のシェフが活躍していましたから、食べて帰られただけでした。

※3:1986年に「ロオジエ」の一代目フランス人シェフに就任。2005年に資生堂エグゼクティブ・プロデューサーとなった後も「ロオジエ」の骨子を築き上げることに尽力し、今の「ロオジエ」を築き上げたといっても過言ではない人物。

L'Osier(ロオジエ)外観

L'Osier(ロオジエ)

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