Foodion │ 一流シェフ・料理人のプロフェッショナル論。

教壇からカウンターへ。一流料理人を育て続ける敏腕親方の教育メソッド。目標と実践が、優れた若手を育てる。

一汁二菜 うえの
上野 法男
大阪・北摂。豊中の閑静な住宅街の中の和とモダンが調和した一軒家。ミシュランで星を獲得した名店「一汁二菜 うえの」。肩肘を張らずに気軽に料理を楽しんでもらうことを目指したというこの店では、カウンター正面にしつらえられた中川一辺陶氏作の信楽の雲井窯が今日も湯気とともに良い香りを運んでくる。 豊中店がオープンしてからわずか三年後にできた箕面店もミシュラン二つ星を獲得しており、その実力は折り紙付きだ。
今回は、オープン当初から二十年あまりの間、客足が絶えないという人気店を作り上げた上野法男氏にお話を伺った。

■「どうせやるなら」と関西の調理学校の門を叩いた青年時代

料理の道へ進むことは、小さいころから決めていたのですか?

上野氏:
いえいえ。実家は関東で小さな居酒屋をやっていたのですが、特に家を継ごうとも思っていなくて、迷っていた時期がありました。親の大変な姿を見てきたので、やりたいと思えなかったんですよね。でも結局はこの道を選んで、「どうせやるならとことんやろう」と思って大阪の辻調理専門学校(以下、辻調)に入学しました。22歳の時でした。

 

関東の生まれなんですね。なぜ、大阪の学校に進学を決めたのでしょうか?

上野氏:
当時やっていた「料理天国」という番組の料理監修を辻調がやっていたこともあって、関西で修行ってだけで箔がついたんですよ。当時は、関東に辻調はありませんでしたし。

でも、来た当時は大阪の文化が違いすぎて別の国みたいに見えて、「大阪怖いな、えらいとこに来てしまった!」と思ってました(笑)。

僕はアルバイト進学だったので、チェーン店のレストランでバイトをしてお金を稼ぎつつ学校へ通っていました。ただ、店側は学校を休んでシフトに入れ!くらいの勢いだったので、このままじゃ何のために来たのかわからないな、と思ってそのアルバイトは辞めました。そのあとは他のアルバイトを見つけて、そこで働きつつ学校に通っていました。

 

■店主としてのファーストステップは共同経営

学校を卒業してからはいかがでしたか?やはりどこかのお店に修行に行かれたのですか?

上野氏:
いえ、実は卒業後も辻調に残り、そのまま10年勤めたんです。最初は助手から始まって、講師として200人の前で教鞭をとったりしていました。その間にTVや雑誌の仕事もさせてもらったりして、料理の幅が広がりましたね。また、料理界での横のつながりを作るという点でも、有意義だったと思います。

ただ、人に教えてはいるけれど実際にお店のカウンターに立ったことはなかったので、やっぱり実際のお店で商売として料理人をやってみたい!、ということで先輩と二人で独立しました。

 

他店で修行を積まずに独立されるのは珍しいですね。

上野氏:
そうですね。最初は周りにも「教壇と調理場は違う、うまくいくわけがない」と言われました。

お金がなかったのでとりあえず共同経営という形で、日本橋のビルの7階で10人くらいの小さな店を8年続けました。ただ、店が狭くてやり辛かったのと、お互いやりたい方向性が違ってきたということで、そのお店はたたんでお互いに独立しました。

 

経験がない中の店舗経営ということで、苦労したことはありますか?

上野氏:
やはり教壇に立って大勢の生徒を相手にするのと、カウンターでお客さんを相手にするのは雰囲気が全然違ったので、最初は苦労しました。商売としてのやりくりも初めてでしたし。

一汁二菜 うえの

お問い合わせ
06-6853-3955
アクセス
豊中市上野東3-1-5
阪急電車 豊中駅よりバスで10分 タクシーで5分
大阪モノレール少路駅 徒歩20分
駐車場あり
営業時間
[月・木~日]
11:30~13:30(L.O)
18:00~21:30(L.O)
[水]
18:00~21:30(L.O)
定休日
火曜日

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