一皿に素材も技術も思いも全てを乗せる

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山田 直良
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■幼い頃からの夢を持ち続け、料理の道へ

料理の世界へ入りたいと考えられたのはいつ頃ですか?

山田氏:
僕は大阪府八尾市で生まれ育ち、親は祖父の代から鉄工所を営んでいましたので、料理とはまるで縁がありませんでした。漠然と「料理人になりたい」と思ったのは小学校低学年くらいから。テレビの「3分間クッキング」や「きょうの料理」などが大好きで、小学生の卒業文集にも将来は料理人になりたいと書いていました。知り合いに料理人がいたわけでもないですし、テレビだけの知識で、なんとなくかっこいいなと思っていました。

では小さい頃から自分で料理をされたり?

山田氏:
僕の家は外食をほとんどしない家庭だったのですが、子供ながらに「母は料理が下手やなぁー」と思ってたんですよ、笑。そこで一度自分でやってみようと考え、テレビ番組の料理を見よう見まねで作り始めて。確か最初は卵焼きだったと思うのですが、両親に美味しいとすごく褒められたことを憶えています。

高校へ進学するタイミングで「料理を学びたい」と親に話したのですが、まずは高校を卒業してから言われて普通の高校へ進学しました。そして卒業時にもまだ料理への気持ちがありましたので、料理学校へ進むことに決めたのです。

幼いころの夢をずっと持ち続けて料理の道へ入られたのですね。

その後の進路はどのようなものでしたか?

山田氏:
料理学校の資料を調べているうちに、ケーキやお菓子の学校があるということを知って興味を持ちました。僕自身も甘いものがすごく好きでしたので、製菓学校へ進むことにしたのです。そして卒業後も3年間、パティシエをしていましたが、製菓の仕事が自分に全然合わなくて、やめることばかりを考えていました。
その時、勤めていた店がカフェ形式の店でしたので、僕がケーキを作っている横で他のスタッフがパスタをやっているのをずっと見てて…。「やっぱり料理の方がいいな!」と憧れました。

そこで次に移った店では「料理をやりたい」という気持ちを伝えて、パスタなど簡単なカフェ風の料理をさせてもらえることになりました。1年ほど勤めたのですが、もっと本格的な料理をやりたいと思うようになり、さらに料理修業ができるようなレストランへ進むことを決意したのです。

やはり料理をあきらめきれなかったのですね。

山田氏:
そうですね、料理はやればやるほど「もっともっと知りたい!」という気持ちが湧いてきました。そして次に入った店が心斎橋・大丸本社ビル下にあったイタリア人シェフ・パラクッキ氏(※1)が監修するイタリアンでした。残念ながら、その店は3ヶ月後に閉めることになってしまうのですが、店の2番手だった小野シェフと一緒に、大丸京都店にあった系列店へ移ることができました。

※1:アンジェロ・パラクッキ(1929年〜2004年)
イタリア料理の巨匠。パスタの神様と言われ、イタリア料理新時代の第一人者として知られる。

店の修業はいかがでしたか?

山田氏:
小野シェフ(現在は独立、此花区でイタリア料理店「パルゴロ」を経営)は、丁寧にきちんと教えてくれる方でした。メニューも一緒に考えさせてくれる方だったので、考える力を育てることができましたね。サービス精神のある方だったので、原価に合わないことも沢山ありましたが「やれることはやろう!」というスタンスですごく楽しかったです。そして小野シェフの元で3年半ほど働いた後に、イタリアへ修業に行くことになります。

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■ただ料理のことだけを考えたイタリア修業

イタリアへ行くきっかけはなんだったのでしょうか?

山田氏:
小野シェフの下で修業しながら「30歳で独立しよう」と決めていたのですが、自分には人に語れる経験や経歴が何もないなと感じていました。そこで小野シェフにも相談し、イタリアに行くことにしようと。

イタリアでは、料理のことだけを考えた濃密な毎日で、あんなに料理のことだけを考える時間はもうないと思うくらい素晴らしい経験でした。イタリア人はあまり真面目に働かないイメージがあると思うのですが、すごく忙しい店で働くことができたので、がむしゃらに働きました。イタリアのレストランでも日本食材が人気で、わさびや醤油がアクセントとして普通に使われていましたから、日本の食材を取り入れる方法もイタリアで学ぶことができました。

ボローニャにあるマルケージさん(※1)のお弟子さんの店で働いていましたので、年に2回ほどマルケージさんも来店されました。マルケージさんは必ず厨房に来られるのですが、僕に「君は日本人か?」と尋ねられて。そうですと答えると「日本人は本当に素晴らしい!!」と絶賛してもらったのを憶えています。日本人の先輩たちの頑張りが私たちに恩恵をもたらしてくれて、イタリアのどこへ行っても働かせてもらえましたね。

※2:グアルティエーロ・マルケージ(1930年〜2017年)
イタリア料理界で最も著名とされる重鎮。伝統的なイタリア料理に新風を吹き込んだ「新イタリア料理(ヌオーバ・クチーナ)」の父と目されているイタリア人シェフ。

イタリア帰国後はどのような?

山田氏:
日本に戻り、最後にあと1つ修業して勉強しようと考えてフレンチレストランで働くことにしました。心斎橋にある「ビストロ・ア・ヴァン・ダイガク」の2号店「ル・ヌー・パピヨン」という店の立ち上げスタッフでした。

「ビストロ・ア・ヴァン・ダイガク」はフレンチもイタリアンも関係なく美味しいものを出しているようなスタイルで、実際に食べに行ってとても美味しく修業してみたいと思ったのです。
配属された「ル・ヌー・パピヨン」はクラシックなフレンチを提供するレストランだったのですが、美味しい料理を作ることにとても貪欲でした。下準備も多く、料理の行程や技術も覚えることが沢山あり勉強になりました。クラシックフレンチを学べたことはとてもよかったです。

経歴をお聞きしているとジャンルに関係なく様々なお店で働かれていますが、修業先はどのような方法で決めるのでしょうか?

山田氏:
今、振り返って思えばジャンルではなく、人や店の雰囲気、料理の美味しさで決めていたように思います。

今やっている料理も「イノベーティブ」だなんて自分でいうのはおこがましいですが、ノンジャンルに近いものだと思っています。もちろんベースにイタリアンがありますが、そもそも最初からジャンルにはあまり固執していません。僕の場合は製菓をやって、イタリアンを学び、最後はフレンチも…という流れにたまたまなりましたけど、何が向いているかはやってみるしかない。そしてそこで何を得て、何を学ぶかは、全て自分次第だと思います。

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Photo by Shingo Hikiami

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自然な形で今のスタイルに行きつかれたのですね。独立してからのお話を聞かせてください。

山田氏:
独立は30歳にすると最初から決めていたので、フレンチのお店にも30歳で独立しますと話し、了解をもらっていました。

正直、自信なんてなかったのですが、決めて前に進むしかないと思っていました。

今も本当の自信なんてないのですが、35歳までにこうありたい、40歳までにこうしていたいという目標は常に持っています。

最初の店は生まれ育った八尾市でオープンしたのですが、その理由は親戚が管理している店舗があったから。僕が「独立したい」と親に相談したところ、「親戚が管理している空き店舗があるよ」と言ってもらったことがきっかけでした。料理の内容は今とは違うカジュアルなイタリアンで、価格帯もリーズナブルな設定だったのですが、自分で店をやってみて初めて、料理人として認められることと、商売として成り立たせることの両立がとても難しいことに気付きました。

オーナーシェフとして経営を見つつ、完成度の高い良い料理を提供すること。そのバランスが難しくてすごく苦しみました。店をオープンして3年目くらいからは普通に食べていけるくらいの経営はできてはいましたが、やはりもっと質の高い、自分にしかできない料理をやりたい。そういう気持ちが抑えきれなくなってきました。

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■先輩たちの言葉に支えされ、更なる高みを目指す

郊外で店を営む難しさがあったりするのでしょうか。

山田氏:
やはり良い食材でそれなりの価格帯で料理を提供するレストランを営むとなると、郊外では難しい部分があるとは思いますが、今こうして市内へ移ってきて思うのは、僕が作る料理を理解してもらうためには、結局はコツコツと良いものを作り続けるだけだという部分では結局は同じかな?とも思います、笑。

北新地のブーランジュリー「ル シュクレクール」を営む岩永シェフとはずっと親しくさせていただいているのですが、岩永さんも吹田市の郊外に店を構えていらっしゃったので、その辺の話をよく聞いてもらっていました。でも岩永さんは「どこでやるかじゃない、誰がやるかなんや」って常に僕を励ましてくださいました。
僕が「八尾市やから良い料理ができないんや」とはならずに料理への情熱を絶やさずやってこられたのは、そういった先輩方の言葉のおかげだと思います。

こちらへの移転はどのような経緯がありましたか?

山田氏:
そうして苦しみつつも、やはり次へのステップを目指したい気持ちが抑えきれなかったので、自分が納得できる形の店を作ろうと考え、そのためには、僕に足りない部分を補ってくれるパートナーが絶対に必要だと思いました。

僕は料理に対すると、どうしても気持ちが職人寄りになってしまいますし、料理を突き詰めながら経営を考えることが難しい。そこでサービスマンとして前から惚れ込んでいた現在のスタッフ・旅田にラブコールを送り、一緒に店をやらないかと2年くらいかけて口説きました。
八尾の店は完全に一人でやっていて、そのフラストレーションでメンタルが削られましたので、経営やサービスを旅田に任せて、僕は料理にとことん集中できる形で本当に納得のいく店をやってみたいと考えたのです。

店では料理だけでなく、遊び心のある演出も大切にしたいと考えて、物件も決まってない段階から作家さんを回って器は、ほぼ全てオーダーメイドで作ってもらいました。八尾の店でできなかったことがここで大爆発してしまいましたね、笑。

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お店に入らせて頂いてすぐ、ものすごくこだわられたんだなということが伝わってきました。こだわった点などはあるのでしょうか。

山田氏:
日本的なものを感じられるように、というのを意識した作りになっています。
それは海外の食通の方々にも来てもらいたい。「RiVi」に食べに来るためにわざわざ海外から来てもらえるほどのレストランにしたいという目標を掲げています。

今、こちらでお店をオープンして1年ほどですが、新しい挑戦はいかがでしょうか?

山田氏:
理想と現実といいますか、最初に思い描いていたのとは違いますし、思うように行かないですね。思うようにお客さんも来ないですし…笑。毎日、ああでもないこうでもないと試行錯誤の連続です。

ただ僕がレストランをやるとなると、一皿にどれだけ気持ちを込めて、お客さんに提供できるか?というのが、僕が料理することの意味なのです。
一皿に、素材も技術も思いも僕が今出せる全てを乗せていく。職人なのでそこを評価されないと僕の存在意義がないと思っています。いろんな独立している先輩方に話を聞いて、自分が納得できる料理を提供するレストランをやってみたい、というイメージが固まり、そしてそれが実現できたことがまずはうれしい。

でも今は、自分が思い描く到達点へ1歩目を踏み出したところ。この店は内装も器も全て、本当に思いを込めて作りましたし、一流だと自負しています。
この中にいる自分がそこに追いついていないんじゃないかという気持ちもありますが、もっともっとできると思いますし、良いと思うものを作り続けていくだけです。

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山田シェフの料理への情熱の根本はどこから来るものなのでしょうか。

山田氏:
毎日やり続けることの9割は辛いことなのかもしれません。でもその9割を超えるような喜びがあるから続けられる。「美味しかった、また来るで」という一言で、全ての苦労が消えてしまうくらいの嬉しさがあります。

僕なんてコンプレックスの塊みたいな人間で、経歴もなければ何もないなって今も変わらず思っています。でも、だから頑張れる。もっともっとと思いますし、まだまだできると。
僕は、自分の生み出す料理に誇りを持っていたいのです。料理人として生きて料理人として死にたいのです。

そして僕たちがこうして挑戦していくことが、料理人やサービスマンを目指す次の若い世代に対する何らかのバトンになれたらとも思っいます。僕たちがカッコいい先輩たちの姿に憧れて導かれたように、次は僕たちの世代がそうならないとアカンとも思います。
これからはもっとアクティブに外に向けての発信も行っていきたいです。僕の料理や「RiVi」の存在を知ってもらわなければなにも始まらないですからね。

(聞き手:市原孝志 文:池側恵子 写真:久岡 健一)

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