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心をみがき、真摯な気持ちで仕事に取り組む。さまざまなタイプの店で経験を積み「沖縄懐石」の料理長に

沖縄懐石 赤坂潭亭
田中 直樹

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■料理人になるからには一流を目指したい

料理の道に入ったのは調理師専門学校への入学が始まり。専門学校に通っていた当時は、テレビ番組の「料理の鉄人」などの影響から、プロの料理人にスポットがあたり始めた時代。自然と有名店で働きたいという思いが募るが、現実の厳しさに直面する。

料理人をめざしたきっかけは?

田中氏:
もともと考古学が大好きで、大学進学が希望だったんです。目指すは、エジプト考古学者の吉村作治先生。でも、あまりにも狭き門で思いがかなわなかったんですね。他の学問には興味がもてずに浪人生活を続けていたんですが、家族会議でついに父から「大学に行くのが無理なら、働くことを考えろ」と言われ、自分の人生、どう生きて行こうかと本気で考えるようになりました。それで料理人になろうと気持ちを切り替えて、専門学校に行かせてもらったんです。

思い切った方向転換ですね。料理はお好きだったんですか?

田中氏:
両親が共働きだったので、子供の頃から手伝いをしたり、自分で作って食べるのも好きでした。やはり興味を持っていることが、仕事として続くだろうと思ったのです。当時は「料理の鉄人」などのテレビの料理番組も大好きで、料理人という職業にも魅力を感じていたんです。

「料理の鉄人」で料理人に憧れたという方は多いですよね。有名な料理人のもとで働きたい、という気持ちはお持ちだったんですか?

田中氏:
少なからずは、そういった思いはありました。大学を断念したコンプレックスの裏返しかかもしれませんが、料理人になるからには一流になりたいという向上心は持ってました。どんな世界でも同じでしょうが、いい学校に入ればいい授業が受けられて、いい会社に入れるといった筋道があると思うんです。料理の世界でも、いい素材にふれ、高い技術を吸収するためにも、レベルの高い店に入りたかった。でも、現実は厳しかったですね。進路相談の先生からは、いくつか有名店の候補をあげていただいたんですが、住み込みで給料が数万円とか、どうしても条件的に受け入れられることができなかったんです。いま思えば「修業」と考えれば当然なのですが、結局、踏ん切りがつかなくて、専門学校時代からアルバイトに入っていた地元の小料理屋でしばらくお世話になりました。

■つねに真摯な気持ちで仕事に取り組む

学校卒業後、最初に修業に入った横浜の小料理屋は、親の知り合いを通じて紹介してもらった店。料亭で長年働いた後、独立した主人は、板前とはどのように修業を積むべきか、日本料理業界のいい面、悪い面も含めて、業界の常識を教えてくれたという。ほどなくして、西麻布「分とく山」の野崎洋光氏の料理本を目にし、「この人から料理を学びたい」と強く思うようになる。

野崎さんの料理に惹かれた理由は?

田中氏:
野崎さんの料理写真を見て、感動したというか……。言葉では言い表しにくいのですが、他にはない温かみのようなものが伝わってきたんです。いてもたってもいられず、西麻布の店を訪ねて本人にお会いしたところ、「この人だ!」と強く感じる部分がありました。とはいえ、すでに有名な方でしたので、同じような修業希望者はたくさんいるから、こちらも狭き門。それでも土下座する勢いで、押しに押してお願いしたんです。野崎さんも困っていましたけど(苦笑)。そのかいあって「今は無理だけど、空きが出たら声をかけるから」と言っていただけて、1年後くらいに入店。22歳の時でした。

念願の店に入れたんですね。しばらくは野崎さんのもとで働いたのですか?

田中氏:
いや、じつはそうでもないんです。僕の場合、若気の至りというか出たり入ったりしていたんですよね。しばらくして体を壊してしまって病院に入院しなければらなくなり、仕事を休むのも迷惑がかかって申し訳ないので辞めさせてもらいました。退院後は、横浜の実家に戻り、母の知り合いの無国籍居酒屋に「アルバイトでいいから」と頼んで、入れてもらったんです。

ここのご主人も和食出身で、無国籍料理というジャンルで、けっこうな繁盛店という部分にも興味があったものですから。1年くらい働いた頃、常連のお客さまで親しくなった方から、「同じような店をやりたいから料理長としてやってみないか」とお声がけいただいて、店の立ち上げから関わらせてもらいました。

20代半ばで料理長を任されたんですね。

田中氏:
そう言われると聞こえはいいのですが、私にとってはまだ早すぎました。しだいに料理を考えることが煮詰まってきたんです。自分の土台の部分がいかに足りないかということに気づき、このまま先、今以上のことはできないんじゃないかとすごく怖くなりました。最初はとにかく料理ができればいいというスタンスで、自己満足でした。もう一度ちゃんと勉強をしないと駄目だと思うようになってからは、物の見方や感じ方が変わってきて、それはそれでいい経験をしたと今なら思えますが、当時はすごく苦しかった。思い悩むなか、たまたま野崎さんから「今度、新宿の百貨店に出店するので手伝ってくれないか」と連絡があったんです。僕が以前、病気を理由に辞めたことを覚えていて、気にかけてくださっていたんです。すぐに「やらせてください」と答えました。

すごいタイミング。ご自身の土台を固めるためにも、渡りに船だったわけですね。

田中氏:
そうなんです。それでまた数年野崎さんのもとで働かせてもらい、その後、東京駅前の丸ビルにある「暗闇坂宮下」で2年ほど働きました。客席数が80ほどで、料理人が10人くらいいて、昼夜営業の大規模店というタイプの店は初めてで、よい経験になりました。

その後また、野崎さんから声をかけていただいたのをきっかけに、「分とく山」のすぐ近くにある同系列の「とく山」で働くことになりました。カウンター主体の単品中心で、即興で料理を作ることが多い店でしたので、機転をきかせて仕事をこなすことが非常に勉強になりましたね。

辞めた後も、同じ店から何度も声をかけられるなんて人望が厚かったのですね。それにしても抵抗はなかったですか? 以前の同僚が上の立場になっていることもあるかと思うのですが。

田中氏:
ないとは言えませんけど、自分が成長するためには「戻る勇気」も必要だったと思うんです。実際、自分よりも年下の子が先輩だったこともありました。それでも、頭を下げてモノを聞ける割り切りができるかどうか、なんですよね。とくに「分とく山」のような店は、勉強したいという熱心な子がいっぱいいるので、最初に22歳から入った私はその時点で遅いスタートだったんです。中には中卒の15歳から修業を始めているような子もいて、経験値ではとてもかなわない。それでも彼らに追いつき、追い越すためには努力するしかないんです。

修業先が変わるたびに「業に入れば業に従え」でゼロからのスタートで、自分の成長期間は素直に何でも聞いて吸収しようと考え、変なプライドは持たないように心がけました。相手によってはライバル心から嫌われているかな? と感じることもありましたけど、それはそれ、仕事は仕事ですからね。いいことは吸収して、悪いことは反面教師じゃないけど自分ではやらないようにして、経験と知識を蓄積していきました。

沖縄懐石 赤坂潭亭

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