鮨職人として外に出ること、それは「学び」に行くのではなく「伝え」に行くこと。

Sushi B Paris
花田 雅芳

■まずは10年。修行の本質は技術の習得はもちろん、そりよりも人間としての成長。

料理の世界に入ろうとしたきっかけを教えてください。

花田氏:
昔やっていた「料理の鉄人」という番組を見て料理人がかっこいいと思ったのもありますし、いろんなことがきっかけで、小学生のころから料理の世界に入ると自分の中で決めていました。それで、高校を卒業してすぐにプロの世界に入ったんです。

憧れたものが洋食ではなかった?

花田氏:
経験として洋食をやってみるのはいいかなと思いましたけど、最初はやっぱり自分の国の料理からだろうと思いました。

2012年にパリに来るまでに、どういったお店で修行をされてきましたか。

花田氏:
父親の会社のオーナーの行きつけの地元(福岡)の鮨屋に縁があって、高校卒業後すぐに働き始めました。その後、そのお店できっちりと合計10年間、鮨職人として勤めました。
途中、海外を見てみようという気持ちから、職場のつながりを辿ってアムステルダムに2年半いたこともありますが、日本ではそのお店一本です。10年間、それが自分にとって大事な数字だったんです。

なぜ、「10年」が大事だったのですか。

花田氏:
そのお店にいた若大将から「10年」という数字の大事さを教えられたからです。修行というのは技術を磨くというよりは、人間としての成長に重きを置かなければならないと言われました。同じ環境の中で、同じ人間関係の中で、いかに自分がうまくやっていくか、いかにお客さんと対面をしていくか、それを一箇所に10年間とどまって磨き上げていくものだと伝えられたのです。

■外に出て初めて知った鮨職人が海外で挑戦することの本質 — 日本での修行時代が、唯一の技術習得の機会。

日本での修行の途中、アムステルダムに行こうと思われたきっかけは?

花田氏:
異国に飛び出したという人が周りにいたので、純粋に自分もやってみたいと思いました。外の世界にはいったいどのような食材があるのか、和食はいったいどのように思われているのか、それを知りたかった。
ちょうど、勤めていた日本のお店のツテで、アムステルダムのホテル・オークラの和食店に人が足りていないことを伝えられ、そのチャンスを利用しました。

アムステルダムでは、どういった現場に立たれましたか?

花田氏:
アムステルダムの和食店は、日本の鮨屋とはまったく異なる環境でした。もちろん「鮨」ではなく「和食」であったので、仕込みの仕方がまったく違ったり、店の規模が大きかったので、料理人が10人以上もいるその迫力に衝撃を受けたりもしました。
ただ、それだけでなく、ホテルという場所、またオランダという先進的な環境ゆえに、本物の和食を求める現地のお客さんの要望は強いものでした。それに応えるべく、和の料理人としていかに「本物を伝えられるのか」という真価を問われたのも、大変な刺激となりました。

アムステルダムで2年半を過ごされ、その後また日本に戻られたのですよね?

花田氏:
はい。日本から外に出て始めて気づいたのですが、海外で鮨職人として戦う際に、頼れるのが自分の技術のみだと思ったのです。というのも、たとえばフランス料理人やイタリア料理人であれば、むしろ海外が本場なので、日本の外に修行に行くということができます。でも、鮨ないしは和食の料理人として外に出たとき、そこに技術を身につけるチャンスはあまり無く、むしろそれまでに日本で培ってきたものだけを頼りに戦うしかないんです。
和食や鮨の技術に関して、日本ではいくらでも学べる機会があるけれど、海外に出たらそんな贅沢な機会はほとんどありません。だからこそ、長い年月をかけて日本で技術を磨くことが大事になってきます。
外に出て初めてそのことに気づき、一度日本に帰って、改めて自分の基礎を磨こうと思いました。それで、日本に一度帰国して、1年間きっちりと下積み期間の続きを過ごしたのです。

■海外での就職。お店の顔が見えない以上、現状では、縁を辿り足を運ぶしかない。



パリに来ようと思ったきっかけは?

花田氏:
アムステルダムにいたころから、もともとパリにはよく顔を出してました。いろんな刺激を受けられたし、何よりも近かったので。そのときに知り合った方の紹介でパリの「眉山(BIZAN)」という和食料理店で料理長をやってみないかというお話をいただきました。当然、自分は海外で戦いたいと思っていたので、ありがたくそのお話を承諾させていただきました。

その後、どのようにして現在の鮨専門店「Sushi B」のパリ店を任されるように?

花田氏:
「眉山」にいたころに、オファーをいただきました。ただ、「眉山」で料理長を任されるにあたって、約束していた期間がまだ終わっていなかったので、自分はそのオファーを何度もお断りしました。
でも、その熱烈なオファーは止まりませんでした。何度お断りしても、どうしてもとお願いをされたので、「眉山」を紹介してくださった方に相談してみることにし、何とか承諾をいただきました。その結果、約束の期間はまだ終わっていなかったものの、パリの鮨屋で自ら鮨を握ってみたいという気持ちもあり、2年半勤めた「眉山」を退職させていただき、「Sushi B」に移ることが決まりました。

花田シェフのように、異国に出ようとする鮨職人は周りにたくさんいますか?

花田氏:
たくさんいると思います。ただ、大半の方が行きたくても行けないという状況にあります。家族がいたり、勇気が出なかったり、現地でどういった労働環境と条件が用意されているのか、どうしてもインターネットの情報だけでは見えてこないので、大きな決断を下しかねている人が大半です。
実際、インターネット上で現地の和食料理店などの求人情報は出ていても、どういったお店の雰囲気なのか、どういったオーナーなのか、給与体系やビザがどうなっているのかなどは、正直、不透明なことが多いです。そんな状況の中で、自分の生活をかけてまで外に出るというのは、正直、無理があると思います。
だから、現状では、自分の足でお店まで出向いて、直接その現場の雰囲気を見て話しを聞いて、やっと海外に出ることができます。

海外で鮨職人の需要はある?

花田氏:
少なくともフランスでは歓迎されていると思います。むしろ人材不足なのではないでしょうか?
また、この間、ロンドンに行った時、有名な和食店の料理長と話しをして「和食の職人が喉から手が出るほど欲しい」と言っていたのが印象的でした。
ちゃんとした技術があれば、お店側もしっかりとビザを取ってくれると思いますし、チャンスは大いにあると思います。
鮨職人や和食料理人に対してそういった大きな需要があるにもかかわらず、また、海外に出てみたいと思う者がたくさんいるにもかかわらず、それらが上手くマッチングできていない現状があるのでしょう。
一方で、フランス料理の業界は、すでに多くの日本人シェフがフランス現地とのコネクションを築き上げているので、若い料理人が外の世界に出ることのできるシステムが出来上がっていますね。和食の業界でもそういったシステムを作るべき段階になったのかもしれません。

Sushi B Paris

お問い合わせ
+33 (0)1 40 26 52 87 
アクセス
5 rue Rameau 75002 Paris
営業時間
12:30-13:30、19:00-21:00(月曜、木曜-日曜)
19:00-21-:00(水曜)
定休日
火曜日および水曜昼