自分を知って、自分を活かす

Masa
高山 雅芳
Masa 高山雅芳

Masa 高山雅芳

■魚が身近だった子ども時代、自然に寿司の道へ

栃木県黒磯市のご出身なんですね。幼い頃はどんなお子さんでしたか?

高山氏:
山遊びや川遊びが好きな、普通のわんぱくな子供でしたよ。車が好きだったので子供の頃の夢はレーサーになりたかったですね。手を動かすのが好きで図画工作は得意科目。父は魚屋でしたが、引退してからは書道を教えていますし、母は私が子どもの頃から日本画を描いていました。そういった日本の伝統的で美しいものが身近にある環境で育ちました。

家業が魚屋だったので、家の手伝いをしながら魚に触れて育ちました。結婚式のために魚を何百匹も焼いたりなんてこともしていましたね。

高校を卒業して大学に行こうかどうしようかと思った18歳の頃、東京で板前修業をしている2歳上の兄に銀座の「寿司幸」を紹介してもらったのがきっかけです。

「寿司幸」といえば、創業明治18年の老舗の有名店ですね。修業はどうでしたか?

高山氏:
その当時ですから、最初は掃除からで野菜を切ったり買い物に行ったりというところから始まり、寿司を握るようになったのは4~5年してからでした。

寿司を握るのは別ですが、魚を扱うのは慣れていたので仕事はそんなに難しいとは思いませんでした。魚屋とは違う、やったことのない細かい仕事が学べて良かったです。また現在四代目の杉山衛さんと同い歳だったこともあり、衛さんが大学を卒業して「寿司幸」に入った時に指導役をさせてもらえたのもいい経験になりました。

「寿司幸」で一番学んだのは”洗練”ですね。銀座ということもありますが、同じ銀座でもお店によってそれぞれやり方が異なります。私が教わった三代目の旦那はとても粋な人で、話の仕方も江戸っ子らしく気っ風が良い。そんな生き方がお寿司にも出てるんです。お寿司もゴテゴテせずキリッとしていて、そんな生き方や洗練された人間性は憧れでした。私が一番影響を受けた人物ですね。

私はね、お寿司というのはもっとも洗練された食べ物だと思うんです。江戸っ子の粋が形になった食。新鮮な魚と味をつけたご飯、握ってすぐさま食べるという行為、味そのもの。

それが世界でお寿司がブームになっている理由じゃないかな、と思うのです。それも三代目から学んだことですし、そういう粋な職人になりたいとずっと思ってきました。

Masa 高山雅芳

■転機が訪れたロサンゼルス時代

海外で仕事をしようと思うきっかけは何だったのでしょうか?

高山氏:
1979年、8年間務めた「寿司幸」を辞めて、観光でロサンゼルスに行きました。当時「寿司幸」にいらしていたお客様でロサンゼルスに事務所がある方がいて、「ロスなら安くラウンドできるよ」と言われて、半年間毎日ゴルフをしていました。

四代目の衛さんの指導役をしていたこともあって、三代目から感謝されて退職金をたくさんいただいたので、当分遊んで暮らせるだけのお金はありました。ある日知り合いの方にロスの寿司屋へ連れて行ってもらう機会があったのですが、ロスではこんなに寿司が流行っているのかと正直驚きました。そしてその方に「寿司屋をここでオープンしたら?」と勧められたのもあってやってみることになったのです。

自己資金にいくらか借り入れをして、1980年にオープンしたのが「鯖屋」という店です。自分が好きな魚『鯖』から一字とりました。

その当時のカリフォルニアのお寿司はどうだったのですか?

高山氏:
当時は日本の正統派のお寿司が主流で、ネタが多少違うくらいでした。カリフォルニアロールはありましたが、まだスパイシーツナマヨなどの巻物のバリエーションはできていない頃です。

店では正統派のお寿司だけでなく、人気のカリフォルニアロールもやっていました。当時日本から魚を輸送する手段はありましたが、とても高価だったので仕入れている人はいませんでしたね。

「鯖屋」は一人40~50ドルの大衆的な店でしたから、当然手が出なかった。同じ魚でも日本とは味が違いますから、例えば少し魚の匂いが強ければ炙ったりと、工夫して出していた記憶があります。

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画像:店舗提供画像

■「日本の魚がないなら、自分で仕入れればいい」卓越した行動力で道を拓く

それが変わったのが、1984年です。

高山氏:
「鯖屋」を売り、同じくオーナーシェフとして、ロサンゼルスのダウンタウンに「寿司幸」の暖簾分けの新しい店「Ginza Sushi-ko(銀座寿司幸)」をオープンしました。

こちらは寿司だけで一人250ドルの高級店でしたから、日本の魚が使えると思い、ダウンタウンにあったローカルの魚屋に、日本から魚を入れてみないかと持ちかけました。
ところが、「日本の魚を入れても、高いから誰も買わない」という言葉が返ってきました。それでも諦めずに、「入れた魚は、うちが全部買い取るから入れてくれ」と頼み込みました。

そうして、念願だった日本の魚を店で出せるようになりました。それはあっという間にクチコミで評判になり、他の寿司店も日本の魚を扱うようになりました。うちの店も最初は週に1回仕入れていましたが、途中からは週2回に増えましたね。

当時、お客様はほとんどが日本人。バブル時代の始まり頃だったので、お店は常に満席でした。不動産投資などでロサンゼルスに来ていた人が多かったですね。ですから日本の魚をたくさん仕入れても、すぐに使い切ってしまいました。
ロサンゼルスでも生きている貝もエビも白身魚も手に入りましたが、日本のものとはやはり味が違うんです。鮮度の良いアナゴ、いか、えび、そういったものは、やはり日本のものが必要だと感じていました。

オープンして2~3年してから、今度は自分で魚を仕入れるようになりました。
当時、ロサンゼルスには大阪からノースウェスト航空の直行便がありましたから、最初のうちは週末に自分で直接仕入れに行きました。土曜日の飛行機で大阪に飛んで、大阪の中央市場に行って自分で買い付けてハンドキャリーで運んで帰る。

毎回7~8箱を預け荷物にしてね。それをしばらく繰り返していると「海外になんて送らない」と言っていた問屋さんたちも、だんだんと信用してくれるようになりました。

でも、実際に送るとなると通関などの手続きが必要になる。それで運送会社と話をして書類作成をお願いし、その担当の方を問屋さんに引き合わせました。問屋さんはそれぞれの魚の重さを書いて、決まった時間に空港まで持っていけばいい、と言うところまで話をつけられるようになりました。

なんと、ご自身で流通網の開拓までされていたんですね。

高山氏:
はい。そうしてアメリカに魚が着いてからは、自分で直接受け取りに行っていました。

飛行機は午後1時頃着くので、昼頃に行くんです。自分で書類を提出し、関税を払って魚を受け取る。高速道路が混んでいると、店に着くのは午後4時くらい。そこから6時のオープンに間に合わせるように、急いで魚をさばいていました。そんな感じですから、当時はとても忙しかったですね。

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