理想の店作りは、時間を惜しまず貪欲に自分を磨いた先にある

パンデュース
米山 雅彦

パンデュース パン

■本当の「おいしさ」を教えてくれた、師との出会い

その後、次のステップとして選んだ店は?

米山氏:
いろいろ目星をつけていた修業先はありましたが、パン屋さんというのは朝が早いので、店の近くに住まいを構えるのが大前提です。家庭もあったので引っ越しが難しく、宝塚の家から原付で通える範囲で修業先を探して、豊中のブーランジェリー「メルク」の古山シェフを訪ねました。

しかし有名店ですから既に弟子入りを待つ人でいっぱいで、私は無理を言って定休日に店に入らせてもらい、技術の幅を広げさせてもらいました。そうして古山シェフから、神戸で業界の話題をさらい始めていた「コムシノワ」を紹介いただいたわけですが、その後、店舗入りまでの半年間、みっちり時間を割いて面倒を見てくださって…古山シェフには、本当に今でも頭が上がりません。

そして、「コムシノワ」で、人生の師となる方と出会うわけですね。

米山氏:
西川功晃シェフは師匠と呼んだら怒りますけどね(笑)。ありがたいことに、パートナーとして捉えてくださっているんです。もともと「コムシノワ」は、フレンチのシェフである荘司索オーナーが展開するレストランで、そのブーランジェリー部門のトップが西川シェフ。私の人生にとって荘司シェフと西川シェフの存在はすごく大きくて、今でも自分の親のように思っています。

お二人とも、インスピレーションというか、想像力が非常に豊か。二人の、「ここに湖があって、その先に小屋があって、そこで出すパンを作りたい」なんて会話を間近で聞いたこともあります。彼らはパンにあるストーリーを大事にしているんです。「コムシノワ」に来たばかりの頃の私は「技術がおいしいものを作る」と思っていましたが、それだけではないと気付かされました。もちろん両シェフとも素晴らしい技術をお持ちです。しかし技巧の高さや造形の美しさと、「おいしさ」は必ずしもイコールではない。そのパンを見た瞬間、あるいは食べた瞬間、伝えたいイメージが広がる。技巧の美しさが際立つパンではなく、おいしいと直感的に感じていただける、そんなパンを作りたいと思えるようになったのです。

また、その理想の実現に向けて、一切時間を惜しまず、手を抜かず、圧倒的な知識を備え、技量を磨き続ける、その姿勢や心構えこそが、お二人が天才と言われる所以だということを痛感しました。非常に恵まれた環境に身を置けたと思っています。

実際に働き始めて、いかがでしたか。

米山氏:
最初の数年間の記憶がないんですよね(笑)。とにかくむちゃくちゃ働いていました。厨房のピリピリした緊張感とか…。インスタント珈琲を上手に淹れたり、シェフを楽しませたりと、強い印象を残せた人が仕事をもらえたとか、断片的には覚えているんですが。ちょうど移転前で、スタッフも店舗も拡張する立ちあげ期だったので、とにかく休みがなく、そこへさらに催事が重なると24時間働き詰めの時も。同時に、シェフのメディア露出も増えていた頃で、空き時間には頻繁に取材があって私もよくアシスタントを務めたり、「コムシノワ」の名前で講習会なども任されたりと、自分がどんなポジションだったかもあまり覚えていないほど毎日追われるように働いていました。

少しずつ余裕が出始めてからは、成型の仕事を任せてもらいたかったので、自分の仕事を全て終わらせて、「手が空いたので何かできることありませんか」というのを何回か繰り返して、ベーグルの成型の仕事をとりにいきました。入社半年後ぐらいだったと思います。そうやって自分ができる仕事を段階的に増やして、3年目ぐらいでオーブンを担当させてもらい、同時に、二番手であるスーシェフに就任しました。

その後、6年ほど勤められ独立を?

米山氏:
自分のやりたい店の世界観もはっきりしてきて、そろそろ先のことを考えたいなと。ただ人の出入りも激しい業界なので、すぐに店を抜けられる状態ではありませんでした。でも将来を見据えて、海外で世界のパンを勉強したい思惑もあり、「会社を辞めて3ヶ月だけヨーロッパを回って、また帰ってこよう」と考えました。

すると荘司シェフから、給料半分出すから辞めずに海外にいって勉強してこい、帰ってきたら面白いことを2人で立ち上げようと、言ってくださったんです。シェフのもとで料理も勉強できるチャンスですし、ぜひやらせてくださいと快諾しました。

パンデュース 内観

■ヨーロッパの風土と文化に触れて見えてきた、理想の店作り

ヨーロッパでの3ヶ月間、何を感じてこられましたか。

米山氏:
もともと風土や食文化に触れたい、という思いがありました。荘司シェフとは、フォカッチェリアの店を出す構想があったので、イタリアから南下してシチリアを回ってナポリで色んなピッツェリアを回りました。ナポリピッツァの「SAKURAGUMI」のマスターとご一緒させてもらい、知る人ぞ知る店の厨房を拝見したり。フランスでは、名パン職人のジャック・タピオさんの店に入らせてもらい、そこから4~5軒ほど紹介を繋いで勉強させてもらいました。今みたいにネットを開けばマップが案内してくれるわけでもないので、ガイドブック片手にバスを乗り継いで(笑)。

後は、ウィーンやルクセンブルク、ドイツでは知り合いの後輩経由で、何軒かでパンを作らせてもらって。大きな石臼を持っている店などもありましたね。色々な人とかかわる中で、例えば「パン皿を使わない」「自分の分を切って横に回す」など、バゲットが地元の方々の日常の中で、どのように食べられているかも知ることができました。

ヨーロッパの食文化を存分に体験され、その帰国から2年後、パンデュースを立ち上げたわけですね。

米山氏:
結局、荘司シェフとの構想はいろいろ店が忙しくなってきた関係で頓挫して、帰国後はブーランジェリーの方に戻り2年ほど勤務しました。荘司シェフと西川シェフには、一生かけても返しつくせない恩をいただきましたが、やはり次のステップに進みたいという思いがあり、独立をさせてくださいと話をしました。

しばらくは御影店で働きながら物件を探していて、そんな折、西川シェフに、間もなく淡路町にオープンするというクッキングスタジオの講師の話が舞い込んできたんです。スタジオの隣にカフェを併設する予定だったんですが、西川シェフがパン屋にしたらどうかとオーナーに提案され、そのパン屋のシェフに私を推薦してくださったんです。「お前の好きなようにしていいし、この話、乗ってみたら?」と。

オーナーも返事を急がれていて、「ひとまず君が店をやるならどんな風にするか考えて厨房を設計して」となり、その流れで「コムシノワ」から独立し、いつの間にかオープンの日を迎えていました。

お店作りには、どんな想いを込めましたか。

米山氏:
ヨーロッパから帰国した時に、フランスに憧れたパン屋はもういらないなと考えていたので、その当時パン業界では「ブーランジェリー」と店名に入れるのが主流でしたが、それも外しました。独自のスタイルでやろうと。「日本の粉を使って、日本のパンを作ろう」、そんなコンセプトで立ち上げました。

世界を回られた中で、逆に日本人向けのパンという発想が生まれた理由は?

米山氏:
現地のパンっておいしいんです。小麦もバターも。でも、フランスやドイツの気候風土だから生まれる小麦があって、それを使うから、おいしいパンができる。当然、日本の気候風土はヨーロッパと違いますし、唾液の量や味覚も異なります。日本にはちゃんと日本の気候風土で生まれた小麦があるわけですから、その土俵で進化させた方が結果的においしいものができると思ったわけです。

昔、日本はグルテンが強いふわふわのパンばかり作ってきていたので、国産小麦は使いものにならないという認識でした。ですから、小麦粉もライ麦も全粒粉も全て国産でスタートした当初は、業界の中でものすごく批判されました。今は逆にブームになっていますけどね。この選択が合っているのか間違っているのか、考える余地もないまま、忙しい日が続いて。でも、自分が思い描いていた店がようやくできたわけですから、時間も忘れ、とにかく没頭していました。自分が作りたいパンを、ここにしかないパンを出そう、と毎日必死でした。

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