早く職業人としての完成に到達すること。完成すると怖いものなどなにもなくなる

Hôtel Le Bristol Paris(ホテル・ル・ブリストル・パリ)
Laurent Jeannin(ローラン・ジャナン)
Laurent Jeannin Hôtel Le Bristol Paris(ホテル・ル・ブリストル・パリ)

Laurent Jeannin Hôtel Le Bristol Paris(ホテル・ル・ブリストル・パリ)

■ 自分が職業人としていい仕事ができるようになるまで学び続ける

どのような経緯でこの職業を選びましたか。

ジャナン氏:
私の両親は小さなレストランをしていました。パリの西にあるイヴリンヌの「メゾン・ラフィット(Maisons-Laffitte)」です。

両親は私が学業の面で成功するよう、私立の小学校と中学校に入れてくれたのですが、私は勉強なんて一切しない子どもでした。なので、15才になったとき、父は「勉強しないなら働きなさい」と言いました。
どんな職業がしたいか聞かれたので、「パティシエ」と答えました。まだお菓子作りに情熱を燃やしていたわけではなくて、実際はスポーツばかりしていました。ただ、聞かれたからそう答えた、その程度のことでした。

父は「早起きだし、みんなが休みの日に働かなければならないし、祝日やイベントの時にも働くんだよ。レシピも完璧に覚えなければならないんだよ」と言いましたが、「それでもやりたい」と言いました。とは言っても、実際パティシエの仕事がどのようなものかなんて知りませんでした。

家にガストン・ルノートル(※)の本があって、フレジエ(fraisier、イチゴのケーキ)の写真があったのです。この本と写真が、パティシエの仕事をしたいと思うきっかけでした。今でもオフィスにあります。

※フランスのパリにある老舗パティスリー(洋菓子店)「ル・ノートル」の創業者

パティシエとしてのキャリアを歩む上で、どんな心持ちで仕事をしていましたか。

ジャナン氏:
長い間「この大変な職業はなんなんだ」と思っていました。しかし、それと同時に、「学校で勉強しなかったけれど、それでも成功したい」という想いもありました。自分の選んだ職業で成功したかった。

私が学校をやめたのは15才です。勉強の道を選んだ他の仲間たちは25才、または30才まで勉強を続けています。なので「他の皆と同じで自分はまだ完成されてはいないのだから、25才だろうとその先だろうと、自分が職業人としていい仕事ができるようになるまで学び続けなければいけない」と思っていました。

どのような経緯で、ピエール・エルメ(Pierre Hermé)のもとで修業することになったのですか。

ジャナン氏:
ヴィシー(Vichy)に引越したので、両親はヴィシーで一番いいパティシエを研修先に選びました。ヴァラド氏のところです。

15才でそこで研修を始め、1年間、月15日は学校に行き、月15日は働きました。16才になったらフルで研修をするようになり、さらに2年間働きました。
そしてパリの「フォション(Fauchon)」に6ヶ月間の無償の研修に行きました。叔父が「エディアール(Hédiard、パリの高級総菜店)」に長く勤めていたこともあってランジス市場で「フォション(Fauchon)」にフルーツを卸している人を知っていて、話を通してくれたのです。

それまで私は小さな昔ながらのパティスリーで研修していたので、新しい技術や、高度なテクニック、パティスリーの完成度の高さ、パリのハイレベルなパティシエの世界に出会ったのはこの時が初めてでした。

Laurent Jeannin Hôtel Le Bristol Paris(ホテル・ル・ブリストル・パリ)

■錚々たる面々とともに働いた、若き修業時代

ピエール・エルメのもとでどのようなことを学びましたか。

ジャナン氏:
今「素晴らしいものをたくさん学んだよ」と言うことは簡単ですが、現実は違います。まだ若すぎて、何もわかっていなかったという方が正しい。
そこで働く皆が皆野心に満ちた、オーヴェルニュとは全く違う職場環境の中で、私はまだ何もできない若者でした。1987年のことですが、スーシェフはジャンミッシェル・ペルション(Jean-Michel Perruchon)でした。

クリストフ・フェルデー(Christophe Felder)、フレデリック・カッセル(Frédéric Cassel)、ヴァローナチョコのフレデリック・ボー(Frédéric Bau)みんなその時「フォション(Fauchon)」にいました。
その中で、私は同僚のクリストフ・フェルデーやピエール・エルメのようにその世界で育ってきたわけでもありませんし、私はまだ若くて、職場で何が起きているかさえよくわかっておらず、仕事についていけていないくらいでした。

私はパリに行ったことはあっても、地方とパリのお菓子の違いにも気づいていませんでしたし、「パリに来て修業したい」と考えるほどしっかりとはキャリアについて考えてはいませんでした。「成功したい」という想いがいつでも土台にある、それくらいのものでした。
研修が終わって当時のシェフ、ピエール・エルメにまだ働きたいと言い、兵役に行く人の代替として一年間のコミ(見習い)の 契約をもらいました。この時期にわかったことは「モダンパティスリーの世界でキャリアを積んでいきたい。」という感覚くらいです。オーヴェルニュで学んだものとは全く違う、繊細で緻密なパティスリーの世界です。

一年の契約が終わりまだ私は輝くものなど何も持っていませんでしたが、「もっと働きたい」とピエール・エルメに言いに行きました。
エルメは「ここはいっぱいだけど『デュック・ダンギャン(Le Duc d’Enghien)』で部門シェフのポストはあるよ」と推薦してくれました。コミから突然部門シェフですよ、想像してみてください。

そうして二つ星ミッシェル・ケレヴァー(Michel Kerever)シェフに出会いました。レストランでのアシエット・デセール(作り置きではない、出来たてのデザート)というものに出会ったのはこのときです。彼はすぐに私のことを好きになってくれて、私は彼に守られた環境で修業を積んでいくことができました。

その後防衛省から手紙が来て兵役です。空軍の大尉やその奥さんたちにパティスリーを作りました。その頃にはパティスリーに情熱を持つようになっていたので、休みの日もキッチンにこもって、飛行機の形のお菓子を作ったり、練習漬けでした。皆、お礼に飛行機で家まで送ってくれたり、飛行機に乗せてどこかに連れて行ってくれたりしました。楽しかったです。

その後、「ホテル・クリヨン(Hôtel de Crillon)」に移ったのですね。

ジャナン氏:
そうです。兵役が終わるとエルメ時代に仲良くなっていたクリストフ・フェデラーに電話しました。ちょうど彼は「ギ・サヴォワ(Restaurant Guy Savoy)」を辞めて「ホテル・クリヨン(Hôtel de Crillon)」に移るときで、彼と一緒に「ホテル・クリヨン」で働くことにしました。

1989年のある夜、キラキラ光るお城のような本当に美しい「ホテル・クリヨン」の前に立った時、私はここで働けることに胸を躍らせました。さらに、刺激的なメンバーが揃っていました。フェデラーがシェフパティシエ、スーシェフがあのジル・マルシャル(Gilles Marchal)。

キッチンのシェフがクリスチャン・コンスタン(Christian Constant)、スーシェフがエリック・フレション(Eric Frechon)、イヴ・コンドボール(Yves Camdeborde)、ティエリー・フォッシェ(Thierry Faucher)、ジャン=フランソワ・ピエージュ(Jean-Francois Piège)、みんながいる時代だったのです。

私はコミ(見習い)として入って、スーシェフになりました。大好きな環境だったので、10年間そこにいました。家庭的で、自由が与えられていたこのメゾンが好きでしたし、経営者がフランス企業の最後のホテルだったことも私にとってはポイントでした。最後のフランス経営のホテルで働けることを誇りに思っていました。

「ホテル・クリヨン(Hôtel de Crillon)」での修業時代はいかがでしたか。

ジャナン氏:
毎日朝から晩まで通しで、休憩があったりなかったりの仕事で、給料も低かった。超過勤務手当が支払われている今とは時代が違って、若い人にはほとんど支払われていないと言ってもいいくらいでした。すごくすごく辛い時代でもあったのですが、この時期に自分の職業について深く知ることができましたし、休むことなく練習を積んでいました。

クリストフと会社のおかげでスキルと知識を高めていくことができ、スーシェフとして様々な作品も作りましたが、もちろんシェフであるクリストフのために作ったものなので、自分の創作というものはまだしていません。それでも、自分の職業の中で表現していくことができましたし、自分のパティスリーというものが形成されつつありました。

その後のキャリアはどのようなものでしたか。

ジャナン氏:
その次のステップは、ヨーロッパに「フォシーズンズ」が作った最初のホテル、「ジョルジュ・サンク(George V)」オープンの際のシェフパティシエのポストでした。30才のときです。キッチンシェフはフィリップ・ルジャンドルでした。

いまだに大切にしていることなのですが、どのようにしてお客さんを感動させることができるかということが、私の、この職業をする中での一番の価値です。
私は、大きなお皿に、1つのテーマについて4種類の違ったデザートを乗せることを思いつきました。「イチゴの4種類のデクリネゾン」「チョコレートのデクリネゾン」として提供しジョルジュ・サンクでは短期間で大きな成功を収めることができました。

ある日エリック・フレションから電話がきて、「Hôtel le Bristol Paris」で一緒に働いてほしいと言うのですが、なんとそれは「ジョルジュ・サンク」と継続して働く話をした、たった二日後のことだったのです。結局エリックはジル・マーシャルとブリストルで働き始めました。

「Hôtel le Bristol Paris」に来る前までのことはあまり知られていないように思いますが。

ジャナン氏:
無理もないことだと思います。昔は雑誌などにパティシエが載る時代ではなく、シェフだけが取り上げられていて、パティシエにとっての成功は今より難しかったのですから。

Hôtel Le Bristol Paris(ホテル・ル・ブリストル・パリ)内観

Hôtel Le Bristol Paris(ホテル・ル・ブリストル・パリ)

お問い合わせ
+33 1 53 43 43 40
アクセス
112 Rue du Faubourg Saint-Honoré, 75008 Paris
メトロ9、13番線 Miromesnil駅
営業時間
12:00-14:00,19:00-22:00
その他にカフェ、バーでもパティスリーを楽しむことができる。
定休日
なし