シャルキュティエという職業を、食肉に親しむ文化を、 100年後もその先もずっと継承していきたい。

METZGEREI KUSUDA
楠田 裕彦

■幼少時代から父の工房に出入りし、食肉加工の現場に触れる。

シャルキュティエ(食肉加工職人)を目指されたきっかけは?

楠田氏:
もともと父もハム職人なんです。高度成長期前に大手ハムメーカーで職人として勤めていました。今でこそ大量生産向けにオートメーション化されていますが、当時は工程ごとに専門職人がいて工房で手造りされていた時代です。父が神戸で工場長をしていた時、兄弟でしょっちゅう工房に出入りして遊んでいまして。今思えば邪魔で仕方なかったと思います(笑)

次第に端っこでソーセージを切ったり物を運んだり、簡単な手伝いを任されるようになりました。

高度成長期に入り、大量生産が重視されるようになるに伴い、父は自分のこだわりを詰めたハム・ソーセージ作りをしたいと独立を決意。鹿児島に移住して自分の工房をオープンすることになりました。私が10歳になる前ぐらいの時です。父と兄と3人で、ドラム缶で燻して、細々売り歩いて。小さな工房でした。もちろん人を雇う余裕なんてないですから、学校から帰ってきたら父の仕事を手伝う毎日。腸詰めもしましたし、10代のうちには豚もさばけるようになっていました。

その頃は父と同じ職業に就きたいという気持ちは全くありませんでした。高校を卒業したら、スポーツ学校への進学を検討していたほどです。ところが16歳の時、父のデスクに、束になったヨーロッパの資料を見つけまして。そこには、日本では見たこともないような工房の機械や、多様な自家製ハム・ソーセージ、それを空の下など開放的な空間で楽しむ食卓シーンが載っていたんです。ちょうど日が沈む前ぐらいの時で、文字も読めないのに夢中で見続けて、気付いたらあたりが真っ暗でした。

「ここに行きたい」「こんな文化を日本にも根付かせたい」、そう強く思いました。希望の光みたいなのが、自分の中に見えた気がしました。

その夢の実現に向け、どのように歩んでいかれたのですか?

楠田氏:
在学中からどこか修業先を紹介してもらえるツテがないか探っていましたが、そうトントン拍子にはいきません。卒業後はヨーロッパに修業に行くための資金稼ぎと料理の勉強を兼ねてレストランに勤務。見習いで給与も安かったので、レストラン勤務の後は夜からビルのメンテナンスの仕事をかけ持ちして必死でお金を貯めました。

4年ぐらいしてツテを紹介してくれる方に出会えたのですが、いよいよ話を詰めようという時に阪神淡路大震災が起こり、連絡が途絶えてしまって…。次の一手をと、ドイツワインの輸入を手がける商社さんに修業先の紹介を頼みました。すると、「どこの誰か分からない人を、紹介するわけにはいかない」とのことで、そのワイン商社が運営するレストランでシェフをさせていただくことになりました。

そうして1年間で信頼を得て、ドイツ中に顔がきく当時の社長に数店舗ご紹介いただき、その中からドイツ南部のバート・ザウルガウという小さなまちのメツゲライ(食肉加工専門店)に修業に行かせてもらうことになったのです。それが最初の修業先となる「メツゲライ・ヌスバウアー」で、ちょうど私が23歳の時でした。

■ずっと憧れていた地…見たことがない世界の連続に心が震えた。

ドイツはいわば本場の世界。やはり今までとは違いましたか?

楠田氏:
全く違いました。機械も工房の風景も、これまで見たことがない世界が目の前に広がっていました。高校時代に衝撃を受けてから、7~8年ずっと、「どんな歴史や文化から、こんな多様な加工品が生まれたのだろう」という思いをずっと抱き続け、やっと辿りついた場所です。その時は震えるぐらいの感動がありました。

そもそも日本では、自家製の食肉加工品を売る専門店もあまりありません。それが、向こうでは当たり前のように存在しているということですよね。

楠田氏:
そうですね。各町に必ずありますね。私が修業した小さな町でも、5店舗ほどありました。みんな自分好みのお店を見つけて通うわけです。日ごろ皆さんが手にする日本産のハムやソーセージというのは、ほとんど形状も色も食感も同じだと思いますが、ヨーロッパ産のものは、味はもちろん、形状も食感も多種多様。パテやテリーヌなど、加工のバリエーションも豊富。食肉文化が、生活に深く根付いているんです。

もちろん私よりも以前にドイツで修業された方はたくさんいらっしゃいますし、本場で学んだ伝統技術を生かして、日本でその味を広めている方は既におられると思います。ただ、食文化としての浸透はまだ浅いと感じていて。だからこそ、当たり前のようにメツゲライのような店舗が存在し、日常的に食肉加工品が楽しまれる文化を、日本に根付かせていきたい、それを自分がやるべきだと思ったんです。

作り方はもちろん働き方も言葉も違うわけですが、どんな修業期間でしたか。

楠田氏:
「ヌスバウアー」での修業は3年です。最初に肉が捌けるかを試されたのですが、父の工房で手伝いをしていた事がここで役立ちました。これまでやってきたことが通用し、規格は多少違いましたが、ひとまずその工程については信頼を得られた感触がありました。

労働基準が厳しいので毎日が戦いでした。限られた時間内で質を保った状態でどれだけの数をこなしていけるかが勝負。合理的に進めていかないと終わらないんです。とにかくスピードが求められます。一つ一つ丁寧に工程を教えてもらえるわけではないので、その流れの中でコツを頭に叩きこんでいかなければならない。

それにドイツの方というのは、体躯が大きく声もデカイんです。怒られるのもすごく迫力があり、怖かった(笑)

はじめは言葉も分からないですし、何とか習った英語を使っていたものの「ここはドイツなんだからドイツ語を使え」と言われ…何とか言葉を理解するまでには、1年ほどかかりました。当時は悔しい思いも沢山しましたし、今思い返しても大変でしたね…。

ドイツでの修業を終えて日本に?

楠田氏:
その後は、フランスで1年修業を積みました。もともと、日本のフレンチレストランで働いていた時代に、ヨーロッパで修業を終えて帰国された先輩方から、「シャルキュトリで経験を積むと良いよ」と指南されていまして。シャルキュトリというのは、ドイツでいうメツゲライのこと。その言葉を胸に、ドイツで学んでいる3年の間もパリやアルザスのシャルキュトリに研修を受けに行っていたんです。学んでみると、ドイツと全く違うものを作っていて、面白いなぁとハマり…ドイツでの修業が終わったらフランスに行くぞと計画を立てていました。

ところが、かなりの数をまわって働き口を探したのですが、どの店も研修はOKでも就職となると全てNG。その当時、シェフやパティシエの世界では、海外から修業に来た人にも積極的に技術伝承を行なっていましたが、私たちの業界はとても保守的。秘伝の味を家族で守り伝えていて、それがその店の生命線であり門外不出の技術だったのです。結局、就労ビザ取得のリミットも過ぎてしまい、父の病気も重なって…日本に帰国することになってしまいました。

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