伝統と革新の融合。過去のルセットは通用しない

ガストロノミー“ジョエル・ロブション”
久我 倫朗

_DSC0465

■「何でもやらせてもらえる」というより「やるしかなかった」

世界最高の料理人の一人と言われ、今も尚、世界の美食家からの賞賛を一身に受け、料理界をリードし続けているジョエル・ロブション氏が1994年に開業した「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」はまさに“お城”。フランス・ルイ15世時代(18世紀)の建築様式を取り入れ、窓枠や扉などはルーブル美術館の補修工事を手がけるベロー社に特別注文。料理はもちろん空間デザインやサービスまで徹底して最高級を追求している。その“お城”の中でも最上ランクの「ガストロミー」で腕をふるうのがパティシエの久我氏だ。

幼稚園のころから「お菓子屋さんになりたい」とおっしゃっていたとか?

久我氏:
母がちょこちょことお菓子を作っているのを見て、面白そうだなと思ったんでしょうね。高校時代には当時人気の料理バラエティ番組『料理天国』もよく観ていましたし、食全般に関心はありました。現実的にお菓子の世界に入ろうと決めたのは、高校3年で進路を考える時期になってから。小さいころからものづくりが好きだったので、技術者になりたいと思いましたが、油まみれになって機械いじりをするタイプではなくて。食なら好きだし、続けていけるだろうと食関係の技術者を目指すことにしたんです。

料理人になることは考えなかったのですか?

久我氏:
料理人の世界は厳しくて、10年、20年でようやく一人前になれると思っていた。でも、「お菓子なら、数年でひと通りの技術が身につけられるよ」と人から聞き、お菓子の方が若いうちからいろいろなことに取り組めるんじゃないかと考えたんです。とにかく早く技術を身につけたいという気持ちがあったので、専門学校も座学よりも実習に力を入れているところをと選び、「エコール辻 東京」で1年間学びました。

最初の就職先は新潟県の「NASPAニューオータニ」。どんな職場でしたか?

久我氏:
「NASPAニューオータニ」はスキーリゾートホテルで、僕が就職した90年前半は全盛期。当時の地方ホテルには珍しく製菓部門が独立していました。独立した製菓部門がないレストランに入ると、パティシエが料理の下処理もするといったことは珍しくありません。僕の場合、製菓専門でキャリアのスタートを切ることができたのはとてもよかったと思います。

修業は厳しかったですか?

久我氏:
甘くはありませんでしたが、実は、来る日も来る日もグレープフルーツの皮むきをするというような、下働きのつらさを僕は経験していないんです。というのも、職場のパティシエ4人のうち3人は同期で、上司はシェフだけ。人手が足りないというのが大きかったんでしょうね。下働きももちろんしましたが、技術をシェフからすぐ教えてもらえ、1、2年でひと通りのことができるようになりました。

何でもやらせてもらえたんですね。

久我氏:
むしろ、「何でもやれ」というような状況で(笑)。何でもやるしかなかったんです。オフシーズンには東京のニューオータニにヘルプに行く機会もあり、規模や客層の違う職場を見られたのも勉強になりました。東京にはほかのパティシエと交代で行くので、NASPAニューオータニには僕ひとりがポツンと残され、菓子部門の仕事をひとりでやるというようなことも。早いうちにひと通りの業務を経験できたのは、後々すごく役に立ちました。

_DSC0234

■奇才パティシエ・成田一世氏との出会い

「ひとつの店で3年くらいは腰を据えて修業したい」と考えていたという久我氏。「NASPAニューオータニ」で約4年間勤務した後、東京都内のカフェで約3年間、料理と製菓を担当。再び専門的なお菓子の世界で経験を積もうと「ピエール・エルメ サロン・ド・テ イクスピアリ」(千葉・舞浜/2012年閉店)にパティシエとして入社した。

憧れの“お菓子屋さん”に入ったわけですね。

久我氏:
はい。レストランのデザートの次は、“お菓子屋さん”のお菓子を経験したかったというのもありますし、世界的に認められているパティシエのお店で自分の力を試してみたいという気持ちがありました。自分が身につけてきた技術が「ピエール・エルメ」で通用するなら、今後もやっていけるんじゃないかなと。

実際に「ピエール・エルメ」で働いてみて、いかがでしたか?

久我氏:
当時、「ピエール・エルメ」は日本での展開を始めて数年という時期。スタッフにパティシエ経験者が少なくて…

またしても、やるしかない状況だったんですね。

久我氏:
そうなんです。今にして思えば、すごくラッキーでした。当時、舞浜の「ピエール・エルメ」でシェフを務めていたのは、成田一世さん。後に「ロブション」の東京、N.Y.、台湾の店舗でもシェフパティシエを務め、現在は銀座「エスキス」で活躍するパティシエです。お店の状況的に「まずはこいつを育てなければ」と思ってくれたのか、ずいぶん面倒を見ていただきました。本来なら、入ったばかりのパティシエがフランスから来たルセット(※)に触れることはできないでしょうけど、僕には見せてもらえて、「これがあのエルメのルセットかと」(笑)。

※ ルセット・・・お菓子のレシピのこと。

素朴な疑問なんですけど、ルセットはフランス語ですか?

久我氏:
当時はフランス語がまったくわからなかったので、辞書を引きながら読みました。日本にはない素材を使ったお菓子も多く、何もかもが新鮮でしたね。僕はフランスで修業した経験はありませんが、ルセットに必要なフランス語や現地の食材については「ピエール・エルメ」時代に学ぶことができました。

「ピエール・エルメ」の次は「レストラン タテル ヨシノ」(東京・銀座)。「タテルノ ヨシノ」ではシェフパティシエも務め、「ロブション」にお入りになったのは2004年ですね。

久我氏:
僕は もともと“お菓子屋さん”志向なのですが、「ピエール・エルメ」以降は成田さんにくっついて行ったら、期せずしてレストランばかり(笑)。お陰でレストランデザートの経験を積むことができたので、ありがたいんですけどね。

ガストロノミー“ジョエル・ロブション”

お問い合わせ
03-5424-1338 又は03-5424-1347(受付時間10:00~20:00)
アクセス
東京都目黒区三田1-13-1 恵比寿ガーデンプレイス内
各線・恵比寿駅より徒歩8分
営業時間
昼 11:30-14:00(L.O.) ※土日祝 12:00-14:00(L.O.)
夜 18:30-21:30(L.O.)
定休日
施設に準ずる