自分がこれまで経験したこと、日々の活動のすべてが、お菓子という形になって現れる

PATISSERIE AU GRENIER D'OR(オ・グルニエ・ドール)
西原 金蔵

西原金蔵 PATISSERIE AU GRENIER D'OR(オ・グルニエ・ドール)

■覚悟を図るために、タバコをやめた。帰国後は新たなステージへ

帰国のお話をお聞かせください。

西原氏:
まぁ不安でしたね。帰国後の仕事も未定でしたし。これまで自由に好き勝手にしてきたわけですが、当時、結婚しようと決めていた事もありましたから、ちゃんと稼げるようにならなければというプレッシャーがありました。

日本に着陸した瞬間、もうこれは覚悟を決めないといけないと感じました。
そのためにどうしたかというと、タバコをやめようと誓ったんです。私はそれまで、お金がないと言いながらもタバコが止められずに買っていました。

ですから、よし、このタバコをやめられるかで自分の覚悟を図ってやろう。自分と戦ってやろうと。やめることができれば、自分の人生に大きな影響を与えるだろうと思って、帰省した実家で”人生最後の一本”を吸いました。

他人からすれば、「ただタバコをやめただけでしょ」ではあるんですが、私自身としてはとてつもなく大きなことでした。自分に勝つことが出来たわけですから。

それは自分の成功体験としてとても大きな自信になりました。人生を賭けて、自分自身にチャレンジし、達成する。それからは何も怖くないぐらいの自信を持つことが出来ましたから、不安やプレッシャーがあっても「それと戦える」と思える自分になったんです。

日本での再出発にあたり、ご両親とは何かお話をされましたか。

西原氏:
両親には、妻を紹介し、結婚の話をしました。進路については父は自分が元気なうちは好きにしていいよと、納得するまでやってみなさいと、そう言ってもらいました。

引き続き自分の好きな仕事を探求する許可を得ることができたわけです。いまでも本当に感謝しています。

そこからどういった仕事に就かれたのでしょうか。

西原氏:
当時フランスではアラン・シャペル氏という最年少で三つ星とMOFを獲得した稀代のシェフが注目を浴び、マスメディアから何から何まで席巻していたんです。彼は52歳の若さでこの世を去るんですが、フランス料理界に偉大な功績を残した方ですね。

私も憧れて、会ってみたいと思っていたんですが、フランス在住中には実際に会うことはできませんでした。

しかし、1981年に神戸のポートピアホテルの最上階レストランに「アラン・シャペル」の日本支店が出来たということを耳にしていたんです。
ですので、日本に帰国したらそこで働いてみたいというのは頭の片隅にありました。

しかし、帰国後に知り合いからロイヤルホテルの地下でレストランを開くので手伝ってほしいと言われたため、まずはそこでパティシエとして働きました。
1年ほど働いたころ、神戸の「アラン・シャペル」に空きがあるという話を聞いたので、アプローチをかけたのです。

幸運なことに、妻の知り合いや、前職でお世話になった京都グランドホテルのメンバーが従業員として働いていました。
かつてビール運びで可愛がってもらっていた料理長もいらっしゃったので、自分が「アラン・シャペル」でパティシエとして働くのが夢だという話をしたら、ちょうどパティシエを探しているんだ、ぜひ来てくれと、トントン拍子で話が進みました。それが、32歳の頃です。

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■アラン・シャペル氏との出会いが人生を変えた

憧れの「アラン・シャペル」はいかがでしたか。

西原氏:
それが、なんと働き始めて2〜3ヶ月で退職せざるをえない状況になってしまいました。実は会社側の都合で、雇っておくだけの余裕がその時にはなかったとのことでした。まぁ、いまでは考えられないようなことですね。

私としては非常に残念だったのですが、まぁ、仕方がないなと。
それで辞める寸前のことなんですが、アラン・シャペル氏がこのポートピアホテルにきて、食事会のフェアをするという情報が入ってきたんです。

憧れのアラン・シャペル氏が来るのです。どうしてもお会いしたかった私は、そのフェアを終えるまでは居させてくださいとお願いをしました。

その結果、アラン・シャペル氏に会うことができたんですね。

西原氏:
はい。片言とはいえフランス語を話すことができますので、当日はシャペル氏に自分をアピールしようと考えていました。

しかし、壁を作られるというか、当時のフランスは料理人の世界は徒弟制度のような縦社会。なので、私のような下の人間を相手してくれないんです。
しっかり準備をして、決められたコースを再現していたのですが、作っても見てくれない。見ようともしない。

ただ、私が作ったものに対してお客さんがどういう反応、どういう評価をしているのか、そんなところをシャペル氏は見られていたようでした。

そしてその日の夕方です。仕込みに入った時に、なんだか視線を感じるなとそちらを向くと、シャペル氏が立っていました。彼は私に、今日の昼に出したものをすべて試食させろと言うのです。

試食をして次々に「これはダメ、これは良い…」と判別していくんです。それが夕方の4時ぐらい。6時になると次のお客様が来られるのですが、ダメと言われたものは下げて違うものを作りなさいというオーダーを出してきたんです。しかも何を作れという指示はありません。何を作るかは自分で決めろと。

兎にも角にも時間がないので、その時間内でできることをやりました。そしてできたものを見せに行くのですが、たいした反応をしてくれない。

そして、翌日もまた昨晩のお菓子を試食して、同じことをするんです。
今思うと、ここで力量をテストされていたんだと思います。

この後に私がシャペル氏の元で働いた時に思い知ったのですが、時間がない中でいかにパフォーマンスを発揮できるかというのは、とても大事なことなんです。彼は、それを見極めていたんでしょう。

フェアが終了する3日目に、初めてシャペル氏に「ここで働き続けたいんだけれど、実は会社の都合で辞めなければいけない」と身の上話をしました。すると、シャペル氏は「わかった」と、一言それだけ言いました。

次の日のことです。人事部長から連絡がありました。「西原くん、以前受け入れが厳しいという話をしたんだけど、ぜひとも社員になってくれないか」と。

まさに鶴の一声ですね。

西原氏:
シャペル氏の鶴の一声で助けられ、希望の仕事と適正な給与を獲得することが出来たのです。

シャペル氏は年に2回来日してイベントをしていたのですが、シャペル氏に何か報いたいという気持ちがありましたので、イベントで目に見える形で感謝を表現するものを用意したいと思いました。

そこでシャペル氏が来日するイベントにあわせて、半年間かけて飾り菓子を作ったのです。

半年もかけて、ですか!?

西原氏:
そうです。お昼が終わって夕方のサービスが始まるまでの休憩時間は、飾り菓子をつくっていました。
それが、私が最大限できる感謝の表現方法でしたし、技術の研鑽ができたので、自分のためにもなりました。

イベントの日、用意した飾り菓子を見せると、シャペル氏はとても喜んでもらえました。2回目のときの作品はなんとフランスへ持ち帰ると言って頂きました。気軽に持ち運べるものではありませんから、専用のケースに入れて、なんとファーストクラスの席を一つ余分に取ってまで、持って帰られたんです。

それはすごいですね!飾り菓子の技術というのはどこかで習われたわけではないですよね。

西原氏:
独学ですね。フランスの古典料理の書籍がありまして、それを見て、自分の創造を膨らませながら作りました。

そして、この件の後、シャペル氏から「私のもとでフランスで働かないか?」と声をかけてもらうことになったのです。

私はシャペル氏からの見返りを期待していたわけではなく、働き続けることができるように働きかけてくれたその恩に報いたかっただけなんですが……。人に対する感謝の念というものは、不思議と自分にも返ってくるのだとしみじみと感じました。

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