自分がこれまで経験したこと、日々の活動のすべてが、お菓子という形になって現れる

PATISSERIE AU GRENIER D'OR(オ・グルニエ・ドール)
西原 金蔵

西原金蔵 PATISSERIE AU GRENIER D'OR(オ・グルニエ・ドール)

■趣味に全力投球のホテル時代。可愛がられることで道が拓けた

ホテルでの生活はいかがでしたか。

西原氏:
ホテルでは寮にいましたから、給料はすべて趣味のオーディオとカメラに費やしていましたね(笑)
当時のホテルでは、ご飯、お酒、たばこなんかは自分のお金を使わずに済んでいましたから。いまではそんなことありえないですよね。

しかし、当時それだけ無茶苦茶したという経験も、私にとってはかけがえのない経験だったと思います。それだけ夢中になるものを見つけられたのですから。それは素晴らしく幸せなことです。

ペーペーの新人のボーイには、仕事終わりに調理場の人たちが一杯やるお酒を配る仕事があるんです。その時に調理場の料理人たちに可愛がってもらって、調理を教えてもらったりしていました。
大家族で育ち、可愛がられて育ってきたことで培った処世術によって、社会に出てからも可愛がられる存在になれたんじゃないかと思います。それによって、私は人生を拓くことができました。

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■辻静雄氏のフランス料理への熱意とパワーに圧倒され、フランスを目指す

ホテルの次のステップはどのようなものでしたか。

西原氏:
ホテルで3年働いた後、やはり自分としては調理の道を志したいというのがありましたので、次は料理を学ぶために調理師学校に行こうと思いました。でも、趣味に費やしたせいで貯金がなかったので、せっせとアルバイトをして、入学金を貯めました。

在学中も学費を稼ぐために働いていましたから、出席日数が足りずに単位が取れなくて危うく卒業できないところだったんです。担任の先生に「おまえを卒業させるのは大変だったんだぞ」と言われながら卒業証書をいただきました(笑)

調理師学校で一番影響を受けたことはなんですか。

西原氏:
辻調理師専門学校ではたくさんの事を学ばせてもらいましたが、私が一番影響を受けたのは校長である辻静雄先生(※2)です。フランス料理の本物を伝えようとする熱意、パワーに圧倒されたんです。
それで、本格的にフランス料理を学ぶために本場・フランスに行きたいと思いました。
結果として、故郷を出ることに続いて、フランスへ行くことが私の大きな転換期になりました。

※2:辻調理師専門学校創業者。日本にはフランス料理を、世界には日本料理を知らしめた功労者。フランス政府からはMOF(※3),シュバリエ章、オフィシエ章を授与されている。

※3:国家最優秀職人賞(Meilleur Ouvrier de France、MOF)はフランス文化の最も優れた継承者たるにふさわしい高度な技術を持つ職人に授与される賞。

卒業してからすぐに渡仏されたのですか。

西原氏:
いえいえ。まずは半年、日本でアルバイトをして渡仏費を貯めました。

ただ、ホテルでのキャリアがあったものですから、ホテルの中でもVIPだけを相手にする会員制のレストランという、とてもお給料が高いお店で仕事をすることができました。

修業の為に渡仏するということを伝えていたにも関わらず、社員雇用までしてもらい、その間しっかり働き、しっかり稼がせてもらうことが出来ました。
その会員制レストランで働いている時に、シャンソン歌手の福田和三郎氏と知り合うことができました。その方はフランスで活躍されていた方で、私の身の上話をしたら、渡仏したらぜひいらっしゃいとおっしゃっていただけました。

その方を頼る形で渡仏することができたのは本当に心強かったですね。アパートに3週間ほど居候させて頂き、フランスでの生活をスタートさせるサポートをして頂きました。現在の妻に知り合ったのもこの頃です。フランスにも一緒に行きました。

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■下働きを続けたフランスでの生活。現場の技術を盗み見る日々

フランスでの修業はどのようなものでしたか。

西原氏:
フランスには3年程滞在したのですが、最初はサントリーが出資していた日本料理店で買い付けのアルバイトをしました。朝の3時ぐらいに市場に買い出しにいくのですが、そこで見る食材が初めて見るものばかりで新鮮でした。好きなものを買って食べられましたしね(笑)

約1年そこで働いた後は、いくつかフランス料理店を回りました。
あるフランス料理店で働いていたとき、その店にオーナーの孫にあたる15歳ほどの少年がいましてね。私は当時26歳ぐらいでしたが、彼と同じ下仕事を一緒にしていたんです。

そうするとその15歳の彼が、「金蔵、おまえはいまからなにをするんだ。」と聞くんです。言葉もろくにしゃべれない、26にもなった大人が異国の地で自分と同じ下仕事をして、この先どうするんだと心配してくれたんですね。

私といえば、フランスでは全てが新鮮でしたから、自分なりに新たな学びをたくさん吸収していたんです。15歳の彼と皿洗いをしていましたが、間近で興味のあるオードブルなどの調理作業を見ることができ、私としては願ったり叶ったりでした。学校で学んできたことを本場の現場で実際に「見る」ことができたのですから。

ただし、レシピなんかは見せてくれないですし、「これは」という料理に関しては教えてくれない。ですから、毎日どの素材をどうしているか、何グラムなのかをチラ見しながら、一行づつメモしていきました。まるでスパイのように(笑)。

焦りなどはなかったのでしょうか。

西原氏:
もちろんありました。というのは、やはり自由にさせてくれた父の恩に報いたい気持ちや、「いつかは故郷に錦を飾りたい、大成した自分を両親に見せたい」という想いがありました。だから、グズグズしている場合じゃないと思っていました。京都の叔母にも帰国を相当せっつかれていました。

フランスでの生活は自由でした。しがらみもない。一方で、助け舟を出してくれる人もいない。
そんな環境で、なんの計画性もなければだんだん堕落していくという危機感をふつふつと感じていました。

実際、フランスに修業の来ていた日本人でも、何をしにここまできたか分からないような状態になってしまっていた人たちもいたんです。だから、私はこのフランスの地で、必ずなにかを得なければならない、ただ行って帰ってきましたでは絶対に終われない、という強い思いがありましたね。
そんな気持ちで、フランスでの3年間の証をつくりたいと思って参加したのが、コンクールなんです。
運良く銅賞をとることができたのですが、それはそういう危機感があったからだと思います。この受賞は大きな自信になりました。

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