責任の取れない人間に自由はない。自らの名を冠した店を持つことのリアル

西麻布 き久ち
菊池 隆

西麻布き久ち 菊池隆

■目の前のことを一生懸命やり、不安を自信に変えていく

「き久ち」開業は39歳の時。「いずれは自分の店を持ちたい」という思いはずっとあったが、明確なものではなかった。開業準備を始めたのも、最後の修業先を退職してからだ。

独立してもやっていけるかなという自信はいつごろ生まれたんですか?

自信は今もないです(笑)。最後の修業先だけは神谷さんではなく、おつきあいのあった器屋さんの紹介で入ったのですが、先輩や後輩が立て続けに辞めてしまって。僕まで辞めるわけにいかないという状況がしばらく続いたのですが、ようやく落ち着いたかなという時期があったんですね。そこで、そのお店を紹介してくれた方に「そろそろ辞めたいと思っているんです」と話したら、「独立を考えてもいいころじゃない?」と言っていただいて、「そういえば、先輩たちも独立し始めているし、そろそろかな」と。

この物件はご実家のビルですよね。最初からここでと決めていたのですか?

それが違うんです。生まれ育った西麻布で店を持ちたいとは思っていましたが、開業準備を始めた当時ここは事務所として貸していて、候補として考えたこともありませんでした。住宅地で人通りも少ない場所ですし…。

しかし、資金や立地など諸条件に合う物件がなかなか見つからず、先輩のお店を手伝いながら探していた時に両親からここが空くという話を聞きました。ちょうど坪数が条件に合うし、「その手があったか」と。家賃はもちろん払っていますが、いざという時には融通が効きますし、ここはひとつ、素直に助けてもらおうと考えました。物件が決まると、開業まではあっという間でしたね。

流しのお客さんが見込める立地ではありませんから、集客には苦労されたのでは?

ありがたいことに、オープンしてすぐにいくつかの雑誌で取り上げていただいて、ちらほらとお客さんが来てくれるようになったんです。雑誌のイメージを裏切らないようにしなければという思いで頑張っているうちに、少しずつ口コミでお客さんが増えていきました。

初めてミシュラン一ツ星に輝いたのは開店の翌年(2008年)。その後、2010年に二つ星に昇格し、今やミシュランの常連ですね。集客に影響はありましたか?

うちは僕ひとりで店をやっているので日々てんてこ舞いで、ミシュランの影響を考えている余裕がなくて(笑)。ただ、初めて掲載していただいた年と二つ星に昇格した年は確かに忙しかったです。ミシュランに載っただけでお客さんがつくような甘い世界ではありませんが、そんなことでもなければ、うちみたいな小さな店は潰れていたでしょうから、ありがたいと思っています。

お店の先行きに不安がなくなったのはいつごろですか。

いやいや、不安はいつもありますよ。今だって。正直なところ、予約が入らない日だってありますし、いつも崖っぷちです。この先も不安がなくなることはないでしょうね。不安を自信に変えていくためには、目の前の事を一生懸命やるしかない。自信が勝りすぎても天狗になってしまうし、不安ばかりでもマイナス。不安と自信のバランスは重要だと思いますね。

西麻布き久ち 菊池隆

■仕入れ業者との信頼関係なしに店はやっていけない

手間暇をかけて仕込みをし、営業中は休む暇なく立ち働くため、「お客さんがお帰りになった途端、倒れこみそうになります」と菊池氏。予約を取れるのは、ひと晩に3組が限度。食材には妥協をしないため、原価率も高く、時には40%に達することもあるという。「従業員がいないのでなんとか経営できていますが、最近ようやく家賃を滞納せずに済んでいるかなという程度。お金持ちにはなれそうにありません」とひょうひょうとした口ぶりで話す。

えっ! 原価率40%!? それは高すぎるのでは?

ですよね(笑)。もちろん、いつもではありませんよ。でも、八百屋さんや魚屋さんから「いいものが入ったから、どうですか」と提案があると、たいていは断りません。

なんと。

業者さんにはいつも無理を言っていい素材を探してもらっているので、販売のロットがうちの店には少し多いかなという場合も、たいていはもらいます。だから、原価率はどうしても高くなるんです。使い切れそうにない場合、「ほかでもらい手があるなら、調整してもらえませんか」という相談はしますけどね。

持ちつ持たれつ、と。

無理を聞いてもらっているのに、ようやく見つけてくれたものを「これだけしか要らないよ」と言うのは申し訳ない。いつも協力してもらっているのだから、お願いしたことに対する責任というのがあります。業者さんとの信頼関係なしにおいしい料理は作れないし、店はやっていけない。その信頼関係を築くには「自分だけのことを考えない」というのが基本で、多少の痛みを伴うことはあるけれど、長い目で見たら、その信頼関係こそが店を支えてくれると思うんです。

西麻布 き久ち

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日曜、年末年始