「食」は、人との繋がりを生み出す。そこに国境も限界もない。

KIHACHI 創業者
熊谷 喜八
KIHACHI 創業者 熊谷喜八

KIHACHI 創業者 熊谷喜八

■パリに行きたいという一心で飛び込んだ、飲食の世界

現在72歳ということですが、今でも厨房に立たれることはありますか?

熊谷氏:
実は、今はもう、グループを卒業したので、KIHACHIの厨房に立つことは賞味会等イベント時以外あまりないですね。でもいろんな顧問をやっていまして、休みは3ヵ月に1日ぐらいしかない日々を送っております(笑)。

卒業と言いつつも、それは激務ですね…。この世界に入ろうと決めたきっかけを教えてください。

熊谷氏:
小学5年生の時、「翼よ、あれがパリの灯りだ」という映画で、最後に凱旋門が映って…。あの空から見たパリの風景を観てね、あそこに行きたい!と。

その頃私の住んでいた町はまだ家の周りは舗装されていないし、戦後の焼け残った煤けた長屋で、6畳に10人ぐらいで寝ているような暮らしでした。そんな中で映画はまさに”夢の世界”。パリは無防備都市宣言をして、比較的戦火から逃れることができたから、「きれい」が残っている。どうしたらあんな場所にいけるだろうって考えた中の答えの一つが、料理人でした。

たまたま新聞を見ていたら、「帝国ホテルで優秀なコックさんをスイスやフランスに留学させる」みたいな記事があって。

コックさんて何だろう?と思って調べてみたら、なんかうまそうなものを作る人のことだと。じゃあ、うまそうなものが食えるぞ!と思って、15歳の時に家を飛び出したんです(笑)。
…ただ、15歳じゃ採用してくれなかったんですよね。

その頃は、ホテルも本当に少なく数える程でした。街場のレストランも同様の時代でした。だから就職しようと思ってもできなかったんですよ、門前払いで。

それでどうしようもなくなって、ラーメン屋さんで住み込みで働くことになったんです。さらに、親から勘当もされてしまいましたね。

なんと、そうでしたか!ラーメン屋の住み込みがスタートだったんですね。そのあと東急ホテルへ?

熊谷氏:
当時15歳でしょ、身体がまだできていなかったので、ラーメン6杯入りの出前箱を持つだけで大変でした。ラーメン屋で夜中2時、3時まで働いて朝は9時に起きるでしょ。休みは月2回で給料は月5,000円。

あまりにも身体がしんどいので、逃げ出して、今度は日本橋近くの街中の中華料理店に移りました。そこは週休制で、その時にフランス料理の料理人になる夢を捨てきれず、休日の度に働きながら履歴書をもってあっちこっち行ってました。

どこのホテルも門前払いでした。最後の望みの東急ホテルに履歴書持って行った時、ダメだと言われて、なんでダメなんだと聞いてみたんです。そしたら夜勤があるから15歳はダメだと。

だから、12月13日の誕生日にまた行きましてね(笑)。
そうしたら、今度は採用してくれました!
「まかないですよ」って言われたけど、“まかない”って言葉がわからなくて。でも藁をも掴む一心で入社してみたら、ホテル内レストランではなく、社員食堂勤務でした。

その頃、昭和38年ですが、今度はちょうどオリンピック開催が近づき、新しいホテルが沢山建設されたので、コックさんの一部は引き抜かれたり、移ったりしたのでそれで人が足りなくなっちゃって。「スナックのようなところで、コーヒー淹れたり簡単な仕事があるから、お前そこやるか?」という話がきました。そこで初めて、正規のコックさんになりました。

20歳のときには、静岡県湯河原に業務提携してできたホテルがあって、そこでセカンドのポジションまでなることができました。でもそのホテルが1年ぐらいで倒産しちゃいまして…。翌年、総支配人が軽井沢東急ホテルに移動するので私もついて行ったんですそこで恋愛をしましてね。でもやっぱり私的には中卒だというコンプレックスがあり、自信がなかったわけですよ。そうしたら案の定、振られてしまって。すっかり落ち込みましたが、これはもう仕事一筋で、頑張るしかない!と思ったときに、たまたま大使館の話があったんです。

そこから、大使館の料理長になりました。22歳のときですね。

KIHACHI 創業者 熊谷喜八

■大使館で経験した苦しみの限界と発見、そして喜び

急転直下ですね!大使館とはどういった繋がりがあったのですか?

熊谷氏:
東急ホテルの総支配人が元外務省の参事官だったのと、外務省管理の霧友会館を東急ホテルが運営していました。新しく海外に赴任する大使がよく利用する施設なので、その折海外勤務できる料理人の紹介依頼がきます。その一つが私が赴った西アフリカのセネガルでした。

アフリカですからね。公用語が仏語、フランスも近いというだけで、どんなところかわからないまま、行っちゃったんです(笑)。

セネガルは今でこそ世界の危険な地域のひとつに入っていますが、当時はちょうど戦争が終わって20年ぐらい。だからアフリカもね、やっと平和になってきたころだった。ヨーロッパも全世界も、もう戦争なんかしなくていいって。そういう意味では、悪くない時代でした。

セネガルへ行く前からフランス料理をつくることはありましたか?

熊谷氏:
昔のキッチンは厳しく、銀座東急ホテルでは私レベルの料理人では作らせてくれません。ただ、私の場合、地方のホテルにいたので人も少ないので作らせてもらいました。でも昔は完全なフランス料理じゃないんですよ。メニュー名も「チキン・アラ・キング」とか。チキンが英語、アラがフランス語でキングが英語ですから、ごちゃ混ぜです。そういう時代でしたね。まだ、正統なフランス料理になっていなかった。でも日本人の料理人の技術は本当に優れていると思います。本当においしい。コンソメ、ビーフシチュー等々ありました。

その頃は、有名ホテルのシェフがフランスに研修に行く時代。行ってもせいぜい3ヵ月ぐらい。あっちのホテルで1週間、こっちのホテルで2週間とかね。その間にフランス料理をの本場の感覚を体感するのです。

現地で調理を仕事として「稼ぐ」ことができるようになったのは、我々の時代からなんじゃないかな。シェフの井上 旭さんとか、鉄人の石鍋 裕さん、鎌田さん、上柿元さん、髙橋さんとか、きらめく星がいっぱい出始める時代ですね。

KIHACHI 青山本店 内装

大使館はどれくらいの期間勤められたのですか?

熊谷氏:
1969年~1972年までです。

…ただ、そのころは辛かった。生きているのも辛くて何度も岸壁に立ちました。で、結局、うつ病になっちゃったんですよね。

それは話す相手がいなかったから、それとも料理に関して?

熊谷氏:
全部。自分のチカラ不足ですね。勉強はするけど、知識だけで作るわけですから。お金も無かったので、レストランに行き、ちゃんとしたフルコースを食べたことがない人間が、フルコースを作る…。ホテルで習った料理しか出せないわけで、応用ができないのです。

さらに大使の奥さんが、そこにコレを追加してというわけですよ。だから、最初に予定している以外のものを途中に入れるから、最後まで食べきれないんですよね。怒られるんですけど、どう直していいかもわからない。

言葉も不自由していました。セネガルは公用語がフランス語なんですよ。英語はできないし、フランス語もできない。現地の言葉もできなくて。おまけに私は東京の下町育ちですから、べらんめえ調の江戸言葉しか話してこなかったせいで、丁寧な日本語もうまく話せない(笑)。

大使館で電話に出ろって言われて、その電話を大使の奥さんが聞いていて、後で呼ばれて「その口のきき方はなんだ!」って怒られました。

材料の調達も課題でした。
1968年にフランスでゼネスト(※ゼネラルストライキ)が起きて。セネガルはほとんど外国の援助で成り立っていたから、市場の野菜でも何でも全部国外のものだったんです。ただでさえ、外国から入ってくるから高いのに、それが全部ストップ。干からびたジャガイモとかキャベツしかなかった。その様な食材環境の中で色々な要望に応えないといけないのです。

大使は昼間は洋食を食べるんですけど、夜は和食か中華なんですよね。豆腐が食べたいとか、ウナギが食べたいとか。素材が違うものでも代替えしながらなんとか作っていました。

日本から、セネガルに視察に来た方々は公邸に招かれると、みんな、日本食を食べたいっていうんですよ。だから、できるだけ自分で調達しました。伊勢エビなんかはもう一生分ぐらい食べましたね。岸壁の下で潜ればいっぱいいたから。マグロは防波堤から釣れるんだもん。

市場には冷蔵庫がないから、鮮度の良いものがなく、仕方ないので夕方にその釣りや漁をしているところに行って、釣り上げるのを待つんです。釣り上げたらそれをその場で買う。伊勢エビだろうが何だろうが、一匹100円とか200円とか。自分でもよく海に潜りましたけど、下が見えないぐらいいるんですよ!

10年位前にNHKテレビの取材でそこに行ったんですけどね、魚いないんですよ。獲りつくされちゃったんでしょうね。
セネガルの後、モロッコの大使館にも勤め始めた頃、地元モロッコの市場に行ったらタコを見つけたんです。三井物産の知人に話したらモロッコの沿岸にタコがいっぱいいた!ものすごく獲れたみたいです。

だから今、タコも獲れなくなっちゃった。モーリタニア産のタコって言ったら、あれ私ですから、情報源(笑)。

KIHACHI 外観

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