当たり前を当たり前にやり遂げてこそ、次のステップが見えてくる

L'ATELIER de Joël Robuchon(ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション)
関谷 健一朗

■「好きなことをしたい」と料理の道を歩む

料理の道に進もうと思ったきっかけは何でしょうか?

関谷氏:
子どものころから料理には興味がありましたが、それは母の影響が強いと思っています。僕の母は料理が好きな人で、よくおいしいものを作ってくれたんです。台所で料理をしている姿を見るのは好きでしたね。

実際に料理の道を選んだのは、高校3年の、進路を決めるときです。僕の通っていた学校は大学附属の高校でしたが、当時の僕は大学へ行く理由が見い出せなかったんです。4年間を目的なくダラダラと過ごすくらいなら、自分の好きなこと、興味があることを勉強したいなと。そう考えて、じゃあ好きなことは何だろうと思ったときに「料理」という道が見えました。それで、大学へは行かず、料理の専門学校へ進学しました。

料理の専門学校へ1年通ったそうですが、卒業後はどうされたのですか?

関谷氏:
東京の専門学校で1年間勉強したあと、千葉の浦安にあるホテルに就職しました。配属されたのは宴会の部署だったので、婚礼のお客様がたくさんいらっしゃって、婚礼料理や大皿料理などを経験しました。そうした日々の中、1年ちょっと経ったときに、生意気ながらも「違うことをやりたいぞ」という思いがわきあがってきて。

そもそも、僕はフランス料理を作りたくて料理人になったので、こうしたホテルでの仕事と僕のイメージにギャップがあったんです。そうした思いは強くなる一方で、休みを10日ほどもらってフランスに旅行に行きました。

初めて目にする本場フランスは、いかがでしたか?

関谷氏:
フランスで料理を勉強してくるぞ!といった強い野望があったわけではなく、違うものを見てみたいという軽い気持ちだったんですが、本場のものはやはり衝撃的で、刺激的でした。パリだけでなく、リヨンなどの地方も回りましたが、観光はたいしてせず、憧れの店に行くなど、食べるためだけの旅でしたね。
先日、惜しくも他界されたポール・ボキューズさんに初めてお会いしたのもこの時です。

この休暇で、なおさらフランス料理への思いは強まり、「フランスに行きたい」「フランスに行くぞ」と強く思うようになりました。結果的に、この旅がフランスに渡ることを決意させるきっかけになったと思います。

フランスから帰ってきてからは、どう過ごしましたか?

関谷氏:
旅行から帰ってきてからホテルを辞めるまでは、心ここにあらずの日々で、「どうしたらいいんだろう」「どうしたら行けるんだろう」とばかり考えていましたね。でも、働きながらフランスに行くための準備をすることは、実際問題できないことがわかったんです。語学だけでなく、ビザの申請さえも。ビザが通ったらすぐに行かなくてはいけないですからね。

辞めない限りは準備が進まない。そうはいっても、当時まだ20歳。行きたいという思いはあるものの、金銭面の問題もありますし、いろいろまだ揺れていて。結局、決心してホテルを辞めるまでには、1年半ほどかかりました。

フランスに行くためにどんな準備をしましたか?

関谷氏:
ホテルを辞めてからフランスに行くまでは4か月くらい期間があったんですが、この間に勉強したのは語学です。東京のお茶の水にある「アテネ・フランセ」で、3か月の特訓コースに通いました。

本当にその名の通り「特訓」で、月・水・金の朝から夕方まで授業があって、予習復習しないとついていけないレベル。鏡を持参して口の開け方や舌の位置、発音まで習いました。このとき、大げさじゃなく、人生で一番勉強をしましたね。でも、2か月でついていけなくなって。挫折して、最後の1か月は登校拒否となってしまいました。それでも、すごく身について、はるかに読み書きが上達しましたね。自分でもそこそこいけるなと思うくらい。

この期間で語学を身につけていなかったら、きっとフランスに長くいられなかったですし、ましてやフランス人を部下に持つ立場にもなれなかったと、強く思います。

■フランスに渡ってからの8年半は実力で勝負だった

フランスに渡ってからは、どのようにして仕事を見つけたのですか?

関谷氏:
仕事は向こうに渡ってから、憧れの店に履歴書を送ったり、手紙を書いたり、電話をかけたりして、自力で働き口を見つけていきました。

求人情報が載った雑誌のようなものもありますが、たいていは直談判です。履歴書と自分の思いを書いた手紙を添えて。僕ら外国人だけでなく、フランス人もたぶんそうやっていると思いますよ。

そうすると、たいてい「いついつに来てください」と返信がきます。そこで面接を受けるという流れです。
配属されるポジションは、たいていは店の都合です。希望は伝えますが、そのときどきで空いたところのポジションに配属されることがほとんどです。

フランスに渡って3年くらいの間で、3~4店舗は渡り歩きましたね。こうした店では、食材ひとつとっても、日本で見ていたものとは大きさや味だけでなく、食材自体の性質も違いますし、使ったことのない食材もたくさんあって、刺激的でした。

パリの「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」で働くことになったのは、どのようなきっかけからですか?

関谷氏:
フランスに渡ってから3年くらい経って、次の店を見つけようと、いろいろな店に履歴書を送っていたんです。その中のひとつが「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」でした。当時のシェフと面接をして、採用されたことが始まりです。

実は、僕がそれまでの間で働いてきた店は、幸運にも世界的評価を受けているところばかりで。だから、履歴書を送ってもいい返事をもらえることが多かったんです。このときも、ロブション以外に、5店舗くらいから採用通知をもらっていました。

ロブションに決めたのは、僕の経歴を一番評価してくれて、このシェフのもとで働きたいと思ったからです。ちょうどロブションがラトリエというスタイルのレストランで一つ星を取ったばかりで勢いもありましたし。

このとき僕は25歳。魚の部門シェフ(魚料理の責任者)としての採用でした。


写真:店舗提供

その後、わずか1年。弱冠26歳でスーシェフに抜てきされましたね?

関谷氏:
「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」で選ばれる条件は、年齢やキャリア、働いた年数ではありません。実力でしかないんです。ロブションは現場をよく見ていて、その人がしている仕事をしっかり評価してくれます。

認められるためには、与えられた仕事を確実にこなし、言われたことを忠実にやる。これが部門シェフの責務です。

チームの教育ができるか、ほかのセクションとの調整ができるかが、さらに一歩上のポジションです。そういったことも見てくれていたのだろうと思います。

スーシェフになってからは、どのように勤めましたか?

関谷氏:
「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」は海外にも店舗があるので、シェフが店にいないこともあります。そうなると、そのときのトップは僕になるわけで。責任は大きかったですね。

パリの店で現場にいるシェフが日本人って、正直けっこう大変なんですよ。日本でいうと、銀座や京都にある一流料亭の料理長がフランス人というのと同じですから。当然のことながら、「大丈夫か?」と思われます。それを思わせない仕事をしなければいけないと思って取り組みましたね。

これは料理だけでなく、部下に対しても同じです。彼らにしてみれば日本人の上司が自分たちの国の料理を作り、指示をするわけですから。日本人にできるのかという不安やねたみは当然ありました。

だから、そうしたことに負けないだけのものは必要で、それは実力でしかありませんでした。料理の実力は当たり前ですが、言うことを聞かせなければならないので、コミュニケーション能力も重要です。日本で身につけた語学力が役に立ったとこのとき痛感しましたね。たかが2か月、されど2か月です(笑)。

L'ATELIER de Joël Robuchon(ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション)

お問い合わせ
03-5772-7500
アクセス
東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ ヒルサイド 2F
東京メトロ日比谷線 六本木駅 徒歩0分(コンコースにて直結)
都営地下鉄大江戸線 六本木駅・麻布十番駅 徒歩4分
東京メトロ南北線 麻布十番駅 徒歩7分
営業時間
ランチ12:00~14:00
ディナー18:00~21:00
定休日
六本木ヒルズの休みに準ずる