目標に向かって強い信念と行動力で突き詰めていくAUTODIDACTE(独学者)

Restaurant La FinS(レストラン ラ フィネス)
杉本 敬三

■8歳から独学で料理人修業を始め、中学時代には製菓も習得

料理人になりたいと思い始めたのは、いつ頃だったのですか?

杉本氏:
もともと母親が料理好きで、人を招いて料理をふるまうような家庭だったので、小学1年生くらいから一緒に台所に立って野菜の下処理などの手伝いをしていました。料理人になろうと意識したのは、小学生3年生の時。

当時、「先生、あのね」という先生との交換日記のような作文で、将来は料理人になりたいといったようなことを書いたら、ある大きな作文コンクールで賞をとったんです。同時期に「そんなに料理人になりたいなら」と、父親が包丁と砥石のセットを買ってくれ、本気で技術を習得しようと自覚が芽生えました。

小学3年生で本格的な包丁と砥石を扱っていたとは、すごいですね。その頃からプロの技術を意識していたのですか?

杉本氏:
そうですね。母親に教わりながらの独学で、野菜のむき方や魚のさばき方を始め、基本的な調理技術は小学校卒業までにはひととおり習得できていたと思います。家の食事もよく作っていましたし、この時期、かなり集中して技術を磨きました。

実家は京都の福知山市にあるのですが、近所の和食店や菓子屋に見学に行ったり、包丁の使い方を教えてもらったり、当時から研修のようなこともさせてもらっていました。

中学に入るとお菓子づくりに転向して、こちらものめり込みました。一時は数学者になりたいと思ったほど理数系が好きで得意だったので、数学と科学で解明しながら、大量生産もできるという製菓特有の世界が非常に面白かったんです。

お菓子づくりも独学ですか?

杉本氏:
僕自身、料理に関してもお菓子に関しても特定の師匠を持たない「オトディダクト(独学者)」と表現しています。それは、本から学んだり、研修で教わったことでも、自分の中で一から考え直してオリジナリティな表現を作り出すようなイメージです。昔から、納得できるまでとことん突き詰めていく性格なので、手本となるレシピがあっても、単純に真似て自分らしさを加えていくようなことはできないんです。

たとえばシュー生地の場合、グルテンと水分と油脂の関係を把握していれば、柔らかくふんわりとした生地、目が詰まった固めの生地、細かな蜘蛛の巣を張ったような生地、しっとりとした生地など、レシピ計算と技術によっていかようにも作ることができます。

とくにお菓子づくりは数値化できる部分が多いので把握しやすく、ほとんどの洋菓子は材料を量らずに作れるようになりました。今もデザートは僕が作っていますが、そのベースは、すべて中学時代に習得したことなんです。

■フランス料理に焦点を絞り、料理研修と学業を両立

高校生になって、料理から離れようと思った時期もあったそうですね。

杉本氏:
高校に入学した時、サッカーの国体選手に選ばれていたので、いったん料理もお菓子も全部忘れて、サッカーに本気で取り組もうと思ったのです。ところが5月の健康診断の心電図検査で心臓病が見つかって、2年くらいスポーツ禁止になってしまって。今はもう完治して大丈夫なんですが、それならやっぱり料理をやろうと切り替えまして、今度こそ本格的に料理の世界に入りました。

フランス料理にジャンルを絞ったのもこの時期ですか?

杉本氏:
そうですね。いろいろなジャンルの店で外食したなかで、もっとも「すごい!」と感動したのがフランス料理だったのです。高校時代は地元のフランス料理店でアルバイトをしながらお金を貯め、週末は京都市内や大阪まで出て、食べ歩きをしていました。

1990年代半ばの当時、フランス料理店を紹介する情報誌やガイド本もいろいろありましたから、情報には事欠かなかったんです。そのなかで、おいしいと思ったお店にお願いして、夏休みや冬休みなど長期の休みには研修をさせてもらっていました。

高校生でも調理場で働かせてもらえたのですか?

杉本氏:
もちろんです。今でも学生の研修なんて期待されていないことが多いと思うのですが、僕の場合は違っていました。この時期、料理本もたくさん買い込んで勉強していたので、フランス語の料理用語は全部頭の中に入っていましたし、基本的な調理技術は習得していたので、自分で言うのも何ですが「即戦力で役に立つ」と、すごく喜んでもらえていたんです。

しかも小学生の頃からいろいろなお店で研修させてもらっていたので、掃除や洗い物も驚かれるほど早く、完璧にこなしていたんですよ。今でもお世話になった研修先に挨拶に行くと、「敬三ほど、洗い物が早くて得意なヤツはいない」と言ってもらえるほど(笑)。それはそれで、嬉しいことですね。

洗い物をそこまで褒められる料理人も珍しいかもしれません。優秀な研修生だったのですね。料理コンクールに出場されたり、イベントも開催するなど精力的に活動されていたそうですね。

杉本氏:
正式名称は忘れてしまったのですが、クッキング選手権だったか料理の甲子園のようなコンクールに3年連続で出場しました。2年生のときは全国優勝もさせてもらい、地元ではちょっとした有名人だったんですよ。地元の新聞やテレビの取材も受けていたので、町で買物をしてると知り合いのおばちゃんから「けいちゃん、テレビ見たわよ~」なんて、声をかけてもらったり(笑)。

そんな感じだったので、高校1年の秋くらいから不定期で自主的に開いたレストランイベントも反響がありました。イベント内容は、地元の喫茶店を借り切った10人限定の完全予約制のレストラン。

これが自分自身を「オトディダクト」と呼ぶ真骨頂といえるかもしれません。とにかく自分の料理が好きで好きで仕方なくて(苦笑)、すべて一人で料理を考えて1人1万円のコースを組み立てていました。

当時、見よう見まねで書いたフランス語のメニューは、今見ると間違いもあるのですが、「白子のフリット」とか「フォワグラのソテー オレンジ風味」とか、けっこう本格的なフランス料理を作っていたんですよ。

デザートは10種類くらいのケーキを用意して食べ放題にして……余った分は持ち帰れるように箱と保冷剤を用意したり、そういったことまで考えるのも、皆さんが喜んでくださる姿を見るのも、とても楽しかったことを覚えています。このイベントは卒業までに10回ほど開きましたが、毎回満席で大好評でした。

中学、高校の頃から、既に本格的なキャリアをスタートさせているという印象です。高校卒業後は、東京の調理師学校に進学されましたね。

杉本氏:
大阪の辻調理師専門学校グループで、西洋料理に特化した「エコール 辻」に1年間通いました。ただ、この時期にもできるだけ外のお店で研修したかったので、あえて大阪でなく東京の学校に通いました。誰にも知られていない方が一からの勉強をやりやすいですし。正直、学校の授業は退屈でしたけど、通うからには遅刻したり休みをとることもなく、きちんと出席しました。

高校時代の知り合いのつてを頼って、まず訪ねたのが千代田区一番町にあった洋菓子店「レブリー」でした。オーナーの美ノ谷靖夫シェフは、実はM.O.F(フランス国家最優秀職人章)を受章されるほどのすごい方で、「君はフランス料理を勉強したいんだろ?どこで研修したい?」とおっしゃってくださったのです。

それで思い切って、挙げた店名が三田の「コート・ドール」。コート・ドールの斉須政雄シェフと言えば、フランス料理を志す人なら誰もが憧れる存在。絶対無理だと思ったのですが、美ノ谷シェフはすぐに斉須シェフに連絡して話を通してくれて、驚きましたね。

それで4月後半から7月くらいまで、約3ヵ月通い、その後は麹町の「味館トライアングル」と市ヶ谷の「ル・マンジュ・トゥー」でも研修させていただきました。それぞれ個性の強いベテランシェフばかりで、いろいろな意味で勉強になりましたね。

学校卒業後、すぐに渡仏したのも研修先のシェフたちの影響ですか?

杉本氏:
そうとも言えます。研修先の大ベテランである、美ノ谷シェフや斉須シェフ、谷シェフなどが「敬三をこれからどうするか?」と会談を持ってくれました。

「敬三はすでに7、8年修業を積んだ料理人と同じくらいのキャリアがあるから、年功序列の日本にいるのは良くない。それよりも、実力主義のフランスで修業した方がいい」と、真剣に僕の将来を考えてくれたんです。

だから、僕もそのつもりでいました。ところが、実家の両親は大反対。10代の息子が一人で外国に行くのは心配だったのだと思います。

最後には恐れ多いことですが、美ノ谷シェフがわざわざ福知山市の実家まで来て、頭を下げてくださいました。「この子はフランスに行かなければ駄目です。将来は日本を背負って立つような人間になりますから」とまで言っていただいて……。それで両親の了解を得ることができ、卒業式を待たずに3月初めにはフランスへ渡りました。

Restaurant La FinS(レストラン ラ フィネス)

お問い合わせ
03-6721-5484
アクセス
東京都港区新橋4-9-1 新橋プラザビルB1
JR新橋駅(烏森口)から徒歩5分
営業時間
土曜 12:00~16:00(L.O.12:30)
18:00~24:00(L.O.19:30)
定休日
日・月曜