目標に向かって強い信念と行動力で突き詰めていくAUTODIDACTE(独学者)

Restaurant La FinS(レストラン ラ フィネス)
杉本 敬三

杉本敬三 Restaurant La FinS(レストラン ラ フィネス)

■19歳で単身渡仏。実力主義の社会で頭角を現し、23歳の若さでシェフに就く

それから12年間もフランスに滞在されたのですよね。

杉本氏:
最初は研修生ビザで、1年目はロワール地方のビストロのような店に入りました。日本でもそれなりに厳しい店で研修してきたので、どんな店でも大丈夫だと自分では思っていたんですけど、想像以上に大変でした(苦笑)。

シェフは自分のミスは全部僕のせいにするし、ちょっと暴力的で、反抗しようにもフランス語でまくしたてられると何がなんだかわからない。しかも厨房はシェフと研修生の僕2人だけという最悪な環境。暇な日も多くて店の雰囲気も暗めで、これでは全然面白くないなぁと思うようになっていました。

ただ、観光地だったので11月に入ると週末3日営業になり、休みの日に高校時代と同じようなレストランイベントを自宅で開き始めたんです。それがまた楽しくてね。

自宅の前にあったバーで知り合った人に声をかけて、4人限定で1500円とか2000円くらいの料金から始めました。皆が「すごくおいしいよ」って言ってくれるのが嬉しくて、最終的には店よりも忙しくなってしまったくらいです。

地元で繋がりができてくると、どうも自分の働く店のシェフの評判は芳しくないことがわかって。近隣の人には「敬三は好きだけど、俺は行かないよ!」といわれたりしてね(苦笑)。契約更新のタイミングで店を移ることにしました。

その後は、別の店に?

杉本氏:
今度はとにかく勢いのある店で働きたいと思い、冬のバカンスの間、各地で食べ歩きをして探して見つけた「メゾン・ド・ラ・ロゼール」に移りました。南仏のモンペリエにあったレストランで、今は店名が変わっています。

南仏はスタッフもお客さまも陽気ですし、今度は充実した毎日でした。満席が途切れないような店だったので、常に忙しく、いろいろな仕事を考えながらやれるだけやらせてもらえたのです。すると、すぐにオードブルのシェフになり、2年目には二番手のシェフになっていました。

まさしく実力主義の世界だったわけですね。

完全にそうですね。フランスでは、やる気があって仕事ができれば、どんどん上のポジションに上がっていきます。オードブルのシェフになってからも、毎日シェフより早めに店に入って、自分の仕事はほとんど終わらせていました。

そのぶん手があくので、魚や肉の部門を手伝ったり、病気や退職などで急に欠員が出た部門をサポートしていたので、シェフにとってはかなり便利な研修生だったと思います。

また、この時期には実力派の肉職人がいる精肉店に頼み込んで研修させてもらい、肉の扱いやさばき方もしっかり学びました。2年くらい経った頃、先に辞めた同僚が「ロワール地方の一つ星レストランで、肉部門のシェフを探している。敬三ならできるから、おいでよ」と誘ってくれたのが「オーベルジュ・ドゥ・ボン・ラ・ブレール」。
ここでは、入店2年目にはシェフとなり、労働ビザも取得することができました。

渡仏3年目でシェフに就任。決め手は何だったのでしょうか?

フランスのシェフは調理技術以上に管理職の能力が求められるんです。僕はもともと計算が好きで在庫管理が得意だったので、食材の在庫を店で一番把握していたことが大きかったと思います。

オーナーから急に「30人の団体が入ったけど、何が出せる?」と聞かれると誰よりも早く即答していましたし、メニュー考案からアイデアを出したりもしていましたし、シェフの仕事の一端も担っていました。だからオーナーから「シェフをやるか?」と聞かれた時も、即座に「できます」と答えました。

僕の中では、職人というのは15年で一つの区切りがありました。自分は8歳くらいから料理修業を始めて23歳でシェフになりたいという考えもあったのです。だから、それが叶ったことはすごく嬉しかったですね。

杉本敬三 Restaurant La FinS(レストラン ラ フィネス)

■誰にも負けない技術を身につけたことが、シェフの自信につながる

外国人で20代前半の若いシェフ。周囲からの風あたりも強かったのでは?

杉本氏:
厨房で働いていた15人の中で2番目に若かったので、日本の職場ではありえないことでしょうね。

いざトップの立場になると、下から上がってこようとする人間がケンカを売ってくるのがすごくよくわかるんですよ。日本みたいに「上司を敬う」なんて感覚はフランス人にはないですから。「お前は何ができるんだ?」と。

でも、そんな環境でも何も不安はありませんでした。だって、肉も魚もデザートも、すべての部門において、技術は誰にも負けない自信がありましたから。とにかく彼らを言いくるめるというか、積極的に自分の技術を教えるように努めました。

フランス人と働いていて、つくづく面白いなと感じたのが、自分のためになると納得できれば、すごく謙虚になるところ。彼らは「プライドが高い」とよく言われますが、それは相手に対して勝てる自信があるからなんです。だけど、勝てないと認めた瞬間に、すごくリスペクトしてくれるんですよね。

合理的な考え方なんですね。そうしたスタッフを束ねるコツはあったんでしょうか?

ブルゴーニュ地方・ヴェズレーの三つ星レストランだった「エスペランス」でバカンス中のシェフの代理を務めたときに、こんなことがありました。どうも僕のことが気に食わない料理人が、偉そうにあれこれと言ってくるんです。

そこで彼が肉をさばいている時に「遅いよ。もっと早くしろ」とケンカを売りました。で、いったんみんなを集めて、スタッフ全員の前で、どちらが早く、きれいに肉をさばけるか勝負をすると宣言しました。

結果、もちろん僕が勝ちました。これ一発で、皆の見方が変わります。

調理技術を勝負事にするとは、料理漫画のようですね。大胆な展開です。

杉本氏:
日本人だと負けた方は嫉妬したり、意固地になりがちですが、フランス人の場合は違うんです。勝負が終わった瞬間、「ちょっと今夜、一杯飲もうよ」とか誘ってくる。で、飲みながら「あれはどこで勉強したんだ?」「どうすれば、習得できる?」といったことを矢継ぎ早に聞いてくるんですよ。

僕より年齢もかなり上なのに、素直に負けを認めて、そのうえで自分を高めようとする姿勢は偉いと思いませんか?そんなフランス人の気質が、僕はすごく好きでしたね。

その後、帰国するまで地方のレストランでシェフを務めたそうですが、パリへの進出は考えなかったのですか?

杉本氏:
パリのレストランからも何度かオファーはいただきましたが、「メニューに寿司も入れて」とか「牛肉にワサビを添えよう」とか、オーナーから日本の要素を入れたメニューを希望されることが多くて(苦笑)。

僕は自分が考えたメニューで「これ、本当に日本人が考えたの?」とフランス人に言われるような料理を作りたいと思っていたので、それは違うなと。

だからパリにはこだわらず、自分の料理が作れる職場を探して選んでいました。ボン・ラ・ブレールでは計4年働き、その後、リモージュのレストランに1年半ほど、最後にアルザス地方の「オーヴェルジュ・ドゥ・シュナンブール」で3年間シェフを務め、独立のために帰国しました。12年間のフランス生活の終焉です。

Restaurant La FinS(レストラン ラ フィネス)内観

Restaurant La FinS(レストラン ラ フィネス)

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