■地元で愛されるレストランとなったキーポイントとは
フランスでお店を持つことはフランスに渡航した最初の頃から視野にあったのですか。
田中氏:
はい。本当は25歳でお店を持ちたかったのですが、お金が足りず断念しました。「情熱はお金で潰される」と実感しましたね。フランスに来て現在の妻のマリーヌと出会ってからは彼女が貯金をしてくれて起業準備ができました。お金のことは彼女がしっかり管理してくれているので、私は今のお店の売上も知らないくらいです。今のところは結果が出ているので、細かなことを彼女が私に言う事はありません。値段についても、購買についても、一切口出しをしないでいてくれています。
この店はフランス市内で移転したのですが、「ラシーヌ」が最初の場所にあった時の常連さんが、移転先を紹介してくれた現在の大家さんです。現在のレストランのある場所は、オープン前は一切レストランなどではなかった場所で、壁などを壊して工事して今のようにしました。当然営業権の売買もなく、家賃だけの支払いです。思い通りの店にするために、椅子・テーブルのサイズは全て何センチなのかまで指定して特注しました。床材もコルク樫で足に負担がかからないようにしています。オープンしたばかりなので、今後は庭なども改装したいです。内装も、カーテンをつけて静かにするとか、様々なアイデアはあります。少しずつですね。
将来はいつかワイン畑の中心に移転したいです。今よりも少ない客席数で、欠点のない完璧に近いレストランを作りたいです。
星の維持にプレッシャーを感じることはありますか。
田中氏:
ミシュランの星をプレッシャーに感じることはありません。ちゃんと仕事をしているという自信があります。
自分は三つ星や二つ星(レストラン)で働いたことがあるので、それらがどういうものかがわかります。それらのレストランは決してずば抜けて飛び抜けているわけではありません。
席数も多いところが多いですから、料理もとにかく出さないといけません。多少の妥協がでてしまうこともあります。一つのプロセスを失敗すれば60皿全て作り直しになってしまいますから。
店名の由来はなんでしょう。
田中氏:
シャンパーニュの様々な造り手と話していた時に、根が大事だという話になりました。私とマリーヌを起点として、レストランに来てくださったお客様がいい時間を過ごし、このお店のことを他の人にお話ししてくれ、それが話題になって根がはって広がるように店の評判が成長していくといいな、と思い、そのイメージで「ラシーヌ(根を意味するフランス語)」と名付けました。
なぜシャンパーニュ地方のランス市を選ばれたのですか。
田中氏:
妻のマリーヌの家族がランス市内にバーを経営していたので、クリスマスにランス市を訪れた際にこの地のポテンシャルに気付いたのがきっかけです。シャンパーニュの産地として名高く、世界中の方々が訪れる。しかも、パリからも近く、電車で45分で来れるところにあります。そこが強みです。
ディナーの予約が取りにくいレストランとしても知られていますね。お店には、どういったお客様がお越しになるのでしょうか。
田中氏:
「ラシーヌ」のランチの予約は通常1か月、ディナーの予約は通常1ヶ月半から2ヶ月待ちです。シャンパーニュ生産者やランス近郊の地元の方、パリや世界各国の常連さんでいつも満席になっています。大体半数のお客様が、外国人の方です。遠くの常連の方々が1年に2回訪れてくれます。そういった方々は来店時に必ず次回の予約をして帰ってくれます。コースメニューが変わる3週間毎に年に14回来てくださる常連さんもいます。リピート率は高く、半分ほどは再訪くださる方々です。シャンパーニュの生産者さんがご紹介してくれることも多いですね。予約がこのように常時埋まるのは、ランスの街はクラシックな料理の店が多いことも影響しているようです。
お店の常連でもある大家さんやランス市内や近郊の皆様との関係がすごく良いのですね。
田中氏:
大家さんにはよくしていただいています。近所の騒音があったらすぐに解決してくださりますし、店の前で行われるランス市による道路工事は店の営業日でない日のみにしてくれています。心強いです。
シャンパーニュの生産者さんからお客様をご紹介いただく事が多いですし、ランス市からはメダルを授与しました。このメダルをランス市からいただいたのは、ミシュラン三つ星の「ラシエット・シャンプノワーズ(L’Assiette Champenoise)」、二つ星の「レ・クレイエール」と私の店「ラシーヌ」だけです。
また店から車で40分のところにハーブの畑を持っているのですが、店の営業が休みの日は畑仕事もしています。これも地元の方からお申し出をいただいて借りられたものです。
■経営者としてスタッフに伝えていることとは。また、これからの展望
現在のお店の体制はどのようになっていますか。また、今後はお店をどうしていきたいですか。
田中氏:
キッチンは日本人4名、サービスはフランス人3名です。キッチンでは小さい細かい作業が多いので、日本人の方が続いていますね。
現在は客数を15名としています。この物件は十分広いので、大家さんは当然のように30名から40名入れるものと思っていたようです。私は最初から15名と想定していましたから、「それはないよ」という話をしましたね。
今後は客数を12名まで下げて、一皿一皿のレベルを上げて欠点のないレストランにしたいと思います。そのためにキッチンの人員数は1名増やすかもしれません。
私の料理は手数(てかず)が多いです。一皿盛るのに5分ほどかかる皿もあります。肉の皿はただ単に4番目の一皿という風に考えていて、フレンチの前菜、魚、肉、というルールにとらわれる必要はないと考えています。将来的にはその順番にはこだわらないでいこうと思っています。
人材の採用はどのようにしていますか。また、採用時にはどういうことに気をつけていますか。
田中氏:
採用は募集広告をネット上に出したりですが、地方は本当に採用が大変です。
「やる気があり自分に勝てる人」を求めています。何をやるにしても絶対に選択肢を迫られます。自分の中で弱みを出すと妥協してしまうのです。だから自分に勝てる人を求めます。たとえ今はそうではなくても、そういう人になれるように私が育てます。
スタッフの方々にいつも仰っていることは何でしょう。
田中氏:
「一番大事な人に提供するための料理だと考えてほしい」と言っています。サービス中のキッチンはしんと静まり返っています。会話はありません。私はスタッフに仕事を急かすことはなく、盛り付けではじっくり時間を使ってもらいます。例えば15皿作ることがあっても、一皿を一人の人に作ると想像して、自分の一番大事な人の最後の料理だと思って作りなさいと言っています。それを逆算したらいいものがでるはずなのです。何をするにしても自分との戦いです。最後まで丁寧な仕事で綺麗に仕上げて出してあげること。そうして出来上がったものを通じてキッチンの様子がお客様に伝わるので。
若い料理人さんへのメッセージをお願いします。
田中氏:
自分に勝つことです。諦めることは誰でもできます。自分に勝てば必然と料理の完成度も上がっていきます。面白いと思ってもらえるように、人と違うことをしたら良いと思います。そうすると協力してくださる方が現れます。
将来の展望はどのように描いていますか。
田中氏:
まだわからないです。2022年までには二つ星が取れたらいいなと思っています。いまと同じペースでいつまで仕事をし続けられるかは未知数です。体力的には45歳になっても同じようにできるかなという不安はあります。もしかしたら料理人をやめるなど、大きく方向転換するかもしれません(笑)。
今のところ、2022年までは体がもちますから全力疾走しようと思います。キッチンから離れることは絶対にないです。
(聞き手:石黒陽子、文:石黒陽子、写真:Pierre-Olivier)