鉄人からの学びを、自分の言葉で伝えていく

szechwan restaurant 陳(スーツァン・レストラン・チン)
井上 和豊

szechwan restaurant 陳(スーツァン・レストラン・チン)井上 和豊

オープニングスタッフとして入られてからずっと、このお店で働かれてるんですよね。入社当時はどんな状況でしたか?

井上氏:
お店はオープン景気ですごく忙しかったです。がむしゃらに付いて行くのが精一杯で正直1年目の記憶は殆どありません。

というのは、僕は1年間専門学校に通いましたが、一緒に入社した同期は2年間学校に行ってから入ってきていたので、知識や技術が僕よりずっと上だったんです。
だから僕は一番下の小僧という感じでした。入った時点で同期2人の方が戦力的に上で、前線に行かせてもらえ、僕はちょっと下がったポジションでしたね。「お前は良いよ、どうせわからないだろう」みたいな扱いでした。それですごく悔しい思いをしたことだけは覚えています。そんな環境下の中、疎外感ですぐ辞めたいと思ったんです。それで働き始めて2ヶ月くらいで親に辞めたいことを伝えてみたところ、意外とすんなり「良いよ、帰って来なよ」と言われたのです。それが逆に「ダメだな」と思え、踏みとどまることができました。

そんなスタートから、現在若くして料理長を務められるまでになっているわけですが、最初の転機は何だったのですか?

井上氏:
辞めるのを思いとどまって少し頑張っていたら、『チューボーですよ!』という番組の「未来の巨匠」という若手が出るコーナーのオファーがウチのお店に来たんです。それで、誰が出るか選抜しようとなって、僕を含めた若手6人くらいで春巻を誰が一番速くキレイに巻けるかの勝負をしたんです。そしたら僕が勝っちゃって。テレビに出ることになったんです(笑)。

それは、入社してどのくらいのときですか?

井上氏:
1年経っていない頃ですね。最初の格付けが全てではなく、自分で努力すれば何かしら結果に繋がるんだなということを実感しました。

テレビに顔と名前が出ると、親や友達から「すごいね!」って連絡が来て、単純に嬉しかったです。

実際に結果を出して、お店の中での立ち位置は変わりましたか?

井上氏:
『チューボーですよ!』だけでは大きく変わらなかったですね(笑)。ただ、入社2年目のときに、中国料理協会が主宰している40歳以下のコンクールに出たんです。
当時の料理長が、40歳以下の社員は全員出場して来い、お店をPRして来いというので、僕の同期は全員デザート部門に出ることにしました。

料理長がそれぞれアドバイスしてくれたのですが、僕の作品はあまりに突拍子もないものだったようで「お前のは直せないからそのまま出せ」と言われて出したんです。
そうしたら予選1位で通過してしまって、全国から10人ほどしか選ばれない決勝に行くことができたんです。それをきっかけに、お店の中でも「板」の仕事を飛ばして、同期や先輩を追い抜いて前菜の仕事に上げてもらえました。

まだ20歳くらいだったんですよね?他に、お店から予選を通過した人はいたのですか?

井上氏:
大会は全部で5部門ありましたが、決勝に行けたのは僕を含めて7人です。決勝での結果は3位の銅賞だったのですが、40歳くらいの人もいらっしゃる中で、20歳の僕が一緒になって競い合うことができたのは、すごくプラスになりました。それが僕の中での転機ですね。

szechwan restaurant 陳 井上 和豊

決勝で色んな人と触れ合う中で、どういった点が刺激になりましたか?

井上氏:
当時は自分の会社のことしか知りませんでしたが、他のお店の人たちの考えに触れられたのは大きかったです。また周りの方より僕は若かったので、全国の先輩方に褒めてもらえ、本当に可愛がってもらいました。
ただお店では調子に乗ってしまい、その流れで事故に遭いました。

え!そうなのですか!?

井上氏:
はい、バイクの事故でした。手は大丈夫だったのですが脚を骨折してしまい、半年近くお店を休むことになりました。神様が調子に乗るなと言っていたんだと思います。無事に戻ってくることはできましたが、当然ポジションは下げられました。すごく反省しました。

それでも本当にありがたいことに、休んでいた半年間もお給料をいただけていたんです。それにはすごく感謝しましたし、お店のために一歩ずつやっていこうという想いが強くなりました。

修業時代にお世話になった方で、印象的な先輩はいらっしゃいますか?

井上氏:
新人時代から16年お世話になり、現在は独立された菰田欣也さんですね。料理人としても人間としても、全てのことを教えてもらって本当に恩を感じています。

もちろんたくさん怒られましたが、普通、怒った側と怒られた側って気まずい空気になるじゃないですか。菰田さんはそれがない人だったんですよ。めちゃくちゃ怒ったのに、2~3分後には普通に話しかけてくるんです。さっきの怒りのテンションは何だったの?と困惑しました(笑)。

でもそのくらいメリハリをつけて、ダメなものはダメときちんと言うことの大事さを学びましたね。しかも菰田さんは言う相手を選ばないんです。側近の人間だろうが、一番下の若手だろうが、誰にでも言うんですよ。

役職のある人だからって、少しの注意で済ませるのではなく、全員に全力で怒る。そういうのはすごく大事だなと思って、自分がそういう立場になった今、それを心がけています。

それって、気持ちが強くないとできないことですよね。

井上氏:
そうなんですよ。怒った後のテンションをきちんと鎮められる自制心が必要だと思います。

他にも、菰田さんからは料理に向かう姿勢も学びました。菰田さんはただ料理を作るだけでなく、お客さんに合わせてケースバイケースでアレンジされます。

「この人は辛いのが苦手だから、同じ料理でも辛さを少し控えよう」などというように、常にお客さんを見ています。自分のエゴで料理を作っていなくて、お客さんに寄り添っているんです。

記憶力もすごく良くて、話したことがないお客さんのことも、「あの人、前にあそこの席で〇〇を食べていたよね」と覚えています。そうした料理長としての姿を、今頑張って目指してやっています。

szechwan restaurant 陳(スーツァン・レストラン・チン)井上 和豊

■RED U-35への挑戦を通して身に付けたプレゼンテーション力

井上さんは、その後もさまざまな賞にチャレンジされていますよね。その中でも「RED U-35」に挑戦されたのは、ご自身の中でどんなテーマがあったのですか?

井上氏:
RED U-35(※1)に挑戦したのは、もっと自分の名前を売らなきゃいけないと思ったからです。弊社のグループには、『料理の鉄人』に出ていた陳建一をはじめ、三代目の建太郎や先ほど話した菰田さんなど、メディアに出て、料理もトークも得意とされている大先輩がいます。そんな中で、自分も埋もれている料理人で終わってはいけないなと。

自分の名前は自分で売る努力をしなくてはいけないと思っていました。そういう意味で、RED U-35は名前を出してくれるので、そこから広がって知名度が上がればとの狙いがありました。

RED U-35は最初に決勝に行けたコンクールで、全国の人たちと出会えた喜びが、僕の中で今でもずっと消えていません。それ以来、出られるコンクールには全てチャレンジするようにしています。

※1:RED U-35
新時代の若き才能を発掘する日本最大級の料理人コンペティション「RED U-35 (RYORININ’s EMERGING DREAM)」
RED U-35についての詳細はこちら

上を目指してご自身の名前を売ることで、グループの戦力になりたいというお気持ちがあったのですね。

井上氏:
そうですね。またRED U-35はオールジャンルで戦えるという点が魅力的でした。他にもそういうコンクールはあるのですが、RED U-35と比べれば規模が小さいので、あまりメディアに取り上げられないんです。
RED U-35は規模が大きいので本当は第1回目から興味はあったのですが、実は応募用紙を取り寄せたときに、課題に驚きました。「論文を書くの?」と怖気づきいたのです。しかも締め切りまでの期間が短く、悩んでいるうちに終わってしまいました。結局第2回目も見送ってしまいました。

料理は考えられますが、言葉を紡ぎ出すということはそれまで全くやってこなかったからです。普通の料理コンクールでは、せいぜい料理に対する自分の考えを書く程度なのですが、RED U-35の論文は今まで考えたこともない表題を与えられるので、なかなか文章で自分の意見を伝えることはハードルが高かったです。

なぜ第3回で「やってみよう」と思われたのですか?

井上氏:
第3回の際に、中国料理協会の脇屋さんに直接声をかけていただいて、「じゃあ本腰を据えてやってみよう」となったんです。そうしたらシルバーまでいけたんです!

RED U-35は、勝ち進んでいくために参加者同士で勉強会を行いました。敵同士なのですが、フレンチやイタリアンなど、別のジャンルの色々な料理人と集まって学ぶ時間をもらえ、「これはすごい。今まで全然こういう機会はなかった。」とワクワクしました。仕事が終わった後に集まるので、夜遅くの勉強会です。おのずと自分の身は削るのですが、すごく楽しくて、他ではない経験ができましたね。そこでの繋がりは今でも僕にとって宝です。

RED U-35に出たことで目線が広くなりましたし、人生が変わりました。

そのときの人たちと、今でも交流があるんですか?

井上氏:
あります。去年、自分が料理長になった就任イベントをこのお店で企画したときも、RED U-35で知り合った料理人とコラボしました。

また、京都の「吉兆」で働いている、19歳で決勝まで行った子と一緒に仕事をする機会があったのですが、その子からすごく印象に残る言葉をもらいました。

僕が「なぜ吉兆にしたの?」と聞いたら、「人で選びました。自分は料理に憧れて料理をやりたいのに、人間関係で揉めて辞めるのは、すごくもったいないなと思ったので」と言うんですよ。

19歳でそれを考えてるとはすごいなと思いました。確かに、料理の技術やお店の雰囲気で「何か違う」と思うのは仕方のないことかもしれませんが、居る人間の個性で「この人にはついて行けない」と理由で辞めるのは、本当にもったいないんですよね。

料理の世界は厳しいイメージもあり、辞めてしまう人もいると思います。井上さんは今料理長として、どのように若手に接していますか?

井上氏:
嫌になったら「もう行きたくない」って逃げてしまう子も多いのです。それはもったいないので、「そうはしないでくれ」と話しています。中国料理の世界は広いし、この店が絶対ではないよと。違うと思ったら相談してくれたら、紹介できるお店もいっぱいあるからと言っています。“人”という問題だけで辞めてほしくないですね。

またそれとは逆に僕に憧れて入ってくれる子もいるので、それは大事にしたいです。僕自身は、最初に入ったこの店で良い先輩に恵まれてきたので、教えてもらったことを若い子に伝えていきたいです。ちなみに、この2年ほどでウチの店に入ってきた子たちは1人も辞めていません。それは僕の中ですごく自信になっています。

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