Foodion │ 一流シェフ・料理人のプロフェッショナル論。

料理人とは、2時間で人を幸せにできる、最高の職業

麻布 かどわき
門脇 俊哉
東京・麻布十番の裏通りに静かに佇む日本料理店「かどわき」。トリュフやフォアグラといった贅沢な食材も取り入れた記憶に残る料理で食通たちをうならせ、長年の常連客には各界の著名人も多い。珍しい食材を使った料理は目先の新しさはあるが、飽きやすいと言われる。しかし、同店が何度もお客に足を運ばせるのは、独創性のある料理を「奇をてらった料理」にしない確かな技術があるからだろう。店主の門脇俊哉氏は19歳から「築地 植むら」、「海燕亭」などで修業後、40歳で独立。日本料理の世界の王道を歩んできた門脇氏がなぜ独立し、現在の「かどわき」をいかにして築いたのだろうか。

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■師匠の友人・道場六三郎氏の姿を見て「一流」への憧れが芽生えた

もともとは経理スタッフとして日本料理店に就職されたとか?

門脇氏:
そうなんですよ。実家が北海道で寿司店をやっていたんですけどね。「将来的に店を大きくしていきたいからマネジメントを学んでこい」と親に言われ、経理の専門学校を卒業後に六本木の「越」という高級割烹に就職したんです。こう見えて、簿記1級の資格も持っているんですよ。

 

そうなんですね!初めは、料理の世界に入ろうとは考えなかったんですか?

門脇氏:
親の姿を見て、「立ち仕事で大変そうだな」と思っていましたからね。若かったですし、華やかな世界に憧れ、店舗プロデュースなるものをやってみたいなんて考えていたわけです。ところが、いざ「越」に就職したら、「マネジメントをするには、まず現場を知らないと。騙されたと思って、3カ月間現場を手伝ってほしい」と言われたんです。確かにマネジメントには労働条件や食材の管理といった現場の状況を把握することが大事ですよね。筋の通った話だと納得して、3カ月限りのつもりで現場に入ったら、まさに騙されて…(笑)。

 

料理人としての資質を見込まれたのでしょうね。

門脇氏:
どうでしょうか。最初の3カ月はおつかいや掃除など下働きがほとんどで、料理なんて一切していないんです。ただ、子どものころから家業を手伝い、母から「仕事は手早く、要領よくやらないと」と言い聞かされていたので、教わったことをいかに早くやるかを考えて工夫をしていました。その姿を料理長が見ていてくれましてね。3カ月目に「お前には料理の才能があるから、試しにもう1年やってみてはどうか」と。僕も少しその気になりまして、「1年やってみて引き返してもまだ20歳だし」と考えて包丁を握ることから始めたところ、1年たったころには3年修業した人と同程度の仕事を任せてもらえるようになりました。

 

それで、ご自分でも「この世界でやっていけるんじゃないか」と?

門脇氏:
そうなんです。ただ、やはり現代的で華やかな職業に憧れるところはあって、心が決まってはいなかった。そんなときに師匠(「越」で顧問を務めていた茂木福一郎氏)の友人の道場六三郎さんが店を訪ねていらっしゃいましてね。道場さんの「ろくさん亭」は当時すでに押しも押されぬ名店でした。真っ赤なベンツで乗りつけて、垢抜けた装いで師匠に「元気?」と声をかける姿が、なんともかっこよく見えましてね。「東京で一流になるというのはこういうことなんだ。自分も一流を目指したい」と目標がぽんとできて、真剣に料理に取り組み始めたんです。

 

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■「つきじ植むら」料理長を経て「エスカイヤクラブ」で修業。店舗経営も学んだ

六本木「越」で2年修行した後、「つきじ植むら」へ。本店の料理長・茂木福一郎氏のもとで修業した後、27歳で西日暮里店の料理長に就任した。

 

初めて料理長を務めていかがでしたか?

門脇氏:
大きな壁を感じました。二番手時代は師匠の考えをみんなに伝えて、目的を遂行するのが僕の仕事でしたが、料理長になったら、自分の考えを伝えなければいけない。それまでいかに自分が師匠に甘えてきたかを知りました。料理長になるときに師匠にこう言われたんです。「料理長になったら、人間修養が一番大事。20代は技術を学ぶ時期だが、30代は学んだものをどう組み合わせて自分のものにしていくかが問われる。そこには人それぞれの器量があり、いかに自分を鍛えていくかで40代に差がつく」と。料理長として人に指示を出す立場になって、その言葉の重みを実感しました。

 

その後、29歳で「エスカイヤクラブ」へ。ポジションは料理長ではなかったのですよね。料理長の職を辞めてまでお入りになったのはなぜだったのですか?

門脇氏:
「エスカイヤクラブ」は高級会員制クラブのはしりで、総理長は帝国ホテルの「なだ万」で料理長として腕を振るい、道場六三郎先生の兄弟弟子でもある山本敏雄先生(現・日本全職業調理師協会会長)。1980年後半当時、最先端の日本料理を出す店でした。また、運営母体の大和実業(現・ダイワエクシード)は「エスカイヤクラブ」のほか「やぐら茶屋」「アジアンキッチン」などの店舗の全国チェーン展開で大成功し、外食産業界をリードする会社として注目されていました。「つきじ植むら」では昔ながらの料亭での仕事を学べたので、次は新しいスタイルの店で修業して料理人としての経験に厚みを持たせたいと思ったんです。

 

仕事のスタイルは違いましたか?

門脇氏:
そうですね。「つきじ植むら」では月の売り上げが料理長に知らされる程度で料理人が店舗経営に携わることはあまりありませんでした。ところが、「エスカイヤクラブ」では料理人も数字を意識することが当然とされていました。二番手以上には売り上げ管理表や仕入管理表といった財務諸表がまわってきて、数字の管理も求められるんです。このとき初めて、専門学校で学んだ経理の知識が役立ちました。財務諸表を読み込んでいたら、同僚から「お前、なんでそんなのがわかるんだ?」と驚かれたものです。外食産業大手で店舗経営とは何かを学べたおかげで、後に東天紅系列の「海燕亭」の料理長を務めたり、独立をする時にも戸惑うことが少なかったように思います。

麻布 かどわき

お問い合わせ
03-5772-2553
アクセス
東京都港区麻布十番2-7-2
地下鉄麻布十番駅
営業時間
18:00-1:00(L.O.23:00 ※土曜 22:00)
定休日
日曜、祝日、ゴールデンウィーク、8月中旬、年末年始

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