レシピ通りでも同じ料理は生まれない、そこにプロの仕事がある。

京料理 本家たん熊
栗栖 純一

■白紙の時に、いかに良いものに触れるかが料理人人生を決める。

幼い頃から後継ぎという目を向けられていたと思いますが、4代目としての道を選ばれたきっかけは?

栗栖氏:
実は、父親から商売を継ぐように強制されたことは一度もないんです。小さい頃から芸術に興味があって、油絵も嗜んでいましたし、高校・大学では軽音サークルに所属してキーボードを担当。写真を撮るのも好きでした。自分の志向と照らし合わせて、将来はクリエイトする仕事がしたいと思っていました。いざ就職活動を迎え真剣に考えた時、ひょっとしてその一番の近道は、家業を継ぐことではないかと気付いたんです。

「継ぐからにはちゃんと勉強しなさい」と父から諭され、大学4回生から調理師学校の夜間コースで基礎を習得。大学卒業後も半年ほど通いながら、午前中の空き時間は取引先の鮮魚店でアルバイトをしました。その店の店主がとても指南上手な方で、下処理や三枚おろしを学ぶ中で料理の面白さに目覚め始めたんです。

大学卒業後に、本格的に料理の世界へ進まれたわけですね。最初の修業はどちらのお店で?

栗栖氏:
東京の「柿傳」という表千家流の茶懐石のお店です。

「白紙の時に、いかに良いものに触れるかが料理人人生を決める」という父の教えもあり、最初の修業先は、まじりっけのない日本料理の店に行きたかった。今は西洋のテイストを融合させたり、創作性が高かったりするものが多いでしょう。茶懐石は究極に削ぎ落とした世界なので、最初の修業先として理想的だと考えました。

「柿傳」は、茶懐石の出張料理専門の店なので、店で仕込みを済ませて、お茶席に出向いて料理をするわけです。いわゆる仕出しの最高峰。料亭や割烹のように調理したものをすぐ出すスタイルとは違って、防腐や崩れない調理法・盛り付けを意識した、「仕出し屋のノウハウ」を学べたのは、後に非常に生きてきました。

料理の仕方も変わってくるんですか。

栗栖氏:
出汁のひき方から違いますよね。仕出しの場合は、冷めてもしっかり味が出るように濃厚にとるんです。具体的にいえば、昆布を強めにきかせます。鰹は香りの要素が強いんですが、時間が経つとぼやけてしまう。昆布をしっかりとっていれば、味がぼやけず、きっちり旨みを感じてもらえるんです。

■立ち振る舞いや相手への気遣いも学べた修業時代。

仕出し料理特有の技法を知ることで、細かなさじ加減の感覚を身につけられたのですね。

栗栖氏:
日本料理のスタンダードを学べたことは、今の自信と励みになっています。出張先では茶道具に触れる機会もあり、うつわ選びや空間演出など取り合わせの美学も面白く、お茶の世界にのめり込むきっかけにもなりました。

またお茶席では、身だしなみや物音について、料亭の調理場で料理をするより何倍も気を使う世界ですから、相手に配慮する力もずいぶん鍛えられました。

例えば、火をおこすための炭を持っていくのですが、入りたての頃、その場で炭をカンカンと割ってしまったことがあって…お茶の先生に「そういうのは割ってもってくるものですよ」と諭されて。客商売をする上での基本的な立ち振る舞い、気遣いの基礎を学べたと思っています。

何より「柿傳」で恵まれていたのが、私ともう一人の先輩以外は全員50代以上の大ベテランだったこと。複数のお茶席が重なった時に、それぞれの部隊で長となる方が必要なため、大将合わせて4名の先輩方が、それぞれに料理長をはれる実力をお持ちの方だったのです。

厳しい先輩方でしたが、一方で調味料の配合など惜しみなく教えてくださる方ばかりでした。師匠が味見もさせてくれないなんて話はこの世界ではよく聞きますが、「せっかく修業に来たのだから」と調理場の影でこっそり試食用の料理を用意してくださることもありました。

とても恵まれたフォーメーションの中で、修業時代を過ごされたのですね。

栗栖氏:
もちろん、個人の流儀が明確だからこその苦労もあって。例えば、胡麻白和えを作るのも先輩ごとに技法が異なるんです。擂り潰した豆腐を裏濾して、すり胡麻と合わせるまでは同じで、その後、クリーミーにするために胡麻の殻もしっかり裏濾す先輩と、ざっくりした粗い食感をあえてそのまま残す先輩がいて。

どの先輩と一緒にいくかで、自分のやり方を変えないといけませんから気を使いました。間違えれば、「それ、○○のやり方じゃないか」と叱られてしまいます。でも今思えば、こうした環境の中で、いろんな技法を吸収できたのはとてもありがたいことでした。

■惜しげもなく伝授してくれた料理のノウハウが、大きな財産に。

先輩方の個々の味を必死に覚えたことで、この技法ならこの味や舌触りになる、といった研究を重ねることができたと。

栗栖氏:
そうですね。今はいろいろと面白くて革新的な料理技法が出てきますよね。それに比べると古典的な料理はありふれて一見つまらないように見えます。けれど、そのありふれた料理の奥には、とてもストイックな世界があると思っているんです。

飾り立てた今風の料理は、珍しくてしばらくはもてはやされると思いますが、長く愛される店は、やはり「味」で勝負している。「柿傳」の先輩方が惜しげもなく、ノウハウを伝授してくださったのは、私にとって大きな財産になっています。

そこで3年ほど修業されて「たん熊」に戻ってこられたわけですが、戻られる時期は、お父さまと約束を?

栗栖氏:
きっかけは、「柿傳」とのご縁を繋いでくださった茶道の師匠・菅田宗匠が傘寿の茶事をされるということで、その手伝いで戻ったことです。父が体調を崩したのもありますが、「柿傳」では焼場まで任せてもらえたのと、これ以上どっぷり浸かると色が付き過ぎてしまうというのもあり、26、27歳ぐらいの時に戻って板場につきました。

家業を継ぐ上で、苦労されている方は多いですが。

栗栖氏:
私が幸せだったのは、修業先の流儀と実家の流儀がぴったり合致していたことです。

茶懐石は、小細工せず、削ぎ落としたそのままの料理。「たん熊」も、もとはカウンター割烹から始まり、博識で舌の肥えたお客さまを相手にしておりましたから、お品書きに鯛や真名鰹など魚の名前だけが書いてあって、「今日はいい鯛が入った」となればまずはお造りを出して、頭はアラ炊きにしたり、お客さまの要求に応じてその場でお作りする。良い意味で手をかけない、飾らないスタイルです。

京都弁でそのまんまのことを「もんも」というのですが、「たん熊」は素材を素直に生かしたもんも料理を大事にしてきました。その点、流儀の違いの葛藤に悩まされることはなかったので、良いところに修業に行かせてもらったなぁと思っています。

ただ、やはり「たん熊」にいた、既存の職人さんとの人間関係作りは正直難しいところもありました。技術を習得していた焼場から入ったので、若い料理人からしたら面白くなかったでしょうし、また当時の料理長が私と年齢が近く、変に張り合ってしまったと言いますか。

当時を思うと、幼稚で若かったし、お互い未熟だったのだと思います。戻って1年ぐらい…まだ私が20代の頃でしたが、その料理長と一緒にスタッフの大半が辞めてしまい、その時は立て直すのに苦労しましたし、お客様からもたくさんお叱りをいただきました。

でもそこで励みになったのは、修業時代にストイックに学んだ日本料理の基礎。その絶対的な自信が、自分を奮い立たせてくれたのだと思います。

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