料理のジャンルに拘らず、自分の料理と融合させ昇華させる

TRB Forbidden City(テンプルレストラン北京紫禁城)
張 成(ザン チェン)

西安から北京、生きる術として選んだ料理人への道

あなたのシェフとしてのキャリアはどのようにしてスタートしましたか?その始まりについて教えてください。

張氏:
私は、もともと中国西安の出身です。私の母はとても料理が上手で、幼いころから私は多くの影響を受けていました。家族は4人兄弟であるため、母親はいつもたくさんの料理を作ってくれました。進路を決めるとき、私はもっと技術を身に付けて、プロとして仕事がしたいと思ったので、料理の道を選びました。

シェフとして働き始めたのは、成都にある四川省調理高等専科学校で調理法を専攻している頃でした。それは高校卒業してから3年間のプログラムでした。

当時、私は中国料理と西洋料理の両方を学び、中国料理の中から四川、広東、山東の料理法に注目しました。(中国の伝統的な料理法は、安徽、広東、福建、江蘇、山東、四川、そして長春の8つに分かれます。)

この3つを選んだのは、中国料理の中でも最も主流なものだからです。3年間のプログラムが終了すると、中国東北部の長春にあるホテルレストランで1年間、その地方の基本的な料理法について学ぶ機会に恵まれました。

1年後の2003年、私は北京へと移りました。そして2005年にはあるスペイン料理店で働き始め、バルセロナの料理、特にバスク地方の料理について多くを学びました。このレストランはその後閉店したため、店の料理長が就職先として「Maison Boulud(メゾン・ブールー) 」を紹介してくれました。

料理人としての持ち味と視点を大きく成長させてくれた「Maison Boulud」時代

「Maison Boulud」で2008年から働き始めたんですね。その時のことについて教えていただけますか?

張氏:
北京にレストランがオープンした時、私は開業メンバーの一人でした。「Maison Boulud」での経験が私にとって重要なものになることをその時すでに確信していました。

「Maison Boulud」が第一号店をオープンした当時、そのような高級料理店はとても珍しい存在だったのです。
そこで働いたことで、その後1年半ニューヨークの「Daniel(ダニエル)」(※2)で働く機会にも恵まれました。 「Maison Boulud」は世界中から集まる素晴らしい才能であふれていました。その間に、2011年にはシンガポールにオープンした「Daniel Boulud’s db Bistro & Oyster Bar」のサポートもしていました。シンガポールで3ヶ月、開業メンバーのトレーニングに携わりました。

※2:「Daniel(ダニエル)」ニューヨークの三つ星フレンチレストラン。ニューヨークで最も予約が難しいお店と名高い名店。

「Maison Boulud」での経験は私の持ち味と視点を大きく成長させてくれました。多くの新しい食材に触れ、キッチンでの仕事の仕方についても学ぶことが山ほどありました。「Daniel」ではキッチン全体の運営にも関わってきましたし、高級レストランのキッチンでの基本的な仕事の流れや運営を分かっていると、それは他の店に行っても応用することが可能です。それが私の何よりの強みになりました。

がむしゃらに働いたニューヨーク時代、ミシュランレストランから学んだもの

ニューヨークの「Daniel」で一年間過ごしましたとのことですが、北京からニューヨークへ移った経験はどのようなものでしたか?カルチャー・ショックはありましたか?

張氏:
以前にも国際色豊かなキッチンで働いたことはありましたから、そんなに悪いものではありませんでした。ニューヨークには妻も一緒に行ったんです。そして、そこで子どもも授かりました。もうその子が3歳になります!私はいつも忙しくしていましたが、家族の支えがありましたから、異国の地で感じる寂しさもあまりありませんでした。

カルチャーショックに関しては、ライフスタイルの差は確かにありましたが、中国人コミュニティのサポートもあったため、ニューヨークのライフスタイルになんとか馴染むことができました。それから、教会にもよく行きました。教会で知り合った方に家探しまで手伝ってもらいました。ただ、ニューヨークでの日々が非常に忙しかったため、プライベートをなかなかゆっくり楽しめなかったです。

また、仕事での強いプレッシャーもありました。常に自分を奮い立たせなければいけませんでした。油断や一瞬の諦めでそのポジションを失うことになりますから。毎日昼の12時に店に到着し、夜中の1時、2時まで働いていました。1日15時間働いたこともありました。そんな忙しい毎日を支えてくれたのが家族でした。

キッチンには、私の他にもアジア出身のシェフがいたので、たったひとりの外国人という訳ではありませんでした。彼らのほとんどはニューヨークのCIA(※3)を卒業したばかりでした。見たこともなかった新たな食材を使ったり、様々な経歴を持つ仲間と刺激し合うことで、本当に多くのことを学ぶことが出来たと思っています。

※3:カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ (The Culinary Institute Of America)
アメリカ合衆国に本部を置く料理学校。世界最高レベルのプロフェッショナルな料理学校として米国一権威のある料理学校として知られる。

キッチンでの公用語は何でしたか?あなたの英語は少しフランスなまりがあるようですが、それは仕事の影響ですか?

張氏:
私は大学時代に英語を学びました。そして、キッチンではフランス人シェフと何年も共にしてきましたから、そのせいかもしれませんね。「TRB」では、英語と中国語の両方を使ってコミュニケーションをとっています。

「Daniel Boulud」のもとで働くのはどうでしたか?当時の様子を話していただけますか?

張氏:
私は英名のJFKを付けてもらいました!今では全てにおいてその名前を使っています。店のオープニングに際して、すべてのスタッフに効率の良い仕事の流れを明確にし、スムーズにするため、ダニエルは全員にあだ名を付けました。私にはJFKが選ばれました。JFKはダニエルのニューヨーク店の料理長でした。その後、本物のJFK料理長が北京を訪れた時初めて本人に会うことができたのですが、とても気さくでいい人でした。

昔のアメリカの大統領(ジョン・F・ケネディ)とは関係なかったんですね!

張氏:
残念ながら、大統領とはまったく関係ありません(笑)

TRB Forbidden City(テンプルレストラン北京紫禁城)

お問い合わせ
+86 10 6401 6676
アクセス
中国北京市東城区東華門大街95号
---
営業時間
ランチ:11:30-14:30 (月‐金)
ブランチ:11:30-15:00 (土-日)
ディナー:17:30-22:00 (月-日)
定休日
無休