食を通して、喜びの輪を広げる。 起点は「人」であり、すべてはそこから始まる

神楽坂 石かわ
石川 秀樹

神楽坂 石かわ 石川秀樹

■「自分の味」の構築。カウンターでの客との対面接客が契機に。師匠から教わったことを全て封印した時代

「神谷」の次は、埼玉・志木のビジネルホテルへ。ホテルに新たに食事処が作られることになり、料理長として呼ばれたのだ。ホテルは駅裏の人通りの少ない場所にあり、店は20席ほどの規模だった。

初めて料理長を経験されたんですね。いかがでしたか?

石川氏:
もともとは朝食だけを出していたこぢんまりしたスペースを使って昼と夜も営業する食事処を作りたいということで呼ばれましてね。最初は自分なら、苦もなくできると思っていたんですよ。「神谷」の煮方というのは一般的な店の料理長よりもキャリアとして価値があると周囲に言われて鼻が高くなっていましたから。ところが、いざ着任してみると、店の運営から料理のメニューまですべてに自分で決断を下さなければいけない。それまでとは勝手が違いました。

お店は繁盛しましたか?

石川氏:
もう、これが、イヤになるほど来てもらえないんですよ。600円のランチにすらお客さんに来てもらえないんです。駅前でビラを配っても、受け取ってくれる人は少なくてね。キャンディーをビラにつけたらどうだろうなんて、工夫をしたりしました。この時期は、経営書なんかもたくさん読みました。

そんな調子でしたが、オーナーに相談して少し原価をかけさせてもらって「都内で食べるよりも、リーズナブルにおいしいものが食べられますよ」と打ち出すうちに徐々に結果が出ましてね。そこそこ評判の店になったんです。

素晴らしいですね。ホテルにはどのくらいの期間いらしたんですか?

石川氏:
2年くらいですかね。お世話になった親方が大舞台の店に行くということで急遽助っ人に呼ばれ、その後35歳の時に八重洲の割烹「岡ざき」の料理長になりました。40席ほどの店でした。ここも最初は暇でしたが、「このくらいの規模の店を繁盛させられなかったら、この先何をやってもうまくいかない」と思って、目の前のことをコツコツやっていました。

料理のことももちろんですが、休みの日に出勤して汚れたカウンターをカンナで削ったり…。徐々に社長から信頼されて、料理以外もいろいろ任せてもらえたのでありがたかったですね。カウンターに出たのも初めてだったので、勉強になりました。

カウンターはお客さんの生の声が聞けますよね。

石川氏:
そうなんです。いろいろと教えていただいたり、反応を見て、メニューを作り直したり、新しく作ったりして。料理長として店の味のすべてを決断することへの責任感も大きかったですね。埼玉のホテル時代もそうでしたが、自分の料理って何だろうというのを模索した時期でした。

それまでは師匠に教わったことを忠実にやっていて、調味料の配合にしても師匠とほとんど同じだったんですね。でも、自分が本当においしいと思う味は何かを追求するようになると、なぜこの配合なんだろうという疑問が自然に出てきて。

そのために、過去の技を封印した。師匠に習ったことを一度封じて、醤油や塩の銘柄を吟味することから自分の味を構築していきました。

「石かわ」の味の礎を築かれた時期だったんですね。お客さんの反応はどうでしたか?

石川氏:
調味料を工夫したり、素材の構成もほかではないことをどんどんやってみると、よきにせよ悪しきにせよ何らかの反応がありました。それを見てまた次を作るということを繰り返すうちに「おいしかった」と満足して帰ってくださるお客さんが増えましてね。入った時は月商200万円くらいでしたが、最終的には600万円近くになりました。

神楽坂 石かわ

■神楽坂で独立。お客さんが入らず、不安に震えた独立当初。スタッフや業者さんの存在がありがたかった

「岡ざき」から一緒に働いていた小泉功二氏(現・「虎白」料理長)とともに「石かわ」をオープンしたのは38歳の時。「岡ざき」時代から独立は意識しており、店の構想について小泉氏と語り合っては夢を膨らませていたという。

独立に踏み切ったきっかけは?

石川氏:
料理長という立場になってずっと自分の料理とは、自分の味とはと苦しいくらい考えてきて、ある程度納得できるものを見つけられたというのが大きかったですね。ちょうどそのころに「岡ざき」の経営者が変わるという話が出て、節目かなと考えて独立させてもらったんです。

神楽坂に店を出したのは何かゆかりが?

石川氏:
器が好きで、休日にたまに行くギャラリーがあったのですが、そこで知り合って意気投合したの年配の男性が、引退した設計士さんだった。その方が「俺が設計してやるよ」と物件まで探してくれたんです。

私が伝えた条件は「15坪くらいで、土地の名前に力のある場所」ということ。そこで見つけてくれたのが、現在「虎白」を営業している旧「石かわ」の物件で。「神楽坂」というのは、名前にも力がありました。

開業にあたって不安はありましたか?

石川氏:
不安よりも希望の方が大きかったです。ほかにはないおいしい料理と、本物の器。すっきりしていながら温かみのある空間をとイメージをして、「こういう店なら、絶対にお客さんに喜ばれる。流行らないはずがない」と自信を持っていました。いけるイメージしかない(笑)。

……ところが、来ないんですよ、お客さんが。夕方から深夜まで店を開けていて、お客さんがいる時間はほんのわずか。それでもひとり、ふたりは来てくれていたのに、開業1カ月後くらいに3日間誰もこなかったんです。

なんと、3日間ボウズですか!精神的につらかったでしょうね。

石川氏:
もう、しびれますよ(笑)。今でこそ笑って話せますが、当時は震えが来て仕事が手につかない状態でした。銀行の融資を受けるために両親の家を担保に入れ、身内からもお金を借り、合わせて2000万円以上もの借金を抱えているのに、3日間もお客さんゼロ。

「俺なんかが思い上がって店を開いてしまったためにみんなに迷惑をかけた」と情けなくて、情けなくて。「もう死のう、俺なんて死ぬべきだ」と思いました。でも、その前にやれるだけのことはやろうと翌日からお昼の営業を始めたんです。

当時の厨房スタッフは石川さんと小泉さんのおふたり。仕込みのことを考えると、夜も昼もクオリティを維持するのは簡単ではないですよね。

石川氏:
はい。中途半端なものを出して店のイメージを落としたくないという思いはありました。だから、昼は蕎麦と天ぷらのセットのみを出すことに。かえしを作って、きちんとだしも取って手打ち蕎麦をやるなら、お客さんも喜んでくれるだろうと考えて。

すると、昼はお客さんがすぐに来てくれるようになったんですよ。そこから、1日2、3万円の現金が入るようになり、命を救われたかもしれないと思いました。夜の集客には思うようにつながらなかったのですが、来てくださった方を大切にしているうちにポツポツと通ってくださる方が出てきて。そのうちのおひとりがライターさんで、全国誌に取り上げてくださったんです。それをきっかけに少しずつ忙しくなって、昼の営業はやめさせてもらったんです。

軌道に乗ってきたのは、オープンからどのくらいでしたか?

石川氏:
1年くらいでしょうか。振り返ればすごく短い時間ですが、当時は苦しくて長かったです。体力的にも厳しかったですし、小泉君をはじめスタッフがそばにいてくれなかったら、とても乗り越えられなかったでしょうね。

お客さんや業者さんにもお礼を言い尽くせないくらい支えられました。この当時の経験から、「お客さんにはもちろん、業者さんやスタッフにも喜んでもらえる店を作りたい」という経営理念を持つようになったんです。

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